第13話

 いったん話がまとまると、ペーテルはもう、遠慮しなかった。勝手知った様子で納屋にむかい、レイスの手鎌を持ちだして畑にむかう。木戸にからまるつるを断ち、青草を土ごと薙ぐ手つきはさすがのもので、わたしは思わず、心からほめた。

「すごいのねえ」

 すると、ペーテルがあきれたようにいった。

「すごいもんか。……っていうかよ。だんながなんて言ってんのか、知らねえけど。あんたもそうやって囃してねえで、少しはやったほうがいいんじゃねえの?」

 たしかに、ペーテルはあくまでも、わたしの手伝いなのだった。わたし自身が何もせずにいたら、レイスに追い出されてしまう。

 仕方なく、ペーテルがきれいにした土のうえにしゃがんで、わたしははじめての草引き――というか、草引きめいたこと――をやりはじめた。

 そして、すぐさま音をあげた。

「なんか刺したわ。かゆい」

「そりゃ、刺すだろうよ。そんな格好じゃ」

「腰が痛いわ。水が飲みたい」

「仕方ねえよ、あんた細っこいもん。水なら自分でくんできな」

 土のうえにしゃがみつづけるのは、それだけで、思いのほか重労働だった。汗はべとつくし、小さな虫が顔のまわりをぶんぶん飛びまわり、目や耳に入ってきそうでこわい。おまけに、靴ひもの上をクモが歩き、頭の上ではスズメバチが輪をかいている。ムカデだって、ヘビだって出てきそうだ。

 たまりかねて立ちあがり、わたしは背中をのばした。やっぱりこんなの、令嬢のする仕事じゃない。そのまま、しばらくペーテルが働くのを見ていたけれど、そのうちに、それにも飽きてきた。しかたなく、言われたとおり、井戸まで水をくみにいく。

「金持ちってのは、水差しも知らねえのか」

 両手に一つずつコップを持ってあるくわたしを見て、ペーテルがげらげら笑った。

「何よ。文句があるなら飲まなくてもいいのよ」

 わたしは、つん、と肩をそびやかした。

 とはいえ、ペーテルがすぐれた働き手であることは、みとめざるをえなかった。虫も、とがった葉も気にせず、裸の土をぐんぐんひろげていくのだ。積みあがっていく青草の山に、わたしはひそかに舌をまいた――たいしてかしこそうにも、まじめそうにも見えないのに、こんなに働くなんて。

 やがて、昼がすぎ、午後になった。わたしは途中で、ペーテルが持ってきたパンを一切れかじったけれど(焼きたては思いのほか美味だった)、ペーテルは、それには手をつけなかった。昼飯ぬきはよくあるもん、といって。

 午後になると、風はやみ、あたりはじりじりとした暑さにつつまれた。刈られた草の、青臭い匂いがあたりにたちこめ、聞こえるのはただ、ガリ、ガリ、とペーテルの鎌が土をけずる音だけ。空には雲一つない。ただ、太陽がゆっくりとうごいていくだけだ。

 こんな時間が、夕方までつづくのだろうか。わたしはため息をつき、鎌の先で土をつついた。退屈だし、つまらないし、暑い。あの、すずしいディースの居間で、井戸水で冷やしたゼリーを食べ、香料をいれたお茶を飲みたい。

 でも、考えてみれば、今のわたしに、帰る家などないのだ。家においてもらえなくなって、叔母の家に送られるところだったのだから。

 じわり、と目に涙がにじみ、わたしは、今、家でおきているはずの騒動を思いうかべた。わたしがいなくなって、父さまは怒鳴っているだろう。母さまは泣いているだろう。なにより、二人とも、ものすごく怒っているだろう。のこのこ帰ろうものなら、何を言われるか。今度こそ本当に、ワイン蔵がわたしの部屋になるかもしれない。前に閉じこめられたときは、夜ふけに出してもらえたけれど。

 それもこれも全部、レイスのせいだ。レイスが、ここに、一人で住んでいたりするからいけないのだ。そうでなければ、わたしだって、畑仕事なんか、させられずにすんだのに――。

「出た出た」

 ペーテルがいきなり声をあげたので、わたしはあわてて目をしばたいた。みると、ペーテルが草のなかから、茶色く下枯れたトマトを掘りだしたところだった。

「こりゃあ、まずいな。今年は、トマトは駄目だな」

「そんなの、どうだっていいわよ」

 わたしはふきげんに答えた。

「だいたい、わたしが来なかったら、あの人、どうするつもりだったのよ、この畑」

「そりゃあ、なんとかしたんじゃねえか?」

 けろりと答えたペーテルは、けれど、わたしの足元を見て血相をかえた。

「って、それ踏むなって! 掻きチシャ! 見りゃわかるだろうが!」

「わからないわよ!」

 言いかえしたとたん、涙がぽろりとこぼれ、わたしはあわてて目をこすった。ペーテルはあっけにとられた顔になり、まじまじとわたしを見ていたけれど、そのうちに、にやりと笑って、こういった。

「――ま、たしかに、あんたにゃ無理だわな。いいけど? しばらく手伝ってやっても」

「ほんとう? あんたも、忙しかったりするんじゃないの?」

 目をこすりながら、わたしはたずねた。すると、ペーテルは、ふん、と鼻をならした。

「べつに。どうせおいらも、ごくつぶしだもん」

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