<8・手がかりなき迷路。>

 そこは、先ほど映像で見たのとそっくりなフロアだった。

 天井も床も壁も真っ白な廊下。ドアを抜けて五人が進んだ真正面には、円柱型に歪曲した壁と、真ん中に据え付けられたドアがあった。ドアといってもノブを回して開けるタイプではなく、病院にあるようなスライド式のタイプである。取っ手を掴んで左にガラガラと動かすと開く仕組みになっているようだ。

 白いドアの中央には、星のような黒いマークが描かれている。

 そしてその真上には、タイマーが。自分達が通路に入ると同時に動き出したのか、一時間を切ったところから始まっていた。それが、徐々に秒数を減らしていっている。


「……ねえ」


 最後尾の狭霧が入って来たドアを閉めたところで、世羅がか細い声で言った。


「さっきの、アレ。……本当なのかな。本当に、犯人は……私達を殺すつもり、なのかな」

「わからない」


 自分がもう少し気の利く人間だったなら、怯える彼女に優しい言葉の一つもかけてやれただろう。だが、残念ながら狭霧は記憶もないし、多分そういう性格でもない。もっと言えば、今は状況を整理するだけで頭がいっぱいで、可哀相だが彼女に気を向けてやれる余裕がないのも事実だった。

 自分達を拉致した犯人たちの目的は未だにわからない。確かなのは彼等が、本気で自分達を殺しても構わないんだぞという明確な意図を示してきたことくらいか。無論、そう思わせるのが狙いで、実際に殺害するつもりはないという希望的観測もまだできないわけではないが――。


「ただ、殺すつもりでいると思って行動した方が無難ではある。……とりあえず、全員でこの通路をくまなく調べよう。どのドアを開けるか、開けないかは最終的に全員で相談して決めればいい。……あの映像を見て、闇雲にドアを開けて中を調べたいと思う奴はいないだろ?」


 誰も、反論しなかった。というか、まったく同じ気持ちであったのだろう。

 あの黒髪の女性が本当に死んだのかどうかはわからない。だが、あの絶叫や呻き声は、とても演技だとは思えない代物だった。飛び散った血も、それからもう一人の女性の嘲笑も。もし、あの機械音と悲鳴から推測した状況通りであるならば、あの黒髪の女性はチェーンソーのようなもので生きたまま切り刻まれてダルマにされたということになる。想像するだけで背筋が凍る話だ。

 そして、トラップの発動は、黒髪の女性が階段を転げ落ちてからであったように思われる。ドアの前に立っていた茶髪の女性が無事だったことを鑑みても、恐らくドアを開けただけならば発動しない可能性が高いのだろう。しかし、それはあくまであのトラップがたまたまそうだっただけかもしれず、ドアを開けただけでも作動する可能性がゼロであると証明しているわけではない。一つ一つ、慎重に開けるかどうかを精査していった方がいいだろう。幸い、ご丁寧にもドアにはマークがついていて、識別できるようになっているようだから尚更である。


「……うーん」


 全員でフロア全体を調べた後、再集合。信吾が頭を掻きながら言った。


「マジで、ドアとタイマー以外に何もないんだな、ここ」


 その言葉が全て表していると言っても過言ではないだろう。十五分程度かけてしっかり周囲を確認して回ったものの、結局ドア以外に仕掛けらしいものを見つけることはできなかったのだから。

 解説するならば。このフロアは、ぐるりと一周できる円環型の通路と、それを囲む壁で構成された場所である。

 真ん中の太い円柱状の壁にドアが二つ。

 周りの歪曲した壁にドアが四つ。プラス、自分達が入ってきた、あのモニタールームに続くドアが一つ。これはもう鍵もかかっていて開かないので、出口候補として除外していいだろう。

 来た道を除けば合計六つのスライド式のドアがあり、全てにマークが書かれているのだった。

 まず、自分達が入ってきたドアを背にして真正面、円柱状の壁にあるドアには星マーク。さらにその奥、円柱状の壁の反対側にあるドアには、映像にもあった太陽のようなマークが書かれている。

 そして、残る歪曲した壁には、それぞれハート、音符、月、うずまきの四種類のマークが書かれたドアがひとつずつ。自分達が入ってきたドアにだけは何も書かれていない、という寸法である。

 ドア以外にあるのは、星マークのドアの上に掲示しているタイマーのみだ。


「普通に考えれば、このどれかが出口に繋がってることになる」


 ぼそり、と嵐が呟く。


「でも、間違ったドアには多分トラップがある。さっきの映像で、女の人が死んだようなトラップが。そう考えるなら、安易にドアを開けて中を調べるのは、危険」

「その通り。だから調べるドアを慎重に決めないといけないし、調べ方も考えないといけないわけだな。映像を見るなら、ドアを開けただけではトラップは作動しない印象だが、全てのドアに罠がないとは言い切れないだろう」


 そもそも、と狭霧は彼の言葉の後を引き継いだ。


「トラップがすぐ起動しなくても。ドアを開けただけで出口かどうかわからないようになっている可能性が高い。恐らく、中に入って調べないトラップ部屋か出口かわからないようになっているんだろう」


