第22話

 正直に言おう。

 小屋に帰りつくころには、わたしの気分はもう、どん底の一歩手前だった。

 今すぐにでも、家に帰れたのに! 今日の、午後のお茶の時間には、ディースの料理人が腕によりをかけた、ケーキやお菓子をほおばれたのに――なのに、わたしときたら! いったい何が楽しくて、ここに残るなんて言ってしまったのだろう!

 午後いっぱい、わたしは家のことを考えて、しょんぼりとすごした――と言えば、聞こえはいいけれど、実のところは、甘いお菓子と食べ物のことばかり、くよくよと考えつづけた。ああ、料理長お得意の、サクランボのパイ! ニンニクとじゃがいもをお腹に詰めて、こんがりと焼いたガチョウ! ぴりっとコショウがきいた子羊のソテー!

 それでも、どうにかお皿は洗ったし、インゲン豆の収穫もした。豆なんか見たくもなかったけれど、するだけのことはしたのだ。なにしろ、あんな見栄をはったあとだ。前と同じように、寝床でふさぎ込むわけにはいかない。

 日が落ちてから帰ってきたレイスは、一言もしゃべらなかった。なにがあったのかは、全部シファに聞いて知っているのだろうに、あいかわらずの不愛想だ。

 かわりに、翌朝、ペーテルがロバを飛ばしてやってきてくれた。そして、わたしの顔を見るなり、こうさけんだ。

「大丈夫かよ! あんた、火だるまになったって!」

 わたしは思わず笑ってしまった。

「火だるまになんて、なってやしないわ。燃えたのはこっちよ」

 そういって、ひざのうえの縫いものを見せると、ペーテルは感心したように声をあげた。

「へえっ、こんなに燃えたのかい? よくもまあ、無事だったなあ!」

 それから、わたしの男装を見て、目を丸くする。

「てことは、そいつは、だんなの服かい? 案外、にあうじゃないか! なんだか、そこらの坊主みたいだ」

「よけいなお世話よ」

 わたしはむっとしたが、ペーテルは気にしなかった。ロバの荷をほどきながら、まくしたてる。

「――そうそう、それでさあ、きのう飛んでった、あの黒い竜、あれ、あんたんとこのだろ? 村からも見えたもんだから、大騒ぎだったぜ。今日だって、ここに来るのに、ばあちゃんどもの止めること止めること、あんなのの喧嘩に巻きこまれちゃ、命がいくつあっても足りないってよ。あの竜、あんたに用があってきたんだろ?」

「そうなの。兄が、むかえにきたのよ」

 わざと軽い調子でこたえると、ペーテルはさっと、わたしの顔をうかがった。

「――帰らなかったのかい?」

「帰っても、おなじだもの。どうせ嫁の行き先もないし」

「まあ、そりゃそうだろうけどなあ」

 小憎らしくうなずいたペーテルは、けれど、勝手に気をとりなおした。

「まあ、でも、いいじゃん。そんときゃ、だんなにもらってもらえば」

「だからそれ、やめてってば!」

 わたしが顔をしかめると、ペーテルはげらげら笑い、それから、わたしに包みをさしだした。いつもと同じ、パンとチーズとソーセージ、それに今日はもう一つ、大きな灰色の布をたたんだものがいっしょだ。

 広げてみると、それは、スカートがすっぽりつつまれるほどの、大きな前掛けだった。

「なあに、これ?」

「あんたにさ。そんなひらひらした、いい服着てるから、火がつくんだよ。毛織りにしときゃあ、燃えにくいのに」

 その言葉に、同じようなぶあつい布地をエステラが身につけていたのを、わたしは思いだした。あれは、そういうことだったのだ――まあ、綿も麻も、高価で買えないというのが、一番の理由ではあるのだろうけれど。

