第3話 新たな相棒

 真っ直ぐ陸部を目指して約十数分後。

 関東の南側沿岸部に設置された、CMM日本管区本部が姿を現わし始めた。


 日本は今、大きく分けて九つの〈地区〉と呼ばれている島々から成り立っている。

 北海道地区、東北地区、関東地区、中部地区、関西地区、中国地区、四国地区、九州地区、沖縄地区——。

 度重なる地震により日本列島は大きく分断され、更に小さくなった島群で構成されるようになっていた。

 海聖は、その関東地区周辺の海域——通称〈関東海域〉に出没する海魔の討伐を牽引する関東海域長リーダー。普段は海域の南東側に構えている関東師団基地で指揮を執っている。

 そして、彼女を含めた九人の海域長を束ね、尚且つ日本の騎士海軍の頂点に君臨しているのが、管区長マスターと呼ばれる日本管区の最高権威だ。

 今回の呼び出しはその管区長直々のもので、どうやら至急伝えたいことがあるらしい。


——電話で連絡してこないあたり、よっぽど重要な話なんだろうね……。


 妙に胸騒ぎがする、と僅かに眉根を寄せて、海聖は本部専用の停泊場に愛機を止めた。

 久方ぶりの上陸に感慨深く感じるのもほどほどにして、堅牢な赤レンガ造りの建物の正門入口へと回る。

 漆黒の正門前には男女二人組の警備騎士がおり、海聖を視認するなりきびきびとした動作で敬礼する。


「阿辻関東海域長!」

「管区長から既にお話は伺っております。どうぞ、お入りください」

「ありがとう」


 正門が開くや否や、海聖は謝意を述べて本館の方へと歩いていく。

 今の時代には珍しい木製扉を開くと、正面ロビーでは大勢の騎士が忙しなく行き交っていた。

 中には海聖の存在に気づき、「海聖さんだ……!」「阿辻海域長よ」などと好奇の視線を寄せてくる者たちもいる。

 それもそのはず、海聖は一年前――わずか十七歳という若さで海域長に就任し、史上最年少海域長として国内から注目されていた。

 また、それだけに留まらず、海魔討伐率100%を誇る圧倒的な強さから、最強の女騎士として海外管区からも一目置かれる存在である。

 最後にもう一つ——周囲の目を惹き付けてしまう原因があるのだが、それはいずれ分かることだ。


 だが、当の本人はこうして持て囃されることを嫌厭していた。

 理由は単純明快。うっとおしいからだ。

 時折、自身を尊敬するがあまり必要以上に言い寄られることがある。

 尊敬や羨望の眼差しを送ってくれるだけならまだ有難いが、度が過ぎるとそれは執着となって面倒事の種となり得た。


――だからなるべく本部には顔を出したくなかったのに。


 ほんと、ときたら。

 自然と眉間に皺が寄り、盛大な溜息が零れ出る。

 早く人目のつかない管区長室に行こうと、ロビー中央の階段に向かって歩き出した途端、ふと見知った人物が視界に入った。


 長身な航志郎よりもまだ少し丈がある、すらりとした体躯が特徴的な美丈夫。

 身長のみならず濃紫の髪も腰のあたりまで伸ばされており、邪魔にならないよう丁寧に一括りにされていた。

 背筋を伸ばし、爽快感溢れる人好きな笑みをこちらに向ける様はまるで執事のようであり、その美貌から女性と見違えてもおかしくはない。


――ああ、でも……あの背丈の女性はそうそういないか。


 海聖が男性の元へ歩み寄ると、彼は一層笑みを綻ばせて迎え入れた。


「お久しぶりですね、海聖様。御足労をおかけし恐縮です」

卓美たくみ。いい加減、その『海聖様』って呼び方やめてくれない?」

「なぜです?」

「だって、あんたの方が私より階級上じゃない」


 彼——海門うなと卓美たくみ副管区長サブマスターの地位にある。管区長マスターの補佐役であり、海聖たち海域長リーダーより一つ階級が上の上司と言えた。


「確かにそうですね。しかし、貴女様も階級は自分より上だと言っておきながら、タメ口で接しておられるではありませんか」


 意表を突かれ、海聖は言葉に詰まる。

 その様子に、卓美は「申し訳ありません。少々意地悪が過ぎましたね」と特に反省の色を見せずに謝罪の言葉を口にした。


——直属の部下が卓美こいつじゃなくて航志郎で良かった。


 海聖は顰蹙ひんしゅくしつつ、内心そう独り言ちた。

 何せ眼前に佇むこの美男は、少しからかい癖のある厄介極まりない人物だった。

 それも相手の図星を突いたり、痛いところを確実に指摘する。

 対して航志郎は直情的で熱血漢な一面があるので、まだ御しやすかった。


 海門卓美を言い負かし、尚且つ彼を圧倒させることが出来る——言い換えれば、彼の冗談や戯れが通用しないのは、あの人だけだ。


「貴女を様付けでお呼びするのは、私なりの敬意があってのことです。海域長の地位では勿体ないほどの実力、名声が貴女にはある。それに——」

「だから、私はそれが嫌なんだって」

「それ、とは?」

「最強の女騎士とか、海域長以上の実力とか言って相手が一方的に持て囃すこと。こっちはちやほやされたくて騎士をやってるわけじゃないっていうのに……」


 吐き捨てるように言った後、海聖は視線を泳がせて訥々と付け加える。


「あとは、まあ……もあるし」

 

