<9・心の罠。>

 そうだ、と狭霧は思う。

 一見すると、信吾の考えは正しいように見える、と。そもそもあれだけの長さの映像を、主催側がただ自分達を怖がらせる目的だけで見せるとは考えづらい。実際、“ドアを開けただけではトラップは作動しないのではないか”や“出口かどうかをちゃんと確認するためには、ドアを開けるのみならず中に入って確かめるしかないのではないか”という情報はあの映像から得たものである。


「あの黒髪の女の人は太陽のマークの部屋に入って切り刻まれてたっぽいだろ。なら、太陽マークの部屋がアウトなのは確実。で、位置関係からして、茶髪の姉ちゃんが自信満々で入って行った月マークの部屋が出口だと思っていいだろ。他に、出口がわかるようなヒントは何もなかったんだぜ?」

「言いたいことはわかる、信吾」


 だが、と狭霧は口を挟むことにする。


「ただ、いくつか引っかかることもある。ゲームの主催側だって、俺達が同じ思考に至るのは予想できたはず。そこまでストレートに、答えを示すような映像を見せてくるだろうか?」


 確かに、第一の試練も難易度が高いとは言えないような内容だった、それは事実だ。だが、あの時はここまで正直に答えを教えられていたわけではない。

 というか、性質が違うのだ。

 問題が簡単で答えがラクに分かったことと、問題が意味不明で答えをカンニングペーパーで教えられたことでは、信用性が大きく異なる。今は完全にその後者。人様から差し入れられたカンニングペーパーが正しいなんて、どうして証明できるだろうか。


「何かひっかけがあるような気がしてならない。冷静になった方がいい」

「でもよお!他にヒントらしいものあったか?お前は他に、疑わしいドアがあったってか?ないだろ?」

「それは……」


 自分もまだ、答えを見つけられているわけじゃない。確かに偉そうなことが言える立場ではないが。

 ちらり、とタイマーを見る。残り、四十分。なんだかんだで、調査と相談で二十分使ってしまった。思ったほど、一時間という制限時間は易しいものではなかったのかもしれない、と思う。


「せっかく、ナップザックにいろいろ詰めてきたんだし、使えるものはないかなあ」


 世羅が、狭霧が運んできたナップザックの中身を開けて考え込んでいる。使えそうなもの、いってもキッチンにあったボウルや、数本の包丁、水を入れた水筒や皿、タオル、救急セットくらいなものである。


「ドアを開けた後で、階段の下に重たいものを投げ込んだら、罠が発動するかどうか確かめられないかと思ったんだけど。一番重たそうなのでも水入れた水筒くらいだし、大きそうなものもタオルとかボウル程度……これじゃあ厳しいよね」

「階段……」


 すると、何かに気付いたように嵐が声を上げた。


「そういえば、あの映像で女の人が気になることを言っていた気がする。ヒロシ、とかいう人は階段を降りて死んだ、とかなんとか」

「そういえば」




『何で?何で、何で、何で!あんたさえいなければ、ヒロシは死なずに済んだの。あんたの言葉を信じて階段を降りたからヒロシは死んだのよ、あんたが殺したようなものでしょ!?』




 記憶を辿る。

 確かに、茶髪の女性はそんな言葉を言って、黒髪の女性を責め立てていたはずだ、と。


「階段を降りたら、罠があったってこと。だとしたら、もしドアを開けて階段を降りていなかったら罠じゃないかもしれない……だから」


 嵐はすっと、月のマークのドアを指さした。


「まずは、そのドアを開けてみるのがいいと思う。それで、階段が下ているかどうか確かめてみるといい、かも。勿論、他の罠が階段を下ってない場所で見つかっている可能性もあるけど」


 言いたいことは、分かる。先ほどの茶髪の女性も階段を転げ落ちていたようだし、下っている階段があるところには最低でも二つ罠があるらしいということがわかっている。なら、下り階段が見えたドアは警戒するべき、なのだろう。

 ただ、その心理だけで、下り階段以外は安全と思い込んでしまうのはいささか危険であるような気がするが。


「まあ、中に入るかどうかはともかく、まずはドアを開けて様子を見てもいいんじゃないの?ドア開けるだけなら、多分罠も発動しないっぽいでしょ?」

「私も、それでいいかなって」

「……そうか」


 千佳と世羅も、その方向で気持ちが傾いているようだった。このゲームは多数決で道を決めなければいけないなんてルールはないが、秩序を守るためならばあまり個人の意見を突き通すのもよくないというのはわかっていることである。ましてや、狭霧も他に名案が浮かんでいるわけではないのだ。

