第14話
夕方、ペーテルとロバが帰るころには、畑は半分以上、きれいになっていた。二日でできるといったのは、嘘ではなかったのだ。
働いたのはペーテルだけだったけれど、わたしはほんとうにくたくただった。日に焼けた肌がひりひりするし、お腹だってぺこぺこだ。そこで、顔と手をあらうと、テーブルに置いたままだったペーテルの包みをもう一度あけて、なかの丸パンとチーズを、もう一切れ、大きく切った。それから、一緒に入っていたハムをしまうところをさがしたけれど、これは、迷う余地がなかった。小屋には、レイスが寝床がわりに上に寝ている大きな衣装びつのほかには、ひどく古びた、小さな戸棚がひとつ、あるきりだったからだ。
お腹ほどの高さの戸棚をあけると、一番上の段に、塩と、布に包まれた古いパン、チーズの切れはしがおいてあった。わたしは古いパンのとなりに新しいパンをおき、古いチーズのとなりに新しいチーズとハムをおいた。それから、ほかに食べものがないかと、棚のなかをさがした。
棚の中段には、洗いざらしのふきんと、数のそろわない食器が入っていた。下段には、ひからびた羽根ペンと、かわいたインクつぼ、古い台帳と薬箱が入っていた。わたしは薬箱をあけてみた。なかは空だった。
戸棚をしめ、立ちあがる。まさか、御当主さまの毎日の食事が、パンとチーズとハムだけ、なんてことはないはずだ。
ところが、物の少ない小屋のなかに、ほかに食べ物といえば、暖炉の前にぶらさがった、古いサラミが一本だけ。どこかに食料置き場があるのかと思い、外にもでてみたけれど、見つかったのは、納屋のたまねぎだけ。お茶や砂糖すら、どこにもない。
あまりのことに、泣きたくなる。というか、本当に涙が出てきた。一日じゅう、じりじりとしたお日様の下にいたのに、お茶の一杯もないなんて――! これから毎日、脂くさいハムと、こちこちのパンを食べて生きていけというのだろうか!
そのうち、日が落ちて、探し物はできなくなった。この上なくみじめな気持ちで、わたしは椅子に腰かけた。水さしの水を飲み、さっき切ったパンにかぶりつく。日がたつとこのパンがどれだけ固くなるのかは、もう知っている。いっそ、今のうちに全部食べてしまいたいほどだ。
「それにしても、どういうつもりなのかしら」
パンをかじりながら、わたしは、いらだちを声にだした。もちろん、いらだつ相手はレイスだ。
「もっといくらでも、やりようがあるでしょうに!」
レイスなんて、子供のころは、わたしよりもぜいたくに暮らしていたにちがいないのだ。あの城を見ればわかる。女中だって、下男だって、ディースとは比べものにならないほど、大勢いたにきまっている。
それが今では、石小屋暮らし。固パンとたまねぎを食べながら、家畜の世話までしているなんて。それでは――それでは――このわたしが、ずいぶんと怠け者のように見えるじゃないの。
すねた気持ちでパンを食べおえると、わたしはそのまま、納屋に引きあげた。どうせ、レイスの方でも、わたしの顔など見たくないにちがいない。だったら、まだ明るいうちに、少しでも寝床をととのえて、昨日よりもましな夜をすごすほうがいい。
翌朝、気温はぐっと下がった。毛布をふやしたにもかかわらず、わたしはふるえながら目を覚ました。
暖炉のそばで顔をあわせても、レイスはおはようすら言わなかった。それどころか、先に食事をおえ、小屋をでていくまで、一言もしゃべらなかった。
つまりは、黙認ということだろう、とわたしは考えた。無断でペーテルをやとったことが、レイスに、ばれていないはずはないのだ。一日で、畑の半分をきれいにするなんて芸当が、このわたしにできるはずがないのだから。なのに何も言わないということは、それでいいということ、少なくとも、わざわざ文句を言う気はないということだ。――いいでしょう。なら、こちらも好きにやらせてもらうわ。