「姉ちゃんにたのんで、村で調達してもらったんだ、あんたが火だるまになったって聞いてさ。前から危ないとは思ってたんだ。もっと早く言わなくて、わるかったよ」

「だから、火だるまになんて、なってないってば!」

 憎まれ口をかえしながらも、ペーテルの心づかいが身にしみた。なんだか涙まで出そうになり、けれど、同時に、こうも思った――もし、このぶかっこうな前掛けを、もっと早くにわたされていたなら、わたしはまちがいなく馬鹿にして、つっ返していただろうと。

 わるかったのは、わたしだ。ペーテルが責任を感じることなど、なにもない。

「――ありがとう。エステラにもお礼をいっておいて」

 なさけないことに、ちょっと湿ってしまったお礼の言葉に、

「おう」

 ペーテルは、すこし照れたように笑った。



 二人がくれた前掛けは、つぎのあたったドレスの珍妙さを、いい感じにかくしてくれた。

 いい感じに、というのはつまり、いい感じに野暮ったく、ということだ。もはや、布の取り合わせなど、気にしても仕方がないほど、田舎っぽく、ということだ。――まあいい。

 服をなおしたあまり布で、わたしはハタキとふきんを作り、納屋を掃除した。邪魔ながらくたを奥へ押しやり、ふきだまったほこりを片づけると、空いた場所に、ペーテルが、木箱と板をくみあわせた棚をおいてくれた。

 わたしはそこに、レイスがくれた服と、ブラシとくしと、あの幻獣図説をおいた。

 たとえ質素でも、自分の部屋らしい場所ができあがるのは、うれしいものだ。気持ちも、それなりに上向いてくる。

 わたしは朝、ぐずぐずと寝床にいるのをやめた。少なくとも、レイスが出かける前には起きて、朝ごはんを一緒に食べるようにした。

 すると、急に、時間がたくさんあるように思われはじめた。朝、涼しいうちに畑に行けるし、草だって抜ける。火のあつかいにもなれてきて、その気になれば、お昼ご飯までに髪だって洗える。昼食にチーズ・トーストを焼くこともできる。なかなか、いい感じだ。

 でも、わたしの勤勉さは、せいぜい、そのへん止まりだった。朝食はあいかわらずレイスが作っていたし、夕食も、ほとんどがそうだった。さらには、薪割りも、牛の世話も、鶏の世話も、レイスがしていた。そんなわけで、レイスはほとんど一日中、働きづめだったけれど、わたしは午前と午後に、それぞれ、たっぷりひまな時間があった。

 あいたその時間に、わたしは小屋のまわりをぶらぶら歩いた。モミの林をのぞいてみたり、アレクと牧草地を散歩したりもした。花をつんで花束を作り、畑のうらの沢ですずんだ。わたしがどれだけ遊びまわろうと、レイスは怒らなかった。どうでもよかったのだろう。ただ、釘だけはさされた。

「あんた、どこをうろつこうと勝手だが、城には近づくなよ」

「どうしてよ?」

 わたしが聞きかえすと、レイスはつづけた。

「あそこで狼が十六頭と、人間が二十三人死んでいる。それでも行きたいか?」

 わたしは顔をしかめた。そんな恐ろしいところ、わざわざ行きたいはずもない。

 そうでなくても、見るべきものは、ほかにたくさんあった。七月も半ばに入った山は、一年で一番いい季節をむかえていた。空も風もあかるく、緑はあざやか。牧草地のあちこちには、アンゼリカが星を輪のかたちに浮かべたような、大きな白い花を咲かせていたし、黄色いユリや、マーガレットの群落が、それぞれ、花ざかりをむかえていた。小さな紅色のフウロソウ、風にゆれるマツムシソウ。夢のように美しい谷底をよこぎり、わたしは谷のまんなかを流れる、プーラ河を見物しにいった――白い河原、白波をたてる水、跳ねるマス。川べりにとまる、宝石のような薄青のトンボ。

 畑にも、夏はおとずれていた。花がおわったザクロには、あざやかな朱色の実がかがやき、イチジクにも、小さな青い実がついた。ジャガイモはいよいよ収穫期に入り、ペーテルがためし掘りをしてくれたが、予想どおり、出来は悪かった。