 しばし考えた後、わかった、と頷いた。


「まずは開けるだけだ、いいな?」

「おう」


 すぐに、信吾がドアの前に立つ。そしてよし、と気合いを入れてスライドドアを開いた。


「おおおお!」


 上がる歓声。ドアの向こうには、上へ登る階段があったからである。下る階段、ではない。


「おい、これ本当に出口に通じてるんじゃねえのか?なんなら他のドアも開くだけ開いて確かめても……」

「そういうわけにはいかないかもしれない。信吾、ドア開けたまま抑えておいてくれ」

「んあ?」


 テンションが上がるのはわかる。だが、傍から見ていた狭霧たちからすればそういうわけにもいかなかった。盛り上がっていた彼は気づかなかったようだが(本人の声も大きかったし)狭霧の耳にははっきり聞こえていたのである。かちり、という何かが動くような音が。

 すぐに周囲を調べた狭霧は気づいた。星マークのドアの上に掲げられたタイマーが、残り二十分になっていることに。


「そういうことか」


 理解が及ぶ。何故このゲーム、制限時間が長く設定されているのか。そして、前のグループはどういった理由で失敗し、あそこまで焦っていたのか。もし、残るドアが二つまで絞られていたのが本当なら、それだけならあそこまで焦った様子を見せることもなかったに違いない。それはきっと、ヒロシ、という仲間が死んだからだけではなくて。


「ドアを開けると、今の時点の制限時間が二十分減る……もしくは半分になる。多分、後者だろう」

「なんだと!?え、俺そっちのタイマー見えねーんだけど、マジで一気に減ったのか?」

「さっき俺は残り時間が四十分なのを確認している、間違いない。今、ドアを開けただけで二十分になった。もし、一つドアを開けるごとに残り時間が半分になるなら、全部のドアを開けているとほとんど時間が残らなくなってしまう。あまりにも危険すぎる」


 なるほど、致死性のトラップはなかったが、別のトラップが隠れていたというわけらしい。

 そして、それは“一度でもドアを開けると減る”のか、“一回ごとに減る”のかもわからない状況だ。信吾には、そのドアの向こうに入らないことを決定するまで、ドアを抑えていてもらうしかなくなってしまった。慌てて信吾の傍に戻る狭霧たち。


「なら、一回分も無駄にできない。時間も」


 その時、嵐が動いてしまった。彼はするりと信吾の横をすり抜けると、月マークの部屋に入ってしまったのである。


「上方向の階段、さっきの映像。この部屋が出口で正しいはず。僕が入って確かめるから、安全が確認できたらみんなも入ってくるといい」

「お、おい待て!やめろ、戻れ!」

「戻らない」


 少年は頑固だった。信吾の制止もきかず、階段を登っていってしまう。


「僕も役に立たないといけない。そして、もし死ぬ危険性があるなら、一番役に立たない人間がやるべきだと思う」

「おい」

「……ごめんなさい、狭霧さん」


 低い声で狭霧が呻くと、彼は一度だけ振り返って淋しそうな顔をした。


「貴方の言葉は嬉しかったけど……僕は、他に方法なんか知らないから」


 そして、そのまま。一気に階段を駆けあがっていってしまう。まずい、追いかけて引き止めなければ。狭霧が走り出した、次の瞬間だった。


『お知らせデス!お知らせデス!残り時間半分を切ったので、皆さんに特大のヒントをあげマス!』


 どこかに設置されているスピーカーが、声を発したのである。その内容は。




『正解のドアには、一番強く鍵がかかっていマス!その部屋こそが正解なのデス!それでは、御健闘をお祈りいたしマス!』




――一番強く鍵がかかっている、部屋?


 単純に鍵がかかっている部屋といえば、自分達が入ってきたドアだろうが。さすがに、こじ開ける方法もないしルールの上でもあのドアが正解なんてことはないだろう。

 では、他に鍵がかかっているドアがあったというのか?少なくとも、この月マークの部屋が施錠されていなかったのは事実だが。


――いや、制限時間が減っていくことを考えるなら、全部の部屋の鍵を確かめて判断しろなんてゲームではないはずだ。そもそも普通のドアならともかく、このフロアのドアはスライド式だから全部横に引かないと開いているかどうかもわからないわけで……。


 そこまで考えた瞬間、狭霧の背中に冷たいものが走った。そうこうしているうちに、嵐が階段の一番上に上ってしまう。狭霧はギリギリのところで追いつき、その腕を引っ張った。


――くそっ……そういうことか!どうして気づかなかったんだ、俺は!


「逃げるぞ、嵐!」

「え、でも罠はまだ……」

「この部屋は不正解だ、正解の部屋は別にある!」

「え!?」


 狭霧が答えに気づいたのだと、嵐も理解したのだろう。その眼が驚きに見開かれる。次の瞬間。




 ウイイイイン。




 何か。

 機械がゆっくりと動き出すような音が、すぐ近くから響き始めたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る