そのペーテルは、朝食のあとにやってきた。たいそう上機嫌で、わたしが何も手伝わなくても、怒るどころか、鼻歌まじりだ。――こんな仕事が、そうまで楽しいなんて! わたしはほとほとあきれてながめていたが、とうとう、退屈まぎれにたずねてみた。
「いったい、なにがそんなに楽しいの?」
「だって、お給金がもらえるんだもんよ」
ごっそりからまった豆のつるをもちあげ、ひもで支柱にくくりつけながら、ペーテルはいった。
「家じゃ、いくら手伝ったところで、もらえるのは姉貴の小言だけだもん」
それから、ペーテルは、いろんな話をしてくれた。谷から四マイルほど西にある、サーレという村にすんでいること。十年前にホローがつぶれたせいで、村には仕事がまったくなく、父も母も出かせぎに出ていること。それでも暮らしはかつかつで、家には台所のほかは一間しかなく、その一間にリューマチの祖父が寝ているために、ペーテルと姉は台所で寝ていること。
「まあ! それじゃ、着がえはどうするの!」
わたしは思わずさけんだ。
「女の人と男の人が、同じ部屋で暮らすなんて!」
「女の人ったって、姉ちゃんじゃなあ」
と、ペーテルはしぶい顔をした。
「香水でもふった美人と一緒だってんなら、俺だって、いくらでも気にするけどなあ!」
ペーテルはとにかく、いったんしゃべりだすと、とめどなくしゃべるたちだった。昨日はあれでも、遠慮していたのだ。話題はおもに、すぐに怒るお姉さんについてで、その話があんまり面白いので、わたしは草の上をころげまわって笑った。そしてお返しに、ディースの二人の兄のことを、面白おかしく話してきかせた。ヤン兄の底意地の悪さや、にもかかわらず、父さまもばあやも、ヤン兄を溺愛していることを。家の中の事情をべらべらしゃべるなんて、淑女として、もっともはしたないとされる振る舞いだけれど、かまわない。ここは、お高くとまった社交界ではないもの。むしろ、その、正反対の場所だもの。
ところが。
驚いたことに、夕方、ペーテルが帰ったあとで、その彼の、『姉ちゃん』が、突然、ホローにやってきた。
レイスはまだ帰っておらず、わたしは小屋のテーブルで、一人、パンを食べていた。近づいてくるひづめの音に、スカートのパンくずをはらって戸口に出ると、そこにはペーテルのロバとならんで、わたしより少し年上の、見知らぬ娘が立っていたのだ。
わたしを見て、娘は顔をこわばらせた。青ざめた、といってもいい。
そこで、わたしはぴんときた。ペーテルの姉だ。――姉貴もかわいそうに、とペーテルがいっていた、その『姉貴』だ。
「しつれいですが、ディースのお嬢さまですか。わたしはペーテルの姉の、エステラと申します」
固い声で、ペーテルの姉はいった。思ったよりていねいな物腰、きれいな言葉づかいだ。農民らしく、体つきはがっしりしているものの、背は高いし、顔立ちもわるくない。なかなか品のいい娘だ。わたしは鷹揚にうなずいた。
「そうですけど、なにか?」
「突然申しわけありません、お嬢さま。今日は、お願いがあってまいりました。――どうか、うちの弟に、おかしなお話をもちかけるのは、やめていただきたいのです」
一瞬、聞きまちがえたのかと思った。わたしは顔をしかめ、一歩、前に出た。
「おかしな話って、なによ。わたしはペーテルに、畑を手伝ってもらっているだけよ」
「はい。それは、弟から聞いております。ですが、わたしたちサーレの者が、ホローの殿さまのお手伝いをして、それで、お金などいただくわけにはいかないのです。わたしたちは代々、ホローの殿さまのご恩をうけて暮らしてきた身、今も、そのおかげで暮らしている身です。そのうえ、分にあわないお金までいただくなど、とんでもないこと。とてもお受けできません」
