第34話
「――つまり、昔、ここで、戦いがあったってこと?」
山肌に張りつく崩れた遺跡。なんて広くて、大きいのだろう。こんな山の上に、こんな城があるなんて。
レイスが近寄るなというはずだ。この、大きくて恐ろしげな山城が、かつてのホローの姿なのだとしたら――ここにはたぶん、ホローの後ろ暗い過去がつまっている。
「……犬ってば、いるの?」
斜面を埋めつくす石をふみながら、わたしは砦跡に踏みこんだ。
「出ておいで!」
奥へ行けば行くほど、砦のこわれ方ははげしくなった。ぶあつい城壁だけは残っているものの、建物や塔は跡形もない。崩れた石が散らばっただけの、河原のようになっている。
「犬ってば! いるの?」
声をはりあげてみても、動くものはなにもない。
わたしはため息をついた。
いないのなら、それまでだ。ひとまず、あきらめることにする。
「まあ、シファにひとこと言っておけば、少なくとも、八つ裂きはないだろうし……」
あるじよりは寛容なシファのことだ。わたしがたのめば、犬の尻尾を噛みおとすぐらいで許してくれるかもしれない。
でも……今日こそ、ほんとうに飼ってやろうと思ったのにな。
「帰ろう」
用がなくなったなら、こんなところに長居は無用だ。
とはいえ、砦の中を歩くうちに、斜面のだいぶ奥まで入りこんでしまった。もとの館跡にもどるには、尾根を一つ、乗り越えなければならない。どこかに谷底までおりられる道があるなら、その方がよほど近道だ。
くずれた城壁にそって、山をくだってみる。すると、予想どおり、それほど行かないうちに、壁の切れ目から下へつづく、一すじの石段が見つかった。城の裏口の一つだろう。うまくすれば、谷底に出られるかもしれない。
ところが。
そう、都合よくはいかなかった。急な石段をおりたその先は、すぐに行きどまりだった。しかも、ひどく妙な場所に出てしまった。
そこは、砦がある斜面の岩棚の下の、せまい谷あいのくぼ地だった。頭上に張りだした岩と、暗い松林の斜面にはさまれた、隠れ谷のような場所だ。
奇妙なのは、そのくぼ地の底、一面が、巨大な石だたみでおおわれていることだった。テーブルほどもある平らな石が、びっしりと敷きつめられているのだ。
――なによ、これ?
わたしは首をかしげた。庭とも、舞台とも呼べないこの場所は、いったい何なのか。
よく見ると、石だたみの中央には、ほかよりも一段低い、くぼみのような場所がある。といっても、噴水や池があるわけではなく、中はからからに乾いている。しかも、四角い大きな鉄板が一枚、無造作に底に敷かれている。なおさら、わけがわからない。
「……変ねえ」
つぶやいて、石だたみに足を踏みいれる。谷底をおおう石だたみのふちを歩きながら、まわりをとりかこむ、松林をのぞきこむ。ツタのしげる林のなかに、道らしきものはない。小屋にもどるには、もう一度、上の城跡まで登るしかなさそうだ。
ため息をついて、足元を見おろし――わたしは、そこにある、奇妙な模様に気がついた。
石だたみの平らな石の上に、人の指ほどの幅の、ノミで薄く刻んだ線のようなものがつづいているのだ。
折れまがり、枝分かれしながらつづくその線は、やがて、石の終わりで、地面に吸いこまれて消えた。
わたしは首をかしげ、となりの石を見た。
すると、そこにも、線はあった。前よりも濃く、ジグザグと折れ曲がりながら枝分かれして広がり、やはり、石の端で地面に吸いこまれている。ますます奇妙に思い、わたしは腰をかがめて石のおもてに触れた。そうしておいて、目でたどると、その線の形は、あきらかに、あるものににていた。
あるもの。――そう、空を走る稲妻。
そうだ。石に刻まれたこの線は、ジグザグに空を走る、あの雷光に似ているのだ。
わたしは顔をあげ、石だたみの庭の全体を見わたした。
すると、クモが四方八方に足を伸ばしたようなジグザグの線は、石の上の、いたるところにきざまれていた。そこにも、ここにも、あそこにも。濃く、うすく、幾重にも織りかさなって、まるで、子供の落書きのように、石の表面をおおいつくしていた。
――その瞬間。
あたり一面を埋めつくす、稲妻模様を見おろした、その瞬間。
天啓にも似たひらめきが、わたしの背すじを走りぬけた。なぜなら。わかったのだ。見えたのだ。石という石を埋めつくす、このしるしを刻んだのが、誰なのか。何者なのか。
「天狼……」
そう。天狼。狼しかいない。
おぼえている。四月のあの夜、シファの雷光が、クレイディルを焼き殺したとき。このしるしと同じ形のものを、わたしはたしかに見た。あのとき、丘を撃った雷光は、地面で白く燃え上がり、クモの足のように枝分かれして、四方八方に広がったのだ――石に刻まれた、この形と同じように。
雷光の跡なのだ、これは。狼たちが落とした、雷の跡なのだ。
狼たちが、この場所を襲ったのだ。何百もの稲光を降らせて、焼きつくそうとした。
でも、なぜ、この場所を? なぜ、これほど執拗に?
