第5話

 その日から、わたしは、二階の自分の部屋に閉じこめられた。階下には降りられないし、女中の見張りなしには、化粧室にすらいけない。

 ようするに、謹慎。『部屋にこもって反省しろ』ということだ。

 そして、そのあいだじゅう、父さまはわたしの前にあらわれなかった。

 人を閉じこめたまま姿も見せず、『迷惑をかけてごめんなさい』という言葉すら、言う機会をくれなかったことから考えるに、わたしが反省しているかどうかなんて、父さまにとってはどうでもいいことなのだろう。わたしがそのあたりをうろうろせず、使用人たちの前で、これ以上恥をかかされずにすむならば、それでいいのだ。

 とまあ、そんなふうに、小言の一つも言ってよこさない父さまとちがって、母さまはめずらしく、ひどく怒っていた。けれどそこにはまたちがう理由があって、わたしが夜、勝手に出かけたことに、なにより心を痛めていた。年頃の娘が、夜中に一人で外出するなど、ありえない破廉恥、というわけだ。娘が怪物のまえに飛びだしていったというときにまで、その貞節の心配ができるというのが、淑女の淑女たるゆえんなのだろうか。

 そんなわけで、事件から数日のあいだは、家族の者は誰一人、わたしの部屋をおとずれなかった。ただ一人の例外はエミリばあやで、ばあやだけは、気を落ちつけるお茶や、ハーブ入りの菓子をもって、日に何度か階段をのぼってきてくれた。目に入れても痛くないはずのヤン兄が、階下で寝こんでいることを考えると、これは予想外の心づかいといってよく、さすがのわたしも、今まで恩しらずだったと本気で反省しかけたほどだ。

 けれど、事件から三日もたつと、母さまの機嫌もだんだんとなおってきた。 どんなときでも長くは不機嫌でいられないのが、母さまなのだ。五日もたつと、差しいれに甘いものを持ってきてくれるようになり、七日もたつと、わたしの部屋で前のようにいっしょにおしゃべりをしながら、縫い物をしてくれるようになった。まあ、予想どおりだ。

 ヤン兄のぐあいも、良くなっていった。はじめこそ熱も高く、頭もぼんやりとして、やれ医者だ、博士だと大さわぎしたけれど、数日すると熱もさがり、食欲もでてきて、正直、拍子ぬけの感さえあった。でもそれも、ヤン兄らしいといえば、らしかった。

 ヤン兄が床をはなれると、意外にも、母さまの関心は、そっくりそのままわたしにうつった。ミリエル、あなたにも見てほしいのよ――そう言っては、都で流行中のスカートのひだや、すそ飾りの図案を部屋にもちこみ、そのうえわたしの夏服を、一度に何着か新調するとまで言いだした。

「そうねえ、あなたも、もっと、腕や肩をだしたドレスを着たっていいのよ。昔も今も、十六といえば、お嫁にいっていい歳ですもの――」

 リボンにレース。真珠貝のボタン。はやりの造花。えんえんとつづく母さまの話を、わたしはおもてむき楽しそうにきいていた。心の中では、どうしてあんなことをしたの、と一度もたずねない母さまにたいして、不満を感じていたとしても。結局のところ、ドレスの新調というのは、たしかに楽しいことなのだし――。

 つまりは、母さまの気づかいも、そう的はずれというわけでもないのだった。そこまでしてもらって、さらに文句を切り出そうという気には、娘として、なかなかなれないものだ。

 仕立て屋をえらび、布を注文する。仮縫いをし、試着をして、本縫いをする。

 そんなふうにして、一ヶ月がすぎた。



 その日もわたしは部屋で、母さまと、ドレスのすそに入れる刺繍について話しあっていた。今はやりの異国風の花柄が、来年も使えるかどうか、議論していたのだ。

 するととつぜん、ドンドン、という大きなノックの音がひびいた。

 わたしは思わず身がまえた。この家に、こんなに大きなノックをする人は一人しかいない。

「ミリエル、久しぶりだな」

 案の定、ドアのむこうからあらわれたのは父さまだった。ほがらかに笑いながら、部屋に入ってくる。 

 わたしはおどろいて、最低限の礼儀である、ごきげんようの挨拶さえ忘れてしまった。父さまと会うのは、クレイディルを見たあの日以来だ。それがいきなりの、この笑顔――。

 棒立ちになったわたしを見て、父さまは愉快そうに、からからと笑った。

「そんな恨めしそうな顔をしているところから見ると、お前も多少はお灸をすえられたと見える。だが若い娘が、そうすねるもんじゃない。かわいい顔がだいなしだ」

 そう言って部屋をみまわし、

「うむ、ここに来るのはひさしぶりだが、よくかたづけてあるようだな。しかし、もう少しぐらい、娘らしいはなやかさがあってもいいだろうに、なあフランシス」

 と、母さまに同意をもとめ、

「そこでだ、ミリエル。お前ももう十六だ。こんな田舎ではなく、ちゃんとした街で、娘らしいふるまいを身につけてもいいころだ」

 そこで一度、息をつぎ、

「そこでだ。母さまの叔母上のアリツィア殿は、お前も知っているだろう。あの方のところに、お前をしばらく、あずけさせていただいてはどうかとおもってな。お前もこんな田舎では、面白いこともなかろうし、あの方もお一人では、何かと御不便だろうしな。先日そのむね、おうかがいしたところ、ご親切にも、ぜひどうぞとのことだった。そんなわけだから――」

 それ以上は、聞く気にもなれなかった。わたしはだまって、長い息をついた。

 そりゃあ、たしかに、何かあるとは思っていた。このままですむはずがないと。

 でも、よりにもよってアリツィア大叔母だなんて。やせぎすで口うるさくて、あらさがしでは親戚じゅうに恐れられている老婦人じゃないの。

 けれど、本当の問題はそこではなかった。アリツィア大叔母は、うちから都をはさんで四百マイルのかなたに住んでいる。街道がととのえられているとはいえ、それは、女性がめったにすることのないような大旅行だった。

 それを、わざわざ行かせるというのは――。それだけでもう、父さまの考えは見えすいていた。

 わたしを追いやること。

 牧場もない、幻獣もいない場所へ遠ざけること。

 そうすれば、忘れると思っているのだ。竜のことも、獣のことも、何もかも。

「――では、わかったな、ミリエル。それでは、わたしは仕事があるからな」

 そして、足音も高く、父さまは行ってしまった。最後まで上機嫌に。そのくせ、わたしの顔など一度も見ずに。

 一人のこされた母さまは、困り顔で部屋をあるきまわっていた。急に荷作りなんていわれても、どうしたらいいのかしら、とつぶやき、衣装だんすをあけてドレスの数をたしかめ、棚につみあげられた帽子箱をかぞえて――そして、大きなため息をついた。

「だいたい、アリツィア叔母さまのところというのが、困りものよね。なにも、そんなに遠くにやらなくてもよいのにね。あそこじゃ、お前に楽しいようなことは、なんにもないわ。あの方は、夜会などにゆかれる方ではないもの。招待状をいただく前から、もう、お断りするような方ですもの。まあ、本当にどうしてかしら――お父さまも、もう少し考えてくださればいいのにねえ!」

 つまり、わたしが言うはずだったことは、全部、母さまが代わりに言ってくれたわけだった。そこでわたしはただ、だまっているよりほか、しかたがなかった。

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