わたしはいらいらと腕をくんだ。屋敷の女中たちが、よくわたしに見せた、こういう態度を、なんと言うのか知っている。慇懃無礼というのだ。
エステラはつづけた。
「それに、ペーテルにとっても、ためになりません。ただでも怠け者なのに、こんなことでは、あの子、うまい話でもうけることばかり考えるようになってしまいます。お気持ちはありがたいのですが――迷惑なんです」
その一言で、わたしの怒りに火がついた。
「――迷惑ですって? よくまあ、そんなことが言えるわね!」
はん、とわたしは鼻で笑った。
「でも、まあ、いいわ。貧乏人にも、誇りはあるんでしょうからね。でも、だからってわたしが、あらごめんなさい、なんていうとでも思った?」
肩を怒らせて、わたしはつづけた。
「よく聞きなさいよ? ペーテルをやとったのはわたしで、レイスじゃありません。だからあなたが、いくらホローのご恩をふりかざしたところで、この件には、そんなもの、ぜんぜん、まったく関係ありません。余計な口出ししないで!」
「……どのように申されましても」
と、完全に平静な、つつましい態度で、エステラはこたえた。
「わたしどもとしましては、お金を受けとるわけにはまいりません。お嬢さまのご意向にそえず、大変申しわけないのですが――」
一見、へりくだっているように見えるけれど、エステラはかたくなだった。わたしには、彼女の心がありありとわかった。ディースの女中たちと同じように、内心ではわたしを馬鹿にしているのだ。世間から後ろ指をさされている、家出中の馬鹿娘の言うことなど、聞く必要はないと思っているのだ。
わたしはこんどこそ、完全に本気になった。いいわ。そっちがその気なら、こまっしゃくれたその鼻、今、ここで完璧にへし折ってやるわ!
「――ま、そりゃあね」
一転、やさしげにわたしはいった。
「たしかに、あなたがレイスに恩を感じたがるのも、わからないでもないわ。わたしだって、あなたの気持ちを考えると、かわいそうだとは思うもの――かなわぬ恋なんて、お気の毒だわ」
息をのんだエステラに、わたしはつづけた。
「でも、安心なさい? あなたのやきもちは、完全に的外れだから。レイスなんて、あんな不作法な男、わたしはぜんぜん興味ありませんから。――だからあなたも、人のすることに、余計なけちをつけないで!」
ぐっと一歩前にでて、わたしは地面を指さした。
「――ここのことは、わたしがレイスにたのまれて、そのわたしがペーテルにたのんだのよ。あなたがどう思おうと、わたしのすることに文句をいう権利は、あなたにはないのよ。わかった? わかったならさっさと帰ってちょうだい!」
血の気のうせた顔で、エステラはいっとき、わたしを見つめた。
それから、くるりときびすを返して、帰っていった。
片手を腰にあて、仁王立ちのまま、わたしはその背中をにらみつけた。しばらくのあいだ、そうしていた。
それから、どさりと戸口にすわりこんだ。
言い負かした喜びなど、もちろん、あるわけがない。自分でも、わかっている。完全な、八つ当たりだ。わたしにはいう権利のないことをいい、傷つける権利のない方法で、彼女を傷つけた。
だって、エステラが、いかにもまともそうだったから。ちゃんとした暮らしをして、自分に自信をもっているようだったから。――だから、わたしは嫉妬したのだ。わたしは、そんなふうになれたためしがないから。
顔をあげ、エステラが消えた小道を見る。
この先、彼女がわたしを許すことはないだろう。許しがたい、鼻持ちならない金持ちの馬鹿娘として、永久に記憶に残ることだろう。
……でも、べつに、いいわ。
どうせ、わたしは、こうだもの。
誰かに優しくなんて、できたためしがないもの。
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