<6・フラグを折ること。>

 ぷしゅうううう、と空気が抜けるような音がした。自分達が食事をした丸テーブルがゆっくりと持ち上がり、その下から大きな柱が現れる。

 そして、柱の真ん中がぱっかりと開いて階段が現れた。どうやら、ここから地下へ降りろということらしい。幸いなのは、その階段が狭いものの、きちんとライトで照らされていて非常に明るいということだろうか。


『それでは、次のフロアでお待ちしておりマス。全員がこの部屋を移動するとこちらにはもう戻ってこられませんノデ、忘れ物などないようになさってくだサイ』


 アナウンスは淡々と説明を続ける。


『前にも申し上げました通り、今から三十分後にこの部屋は毒ガスで満たされマス。死にたい方以外は迅速に移動なさってくだサイ』

「……本当なのかしらね」


 ぽつり、と千佳が呟いた。


「この部屋結構広いし、全体を満たす毒ガスって結構お値段も張ると思うんだけど。本当に、あたし達を殺すためだけにそんなもの使うのかしら。というか、本当に、あたし達を……」

「それを知るためには、誰かがこの場所に三十分以上留まらなければいけない」


 遮るように、狭霧は口を挟む。


「ただの脅しならそれでいい。でも、そうじゃなかったらその時はもう取り返しがつかない。……実際、俺の棺に水が注ぎこまれたのは嘘ではなかったんだ。今は脅しではないと思って行動するしかない。実際、俺達は此処から出られず、命を握られているも同然なのは確かなのだから」

「……そう、よね」


 逆らっても殺されないと信じたい。何かの夢か、アトラクションでもやっていると思っていたい。千佳の言った言葉は実質、この場にいるメンバーのほとんどの希望だろう。

 だが、確かめるにはリスクが大きすぎる。

 万が一誰かが死んでからでは、遅い。今は、殺し合いをさせるつもりはないというアナウンスの言葉を信じた上で、先に進む選択をするしかないのだ。

 そもそも、毒ガスというのも強ちブラフではないのではと思っているのが狭霧の本音である。風呂やトイレ、キッチンに物置、仮眠室。一通りの部屋を見て回ったが、少なくとも見える範囲で窓は一つもなかった。地下室であるからなのか、最初からそのための部屋であるのか。いずれにせよ、毒ガスなんてものを充満されたら最後、逃げ場がどこにもないことだけは事実なのである。


「よし、俺が先に行くぞ。危なそうだったら知らせるからな!」


 皆の了承を得るよりも前に、信吾が動いた。やや慎重に階段を降りていく。階段の幅は狭い。大人が二人以上通るのは無理があるだろう。自分と嵐、という組み合わせでも相当ギリギリであるはずだ。下まで降りたところで、奥から声がした。


「特に変なものはないっぽいぞ!普通に白い廊下があるだけだ。降りてこい!」

「……荷物は俺が持つから、先に行くといい」


 この場所で見つけた、使えそうな道具の数々を詰めたナップザック。世羅からそれを受け取ったのは、特に下心あってのことではないのだが。


「……無愛想に見えて、ちょいちょい紳士だよね、君って」

「ん?」

「何でもないよ」


 ちょっとだけ、世羅の頬が染まっているように見えたのは気のせいだろうか。二番目に彼女が降りて行き、特に大丈夫そうだということで次に嵐を行かせた。四番目に千佳を進ませ、しんがりを狭霧が務めることになる。

 天井も床も壁も手摺も真っ白な階段は、やや角度が急だがさほど長いものではなかった。狭霧が一番下まで降りたところで、再びぷしゅううう、という音が響く。振り返れば、あのテーブルのあった部屋に続くドアが閉まっていた。これでもう、後戻りすることはできない。

 五人で何もない白い廊下を進んでいく。廊下の幅は、さっきの階段の二倍くらいはあった。それでも天井が低いせいで、少々狭苦しさを感じてしまう。巨漢の信吾は頭をぶつけそうになっているほどだ。


「さっきのチャーハン」

「ん?」


 唐突に、嵐が口を開いた。


「美味しかった。……ありがとう、作ってくれて」


 小さく、それでも実感のこもった声だった。千佳が嬉しそうに、小さな少年の頭を撫でる。


「ここを出たらまた作ってあげるわ。おなかいっぱい、貴方の好きなものをね。何も、脱出したらもう二度と会ったらいけないなんてことないんだもの」


 多分、うっすらと彼女も感じ取っているのだろう。恐らく嵐は、あまり良い家庭に置かれていた子供ではないのだろう、と。

 妙に感情が欠落しているように見える。痩せている。それでいて、作ってもらったご飯を食べることに遠慮があり、人目を気にしているような印象を受ける。目に見える体の傷がないからといって、何もされていないとは言い切れない。精神的虐待や性的虐待ならば、一見すると何事もないように見えることも少なくないのだ。この子は家庭でそういう目に遭っていたのではないか、と自分達が勘ぐってしまうのも無理からぬことだろう。

 無論、今は既に幸せな環境にいる、という可能性もある。

 あるいは事件が起きているのが家ではなく、家の外のクラブや学校、習い事の現場でということもあるだろう。

 いずれにせよ、体の傷よりも治りにくいのが心の傷だ。拉致監禁されても涙一つ流さず、自分を切り捨ててくれとあっさり言えるようになってしまっている小学生。なんとかしてやりたい、と人の親なら思うのは当然だろう。

