第7話

 ディースから、ホローへ。

 プーラ河に沿ってつづく街道は、この国を南北につらぬく、古い移牧路のうちの一つだ。

 移牧路とはすなわち、羊の群れがとおる道。ゆるやかに丘をぬう道ぞいには、ひざまでのびたトウモロコシ畑や、野菜畑、果樹園にまじって、緑の牧草地が、つぎはぎ模様のようにひろがっている。

 春と秋には、たくさんの羊がこの道を通る。この春、北に向かった羊たちも、今ごろは広いルール山脈の、それぞれの谷間におさまって、青空のしたで草を食べていることだろう。

 道ぞいには、ときおり小さな村もある。たいていは丘の斜面にあり、つづら折りの坂道のまわりに、石造りの家々が、折りかさなるようにして寄りあつまっている。草花が植えられた小さな庭には、濃緑の葉をつけたざくろが朱色の花を咲かせ、その枝の向こうにのぞく丘には、櫛ですじをつけたような、緑のブドウ畑が広がっている。明るくかがやく、六月の田園風景だ。

 けれど、残念ながら、沿道の美しさをたのしむ余裕は、わたしにはなかった。

 なにしろ、誰も彼もが、わたしを見るのだ。路上でいきあう人も、畑で作業する人も、一人のこらず、わたしを見る。そして、ひそひそとささやきあう。あるいは、縁起のわるいものでも見たように、だまって目をそらす。

 わたしは、そ知らぬ顔をしていた。自分でもわかっている。わたしのような身分の娘が、一人で街道を旅していること自体、そうとう妙なことなのだとは。

 日が高くなり、往来がふえると、事態はますます悪くなった。とくに、数マイルごとに通る、村の中がひどかった。うわさが先回りしたのか、家の中にいる人々までが、路上に出てきてわたしを見るのだ。

 とくにひどいのは子供たちで、きたない手でこちらを指さしたり、声をたてて笑ったりする。なのに、目があうと、きまって顔をそらすのだ。

 人々のふるまいに、わたしは腹を立てたけれど、同時に、びくびくせずにもいられなかった。うすよごれた毛織りの服ばかりが目につくなか、一人、高級な染め地をまとい、飾り鋲つきのトランクを運んでいるのだ。鞍にしるされたディースの紋には、身元が知れないよう、布をかけてある。いつもならディースの竜を恐れて近づいてこないはずの物盗りが、今日は来ないともかぎらない。

 わたしはひたすら先をいそいだ。こんな、見せ物のようなありさまで、足を止めるのはごめんだった。

 けれど、お昼前になると、さすがに、のどのかわきが耐えがたくなってきた。なにしろ朝は、お茶も飲まずに出てきたのだ。それに、アレクにも水が必要だ。

 やむなく、わりあいに大きな村の食堂の前で、馬をとめた。店の子供に馬をあずけ、暗い入り口をくぐる。

 すると、奥の暗がりにいた男たちの話し声が、ぴたりとやんだ。無言でむけられる視線を、言葉になおすとするなら、こうだ――

『ここは、あんたが来るところじゃない』

 わたしはだまって店をよこぎり、うす暗い店の壁ぎわの席についた。息を吸い、震える声を押さえて言う。

「……あの。昼食と、馬にも飼い葉がほしいのだけど」

 じきに、太った女が料理をはこんできた。ひどく油っぽい、ニンニクのきついスープと、かいだこともないような匂いのパン。

「ありがとう」

 言ってはみたけれど、女はただ、わたしをじろりとながめただけだった。味のわるいスープとすっぱいパンを、わたしがのどに押しこんでいるあいだ、人々はうす暗い店の奥にならび、ひたすら、こちらを見つめていた。その目つきの暗さ、陰気さときたら、刑場の柵にならんで罪人を見つめるカラスの群れのようだった――って、別に、刑場のカラスを見たことがあるわけではないのだけれど。

 わたしはスプーンをにぎりしめ、胸のなかで言いかえした。いいわよ、好きなだけ見なさいよ。大金持ちのお嬢さまが、ライ麦のパンを噛んでいるところなんて、めったに見られないんでしょう?

 食べおわると、わたしはすっくと立ち上がり、胸のかくしから、高額のグロッソ硬貨をとりだした。そして、それをテーブルにおこうとしたけれど、手がふるえてとりおとしてしまった。銀色の硬貨は澄んだ音を立てて、テーブルの足のあいだをころがっていった。

「拾っておいてくださる?」

 店の奥のカラスの群れにむけて、わたしは高飛車に言いはなった。店の主人らしき男がうなずくのを見とどけ、足早に店を出る。お高くとまっていると思われようと、もう、かまうものか。

 外に出ると、きたならしいかっこうをした店の子供が、アレクの手綱をもって待っていた。手綱を受けとり、かわりに硬貨をわたすと、礼もいわずに店に駆けこんでいく。受けとった手綱をにぎりしめ、わたしはまぶたにぐっと力を入れた。

 今ごろ、うす暗い店の中では、男たちが笑っているだろう。とんだ馬鹿娘がとびこんで来たと、わたしをあざ笑っているはずだ。――驚いたねえ、ディースのご令嬢が、たった一人でお食事とは! お供の下男はどうしたんだ? 竜に食われちまったのか? 

 涙がこみあげ、わたしはこぶしを握った。ごみや食べくずでよごれた地面をにらむ。こんなところで泣くものか。こんな、うす汚れた田舎者の群れに取りかこまれた、まん真ん中で!

 ああ。いや。

 今すぐ、家に帰りたい。

 でも、帰れない。だって、そうでしょう? 決死の覚悟で家を出たのに、村で食事をしただけで逃げかえるなんて、それこそ、いい笑いものだ。街道ぞいのすべての村に、わたしの家出のなさけない顛末が知れわたるのだ。

 せめて、ホローまでは行かなければ。ホローまで行って、堂々と言ってやるのだ。――はじめまして。わたくし、ミリエル・ディースと申します。こちらの狼を拝見したくてまいりましたの。見せていただけませんこと? 

 人垣を割り、馬を北へ向けたのは、ほとんど意地だった。唇をかみしめ、前をにらんで、先を目指す。馬の耳のあいだだけを見つめて、ひたすらに進む。

 そうこうするうちに、あれほどうるさかった、沿道の人影がとぎれはじめた。道ぞいの畑も少なくなり、草原や木立ちがふえてくる。

 そのうちに草原もなくなって、濃緑の林ばかりがつづくようになった。上り坂がふえ、台地がでこぼこしはじめる。山すそに近づいてきたのだ。

 やがて、一面の雪のように白いプーラの河原が、木々の向こうに見え隠れしだした。平地が少なくなってきたせいで、街道と河が並走しはじめたのだ。河原にも、林にも、人の姿はない。木々におおわれた、うす暗い道がつづくばかりだ。

 わたしはぞくりと体をふるわせた。もしかすると、街道に出るという盗賊は、こんな場所をえらんで旅人を襲うんじゃないだろうか。棒や剣をもった荒くれ者どもが、飛び出してきたらどうしよう? 

 それとも、現れるのはディースの竜たちだろうか。かくれるところもない道を、まっすぐに進んできたのだもの、いいかげん、誰かが追いついてきてもいいころだ。――頭上にかぶさる枝のむこうから、わたしを追う竜の羽ばたきが、今にも聞こえてくるんじゃないかと期待する。けれど、竜はちっともあらわれず、ゆく手が明るくなってきたなと思ううちに、道は、唐突に林をぬけた。

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