どうしてだろう。その答えは、するりと、わたしの内側から出てきた。
ここが、中心だから。
十六頭の狼を滅ぼした、ホローの呪い。
――この場所こそが、その中心だから。
小さく、息をのむ。
それから、わたしはくるりと向きをかえて、走りだした。
どうしてだろう。背筋が凍るほどに、はっきりと感じる。この場所に、とどまってはいけないと。
ここは惨劇の場所。血と、恨みと、憎しみの場所だ。
ところが、やみくもに走る足元が、ふいに、がくんと落ちくぼんだ。あっ、と声をあげる間もなく、わたしは石畳の中央の、浅いくぼみに転がりおちた。勢いあまって手をついた先は、赤さびが浮いた鉄板の上で、ざらざらしたぶあつい鉄の板が、ゴオン、とうつろな音をたてた。
そして、なぜだろう。わたしはその音にふるえあがった。どうしてかはわからない、でも、全身を怖気が駆けあがった。
「……っ」
立ちあがり、足元の鉄板を見おろす。
すると、遠目にはただの鉄に見えていたものが、実は、地面に作りつけられた、巨大な鉄の扉であるとわかった。ベッドほどもある巨大な扉が、地面に止めつけられているのだ。
地面に横たわる扉を前に、わたしは立ちつくした。なぜだろう、足が動かない。この、奇妙な地下への扉が、人が開くには大きすぎる扉が、どうして、こんなに怖いのだろう。どうして、こんなに気にかかるのだろう――。
がくがくと足を震わせながら、錆びた扉を見おろした、そのとき。
唐突に、わたしはその理由を理解した。
――狼。これは、狼のための扉なのだ。
そう悟った、次の瞬間。わたしはその場から大きく飛びはなれていた。段差にぶつかり、後ろに転び、したたか腰を打ちつける。ひじがふるえ、足がわななく。
怖い。
どうしようもなく、この扉が怖い。頭をかかえて、泣きわめきたいほどに怖い。
逃げなくちゃ。なんでもいいから、逃げなくちゃ――これ以上ここにいたら、どうにかなってしまう! 矢も楯もたまらず、悲鳴をあげかけた、そのとき。頭上で、かすかな羽音がした。見ると、白い狼とそのあるじが、そろってこちらを見おろしながら、輪をえがいて降りてくるところだった。
その、見慣れた姿を見た瞬間、狂ったような恐怖が、少しうすれた。どうしようもなくほっとして、わたしはまろびながら二人に駆けよった。
ところが、次におきたのは、予想外のことだった。ぱしんと高い音がし、頬が熱くなってようやく、わたしは平手打ちされたことに気がついた。
とっさに涙が出たのは、おどろいたからで、そのあと腹を立てたのは、泣かされたことに対してだ。みっともなくふるえる声で、わたしはわめいた。
「なによっ、いきなり女に手をあげるなんて、それがホローの礼儀なの?」
見かえすレイスの表情は、これまでで一番、冷たかった。
「約束ひとつ守れないなら、出ていってくれ」
言いすてて、背をむける。そのまま、歩みさっていく。わたしは言葉が出なかった。あんまりだ。こんなに怖い思いをしたあとなのに、あんまりだ。本当は、自分が悪いと知っていたけれど、素直にそう認めるには、レイスの一撃は、あまりにも強烈だった。
頬をおさえて泣くわたしの横で、のこされたシファは、しばらく何かを考えていた。それから、ばさりと尾で地面を打ち、わたしを見て、おだやかに言った。
「とりあえず、いきましょうか。ここにいるのはよくない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます