第2話 海の要塞

 21XX年——。急速な地球温暖化と度重なる自然災害によって、陸部の三分の一が海部となった時代。

 人類は、陸上だけでなく海上にも居を構えるようになっていた。

 陸部では気温上昇や地震、火山の噴火等が相次ぎ、最早安全な所など何処にも無い。人口増加と陸部の浸水という反比例も相まって、多くの人々が海上を新たな居住区とした。

 だが、海上も安全とは言い切れなかった。

 約百年程前から突如、未知の生物である〈海魔〉が度々出現するようになったからだ。

 海魔が通常の海洋生物と異なるのは、人の丈を優に超える巨躯と凄まじい凶暴性。人を視認した瞬間、問答無用で襲い掛かってくる残虐な習性を持ち、当初は数多の犠牲者を出した。


 そこで、人類はイタリアに本部を置く海魔専門討伐機関〈Cavaliere Marina Militare〉通称〈CMM〉と、アメリカに本部を置く海上自然科学研究機関〈Maritime Natural Science Research Institute〉通称〈MNSRIマンスリー〉の二大組織を設立。前者は〈騎士〉、後者は〈賢者〉と呼ばれ、互いに手を取り合いながら世界の安寧を保っていた。




  *****




「どうやら、被害に遭った住宅街の月光灯全てが何らかの原因で消滅してしまい、それで付近の海魔たちが襲ってきたみたいっすね」

「月光灯が全て消滅? あり得ないでしょ、そんなこと」

「あり得るからこうして事件が起きたわけじゃないっすか」

「……まあ、それもそうだね」


 海上にぽつんと浮かぶ小島のように設置された、CMM日本管区・関東師団基地。

 その鉄の要塞の中で、海聖はレッドカーペットが敷かれた回廊を歩きながら直属の部下と話していた。

 長身で、一見硬派な騎士には見えない軟派そうな若い男性。

 刈り上げた金髪と目付きの悪い三白眼が特徴的な彼は、これでも海聖の右腕とも言える実力者である。

 関東副海域長サブリーダー卯波うなみ航志郎こうしろう

 それが彼に与えられた職位と名前だ。


「ひとまず、今回起きた襲撃の調査はあんたたちバディに一任する。いいね?」

「うげ……またあの女と難事件の解決に勤しまなきゃいけないんすか」

「別に騎士私らは探偵じゃないんだから、難事件解決は賢者のれいさんに任せばいいでしょ。あくまであんたはその護衛」

「……海聖さん。やっぱり、俺のバディを変更してもらうよう管区長マスターに打診してもらっても」

「するわけないでしょ。なんで私があんたの私情如きで管区長に口きかなきゃいけないのよ」


 一刀両断され、航志郎はがっくりと肩を落とす。

 あからさまに落胆する年上の部下に、海聖は「ドンマイ」とにべもない励ましを送った。


「あ、あとその管区長に私は呼ばれてて今から本部の方に行ってくるから、留守の間よろしく。何かあったらすぐに連絡して」

「りょ、了解っす……」


 未だげんなりしている航志郎に、海聖は呆れ顔で嘆息した。


「いつまでしょげてんのよ。いい大人がだらしない」

「海聖さんがあまりにも淡々としてるからっすよ!」

「バディの性格が苦手だから変えて欲しいっていう子供じみた理由に、海域長リーダーの私が納得するとでも? 仮にもし管区長マスターに直訴してたら、却下と言われて一蹴される程度じゃ済まないよ」


 馬鹿なことかすんじゃないって、その刈り上げ頭……かち割られるんじゃない?


 海聖が平然と放った一言に、航志郎は顔を青ざめさせて身震いした。

 その場面が易々と想像出来るほど、海聖の言葉は現実味を帯びている。


 ——確かに、管区長あの人ならやりかねないな……。


「さ、与太話もここまでにして。私はそろそろ行くから」

「俺のたっての希望を与太話で片付けないでくださいよ!」

「例の調査と基地のこと、頼んだよ」

「無視っすか!?」


 ちょっと、海聖さーん! 


 何とも情けない声が背後から聞こえてくるが、海聖は気にも留めず回廊を突き進んだ。


 ——このままじゃ埒が明かない。


 大人げないヤンキー同然(と、少なからず海聖は思っている)の部下と別れ、海聖は颯爽とその場を去った。






 陸上にある本部に向かう前に、海聖は一旦最上階にある自身の執務室に戻った。

 ドアを開けて中に入ると、来客用の椅子に座っていた人物がこちらに視線を寄せる。

 海聖が助けた女性——優里ゆりだ。

 彼女の両腕の中には、息子である優希ゆうきがすやすやと寝息を立てている。


「海聖さん」

「お待たせしてしまいすみません」

「いえ。丁度この子を寝かしつけていたので大丈夫です」


 そうですか、と海聖は微笑を浮かべて、優里と対座する形で自身も腰を下ろす。


「今後の予定についてですが、優里さんたちにはしばらくこの基地に滞在していただきます。月光灯消滅の原因が解明されるまでは、ご自宅も安全とは言い切れませんから」

「そうですか……」


 海魔は人間の気配を察知する能力に長けている。

 故に、優里たちの自宅が辛うじてまだ崩壊していないとはいえ、月光灯が点かない家に彼女らを帰すとなると、また同じ目に遭わせてしまう危険があった。


「なるべく早くご自宅に帰れるよう、こちらも最善を尽くします。また、恐怖体験によるショックやフラッシュバックで精神的なダメージを負った被害者も一定数いらっしゃるので、もしそのような不安や悩みがありましたら遠慮せずに申し出てください。基地にはカウンセラーも沢山いますから」

「はい。ありがとうございます」


 優里の疲れ切った笑みに海聖は一瞬哀切の色を浮かべるが、すぐに力強く頷いて再度腰をあげた。


「すみません。これから所用で本部の方に出向かないといけなくて……。この後、部下が優里さん達をお部屋に案内するので、何か分からないことがあったらその者にお尋ねください」

「分かりました」


 海聖さん。本当に、ありがとうございました。


 優里もまた立ち上がって、深々と首を垂れた。

 それに対し、海聖は「いえ」とかぶりを振る。


「一般人の生活と世界の安寧を守る——。それが私たち騎士の使命ですから」


 意志の強い眼差しを受け、優里は感心したふうに言う。


「海聖さんは凄いですね。まだ十八歳とは思えない程しっかりされていて、その上海域長リーダーだなんて」

「いいえ。私なんてまだまだです」


 少なくとも、両親や祖母には敵いません。


 己のかんばせに僅かな影を落とすや否や、こんこんとノックの音が室内に響いた。

 双方共にドアの方へ顔を向け、海聖は「どうぞ」と入室許可を出す。

 失礼します、と女性の声が聞こえ、ぎいとドアが鳴いた。


「阿辻海域長。優里さんをお迎えにあがりました」

「分かった。それじゃあ、優里さん。一緒に下まで降りましょうか」

「はい」


 



 一階のロビーまで降りたところで、海聖は優里たちが女性騎士の案内を受けながら去って行くのを見送り、そのまま地下へと移動した。

 地下はそのまま海に面していて、普段騎士たちが警邏や偵察に使用する水上バイクや電動サーフボード等を停泊させている。専用のカードキーを認証パネルに提示すれば、海門が開いてそのまま外に出れる仕様だ。

 海聖は愛機に乗り込み、電気エンジンを始動させる。

 常に腰に帯びている十字剣や、愛機に装備している狙撃銃など諸々の武具や道具があることを確認し、海門の方へバイクを動かした。

 慣れた動作でカードキーをパネルに当てると、緩慢な動きで海門が開き眩しい光が視界を覆う。


「海域長!」

「本日の巡回は終わったはずでは?」


 そこで、海門警備の男性騎士二人が驚いたように声をかけてきた。


「さっき本部から呼び出しがあってね。少しの間ここを留守にするから、引き続き警備を怠らないように」

「はっ!! お気をつけて」


 男性騎士たちの敬礼に見送られながら、海聖はフルスピードで陸部を目指した。

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