「これじゃあ、皮をむいたらなにも残らないわ」

 指先ほどの芋に、わたしが文句をいうと、ペーテルは答えた。

「じゃあ、皮ごと食ったらいいさ」

 トマトもだめ。ナスもだめ。いんげん豆ばかりが元気で、毎日、くどいほどになりつづけた。せっせと食べても、とても追いつけない。食べきれず、つるにさがったまま固くなった豆を見て、ペーテルは目をつりあげた。わたしはぼそぼそと言いわけをした。

「だって、とても食べきれなかったんだもの」

「だったら、漬けものにでもすりゃあいいだろ! ――って、あんたにゃ無理か」

 どなってから、頭をごりごりとかき、ペーテルはため息をついた。

「しょうがねえ、あんた、姉ちゃんにたのめ。せっかくこんだけなってるもんを、無駄にしたらばちがあたる」

 エステラに頼みごとなんて! わたしは口をへの字にしたが、ペーテルの言葉は正しかった。どうか手伝ってくださいますように、と、言い方だけは丁寧に、わたしはペーテルに言づけをたのんだ。

 すると、翌日の午後、大きなガラスびんと、お酢と、オリーブ油をもって、エステラがホローにあらわれた。洗いざらしの服をきて、髪をきゅうきゅうにひっつめたエステラは、小屋に入るなり眉をひそめ、わたしの目の前でふきんを洗うと、無言でテーブルをふきはじめた。まあ、なんて腹の立つ態度だろう――台所の使い方がきたないと、はっきり言われているようなものだ! 

 それから、エステラはお湯をわかし、そのお湯でびんを煮沸するあいだに、飛ぶようないきおいでインゲン豆のすじをとった。同時に、なべで酢と塩とにんにくを煮たて、最後に、すじを取った豆を、そのなかに放りこんだ。

「すごいわねえ」

 腹を立てたのもわすれて、わたしはほめた。エステラのこの手早さを見れば、わたしはもちろん、レイスですら、料理については素人だとわかる。

「料理人など、やとえる身分ではないですから」

 エステラはつんとしながら、煮あがったインゲン豆をびんにつめた。上から、きっちりと油を注ぐ。

「中身がいつも油につかっているよう、気をつけてください。さもないとカビがはえます」

 口調こそ丁寧でも、その態度は、すばらしく刺々しかった。わたしのしたことを思えば、無理もない。

「わかったわ。ご親切さま」

 負けずに丁寧に、わたしが答えた、そのときだ。

 ふいに、羽ばたきの音がきこえ、エステラが顔をこわばらせた。持っていたかごをテーブルにおき、どこかに隠れたいとでもいうように、一歩、二歩とうしろにさがる。

 けれど、間にあうはずもなかった。なにをする暇もなく、レイスが戸口にあらわれた。そして、立ちすくむエステラに目をとめて、言った。

「ああ、今日だったのか。すまないな」

「……とんでもありません、若さま」

 押し殺したような返事は、はっきりわかるほどふるえていて、わたしは思わず、エステラの顔をのぞきこんだ。

 エステラは真っ赤だった。深くうつむき、引きむすんだ唇はふるえている。

 そして――そのまま。レイスが立ちさったあとも、エステラは動かなかった。動けないのだ。

 少しためらってから、わたしは手をのばし、エステラのかわりに、のこりの荷物をまとめた。布きんや調味料をかごにをつめながら、小さな声で言う。

「――気にしないことよ。あなたの顔なんか、どうせ、あっちからは見えてやしないわ。小屋のなかの方が、外よりもずっと暗かったもの」

 怒ったような顔で唇をかみ、エステラは、わたしが差しだしたかごを受けとった。だまって小さく会釈し、そのまま出ていく。

 その後ろ姿を見送ってから、わたしは彼女にわたすつもりだった硬貨が、前掛けのポケットに入っていることに気がついた。今日の手間賃として、支払おうと思っていたものだ。

「……まあ、いいわ」

 わたしから、といって渡したところで、絶対に受けとりはしないだろう。

 それに――今はきっと、誰とも話したくないにちがいない。

 

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