 いや、人の親でなくても、心ある人間ならきっとそれが普通のことで。


「あんまり此処を出たらって言わない方がいいんじゃないのか?世間で言うところ、それは死亡フラグってやつだぞ」


 やや呆れたように笑いながら、信吾が話に乗ってきた。


「千佳さんと嵐にだけそういうフラグを立てさせるのはよろしくないな!よし、俺も建築してみよう。お前ら、ここを脱出したら俺の大学のアメフトの試合を身に来い!まあ、俺はまずボール触らない前衛だから、あんまり花はないかもしれないが!」

「え、死亡フラグって複数建築すると薄まるものなんだっけ?」

「細かいことは気にするな。俺はそう思うことにした!」

「もう」


 しょうがないなあ、とツッコミを入れた世羅が話に乗る。


「じゃあ、私もそう思うことにする。秋の文化祭、みんなで見に来て欲しいです!私吹奏楽部だから、文化祭で演奏するんですよね。今年流行した歌をいっぱい吹くよー!ボカロも満載!」

「おお、楽しそうだ」

「いいわね」

「……その様子だと、俺はお前と同じ部活ではないんだな」


 口にしてしまってから、しまったと思った。楽しそうな雰囲気が、一気に霧散してしまったのを感じたからである。皆が少しだけ忘れていたのだろう、狭霧が記憶喪失であるということ。此処から出たら何をしたい、なんてことも語ることができない立場であることを。

 そもそも、タイミング的に、自分達を拉致した組織が記憶を奪った可能性が高いとはいえ――絶対にそうと決まったわけではなく。そして、脱出と同時に記憶が戻ってくるとも限らないのである。

 ひょっとしたら、一生何もかも忘れたまま、親兄弟も友達も、いたかもしれない恋人も何もかも思い出せないで終わるかもしれないのだ。

 不安ではない、と言えば、嘘になる。しかし。


「じゃあ、思い出せるようになるまで私が傍にいるよ!」


 言い出したのは、世羅だった。


「お、同じ学校なんでしょ?なら、何回だって会えるし。少なくともこの場所で一緒に過ごしたのは新しい思い出になるんだし!」

「せ、世羅……」

「あら、それはいい考えね!」

「千佳さん」

「さっきご飯食べてる時に、何かを思い出しそうになってたでしょ?あたし料理くらいしか取り柄ないけど、あんたに美味しいものを食べさせてあげることで何か思い出す手伝いになるなら、何度だって作ってあげるわ!こういう時は、積極的に大人を頼るものよ?」


 少し感動していると、いつの間に後ろに回っていたのかぼふっと背中から衝撃が来た。誰であるかなど言うまでもない、信吾である。


「俺は感動した、みんないいヤツすぎる!俺はいいヤツが好きだ、お前もいいヤツだ、俺も応援するぞ!何ができるか知らんけどな、何か出来そうなことがあれば何でも言ってくれなあ!」

「な、泣くほど……?」

「いいじゃないか、男だって嬉しくて泣くんだ!」


 おいおいおい、とややマジ泣きしているっぽい信吾。気づけば狭霧も、頬が緩んでいるのを感じた。

 恐らく、先ほどの二時間休憩は自分達の交友を深めさせるために用意されたもの。彼等と仲良くなるのは、間違いなく犯人の思惑通りなのだろう。同時に、四人とも揃って“簡単に人を見捨てるような人間”や、“自分が生き残ることができればそれでいいと思うような人間ではない”ということも含めて。

 それでも、狭霧は。


――きっと、幸運なんだな、俺は。……記憶が戻らないかもしれないのは不安なのに、そんなに今は怖くない。


 彼等を助けたいと、そう思う。

 思う相手に、この状況で出会えたのは間違いなく恵まれているのだ。


「……何か、役に立てる?僕も」


 しまいには、嵐まで服の裾を引っ張ってくるものだから、なんだか狭霧まで涙が出そうになってしまう。


「……ああ、きっと」


 まるでタイミングを図っていたかのようだ。そんな話をしていたところで、廊下の終わりに到着した。突き当りに一つだけあった白いドアをがちゃりと開けると、そこは小さな部屋になっている。


「何、ここ?」


 世羅が不審そうに声を出した。真っ白な部屋に黒い革張りソファーが五人分並び、目の前には砂嵐が走っている大きなテレビが。自分達が入ってきたのと反対側にはもう一つ黒いドアがあるようだ。試しにノブを回してみたが、開く気配はない。

 テレビの前には、大きな赤いボタン。その横に、メモが一枚置かれている。


『次の試練の前に、説明のビデオを見て貰います。

 全員がソファーに座ったら、赤いボタンを押して録画したものを再生してください。

 ビデオが終わり次第、次の試練のフロアに続くドアが開きます』


「……ホラー映画鑑賞会みてえ」


 ぼそり、と信吾が呟いた。狭霧もまったく同じ感想を抱いたところだ。

 もっとも、今から見せられるものがそんな生易しいものであるとは限らないが。


「押すしかないでしょ、そうじゃないと始まらないっていうんだから」

「ま、そうだよな」


 嫌な予感はするが、他の方法はない。皆がソファーに座ったところで、信吾が立ち上がってボタンに手をかけた。


「じゃあ、押すぜ」


 かちり、という軽い音と共に砂嵐が消えた。そして。

 恐怖のビデオ観賞会が、始まったのである。

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