 一応、そう思う根拠がないわけではなかった。さきほどの映像で、アナウンスは確かこう言ったからである。




『このように、次のフロアには様々なトラップが仕掛けられておりマス。間違った道を進めば、命を落とすことになるでショウ。先程の女性達も当初は六人のグループでしたが、あの映像の段階で既に四人が命を落としていまシタ』




 あの黒髪と茶髪の二人の女性。彼女達が本当に六人組であったなら。そして仲間達が次々と命を落としたというのが本当なら。何故、四人もの人間があっさり死んだのか?を考える必要があるだろう。

 ドアを開けただけでトラップだとわかったなら、その部屋にずかずか踏み込んでいこうという馬鹿はいない。トラップ部屋だとわからなかったから、彼等は中に入って罠にかかり、命を落としていったと考えるのが妥当なのだ。


「あの映像が過去に実際にあったものだと仮定して。恐らく、前回参加した六人組は、一つのドアを調べるのに一人を使い、そして命を落とし続けた結果最後に二人しか残らなかったものと予想できる」

「根拠は?」

「さっきの映像で、最後の一人になった茶髪の女性は確かにこう言っていた。“つまり、残ったドアが正解なのよね。他は全部アウトだったわけだし”と。そして、アナウンスの方も言った。“先程の女性達も当初は六人のグループでしたが、あの映像の段階で既に四人が命を落としていました”と。他のドアがアウトだとわかったのは、他のドアのトラップが起動するのを見たからだと考えるのが妥当だ。それで、彼女達以外の四人は死んでしまったのだろう」


 これも推測でしかないが、彼女らはどのドアが正解かわからず、仕方なしにすべてのドアをしらみ潰しに探すということをしたのだと思われる。その結果、ドアを一つ調べるたびに一人がトラップにかかって死ぬ、というのを繰り返してしまったのだろう。そのやり方に納得がいかず、最終的に二人で言い争いになってしまっていたのだという予想が立つ。


「この部屋だけ見ても、正直マーク以外にヒントらしいヒントが何もない。加えて、一時間という妙に長い制限時間も気になる。先ほどの映像からも、きちんとヒントを拾うべきだという犯人側の意向だと俺は考える」

「マジかあ。メモ取っておきゃ良かった!」

「あたしも。正直、あたし達を怖がらせるための映像だとばかり思ってたわ……」


 しょんぼりと肩を落とす信吾と千佳。無理もないことだ、普通なら映像の衝撃さばかりに目を奪われてしまうに決まっている。あそこにヒントがあるかもしれないなんて考えもしないだろう。

 正直、狭霧だってそこに思い至ったのは、このフロアをきっちり調べたあとになってからのことである。実際、映像を見ながらメモなど取っていない。それでも細かく登場人物の台詞などを覚えているのは、単純に記憶力の問題だと思われる。


――なるほど、俺はこういうことが得意らしいな。


 なんだか他人事のような感想だ、と自分でも思った。未だに記憶喪失の実感が薄いせいもあるかもしれないが。

 何にせよ、ほぼ記憶力がいいのは便利なことだ。利用するに限るだろう。


「ようするに、そのドアが出口かどうかは開けた上で中に入らないとわからない可能性が高いってこと、だよね」


 世羅が不安げに言った。


「でも、そのドアがトラップだった場合。中に入ったら最後、恐らくあの黒い髪の女の人みたいに……酷い死に方をするかもしれないってこと……?」

「だろうな。そして、このドアの中で、恐らく本物の出口は一つだけだ。だから他は全部アウトだった、と確認済みであることを彼女は口にしたんだろうしな」


 もっとも、本当に“最後の一つに正解がある”かどうかも怪しいのが問題なのだが。

 なんせアナウンスは、ラスト一つと思しきドアに入った茶髪の女性が、本当に無事に生き残ったとは一言も言っていないのだから。


――ドアは全部で六つ。


 狭霧はどうにか思考を回す。


――円柱の壁に星マークのドアと、太陽のマークのドア。反対の壁には、それぞれハート、音符、月、うずまきのドア。


 自分達は、五人。そもそもドアの数の方が多いので、仮に命がけの特攻を仕掛けたところで全てのドアをしらみつぶしに調べることなど不可能だと言っていい。

 このマークが、ドアの中身を示す暗号になっているのだろうか?

 だが、同じマークのドアは一つとしていないし、暗号表として対応しそうな“別の暗号”もフロア内にはない。やはり、このフロアの情報だけでは出口のドアを特定するなどほぼ不可能だと言っていいだろう。

 だとすると、やはりさっきの映像に出口のヒントがあったと考えるのが妥当ではあるが。


「……なあ、思ったんだけどよ」


 その時、信吾がおずおずと口を開いたのである。


「さっきの映像。ひょっとして、俺達に答えを教えるために見せたってことはないか?……だってさ、あの茶髪女は、“これ以外に答えはない”つって、最後の一つのドアを選んでただろ。つまり、普通に考えるならあの女が最後に入ったっぽいドアが正解ってわけだ」


 つまり、と彼は続ける。


「あの太陽のドア……の、真向かいにある、月マークのドアが正解なんじゃないか?」

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