 曖昧に濁した呟きを卓美は察し、「なるほど」と頷いた。


「それは、御不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。では、何とお呼びすればよろしいでしょうか」

「阿辻。それか、関東海域長」


 即答した海聖に、卓美は一瞬目を丸くして思わずといった風に吹き出す。


「何で笑うの」

「いえ、まさか即答されるとは思わなくて……。失礼しました」


 ほんと、こいつと話していると調子が狂う。いや、無理やり狂わされる。

 とっとと用を済ませて早くここから抜け出したい。

 今にも踵を返してしまいたい気持ちに駆られながらも、必死にその衝動を押さえつけて海聖は年季の入った木製の階段に足をかける。


「もういいでしょ。これ以上、管区長を待たせるわけにはいかない」

「そうですね。


 後に続く卓美を、辟易した面持ちで振り返る。


「さっき、私は何て言った?」

「阿辻、あるいは関東海域長とお呼びするようにと」

「じゃあ何でそれ以外の呼び方をするの」

「前者の呼び方では色々とややこしいですし、後者の方は職位で呼ぶことになりますから」

「別に職位呼びでいいじゃない」

「私はなるべく肩書ではなく、名前でお呼びしたい主義でして。それは海聖さん以外の騎士にも適用されます」

「……あっそ。じゃあもう勝手に呼んで」

「はい。勝手に呼ばせていただきます」


 本当に、腹の底が知れない奇妙な男だ。

 秘かに嘆息しながら、海聖は二階の最奥にある管区長室へと急いだ。


 


 目的の部屋に着くと、それまで後ろに控えていた卓美が前に進み出て扉をノックする。

 「どうぞ」と威厳ある女性の声が返ってくるや否や、卓美は「失礼します」とドアノブを捻った。海聖も一言断りを入れ、彼の背を追う。


 入室すると、部屋の真ん中に配置された執務机の前に三人の人物がいた。

 一人は騎士の制服を身に纏い、他の二人は賢者の制服である白衣を着用している。

 騎士海軍と同じく、胸元には銀の十字架と中央に配された林檎のブローチがあった。


「あっ、海聖ちゃん! 久しぶり~!」


 そこで、賢者の一人が入室早々甲高い声を発した。

 

「お久しぶりです。玲さん」

「元気にしてた~?」

「はい。御蔭様で」


 ひらひらとこちらに手を振っているのは、明るい茶髪のロングパーマが特徴的な女性だった。

 天堂てんどうれい。MNSRI日本支部の副支部長を務めている優秀な気象学者で、航志郎のバディである。

 フリルのついたミニスカートにネクタイ付きのノースリーブジャケットという、いわばアイドル衣装を白衣の下に身に纏っており、中々に風変わりな女性だと海聖は初対面の時思ったものだ。

 なぜそんな服を着ているのかと問うと、


『あ~。実はこれね、推しが着てる衣装と一緒なのよ~! 何よりすっごく可愛いじゃない!?』


 とのことだった。


 二十代後半なのにも関わらず、中身は中高生くらいの少女同然だ。

 おまけにマイペースという一癖二癖ある人物なので、航志郎は彼女に対する苦手意識を持っている。

 その点に関しては海聖も同情せざるを得なかった。


——確かに、もしこの人が私のバディだったら絶対に振り回されてる……。


 ドンマイ、航志郎。

 海聖が秘かに部下に対して憐みの情を抱いたところで、今度は騎士服を身に纏った人物が開口する。


「忙しい中、急に呼び出して悪かったわね。海聖」

「いえ」


 ショートカットの黒髪には白髪が混じっており、こちらを見つめる怜悧な黒瞳は海聖のそれと同じだった。

 騎士服には豪奢な肩章や飾り紐が装着されており、かの女性の威厳と貫禄を更に引き立てている。


 彼女こそ、日本の騎士海軍を統べる最高権威——管区長マスターひじりだ。

 海聖の実の祖母であり、孫を弟子として育て上げた師でもある。

 海聖が先ほど言っていた『あの事』はまさにこのことだった。

 管区長の孫娘という切っても切り離せない血縁関係こそが、周囲が自分を持ち上げようとする主因。故に海聖は部下たちから噂される度に、唯一の肉親との繋がりに対して複雑な思いを抱かざるを得なかった。


「わざわざ本部ここに呼ぶということは、よほど重要な話があるとお見受けしますが」

「ええ。あなたに新しいバディを紹介したくてね」

「新しいバディ?」


 予想外の返答に、海聖は僅かに眉を顰める。


「三浦さんはどうしたんですか」

「彼には最近お子さんが生まれてね。育児休暇でしばらく仕事から離れることになったのよ」

「……なるほど、それで」


 三浦は日本支部の支部長だった賢者の男性だ。

 支部長を務めるだけあって、海洋学者としての才は抜きんでており、何より真面目で部下想いな人柄から騎士と賢者の双方からよく慕われていた。

 

——そういえば、前の海域調査の時にもうすぐ子供が生まれるって嬉しそうに話してたっけ。


「三浦君が復帰するまでの間、あなたには新しく支部長代理に就任した彼とバディを組んでもらいます」


 そう言って、聖は隣に佇んでいたもう一人の賢者に手を向けた。

 新しいバディは穏やかな笑みを浮かべたまま海聖を見据える。


 真白の癖毛と少し大きめの丸眼鏡が特徴的な青年だった。

 私服も薄水色のシャツに灰色のスーツズボンという、如何にも学者らしい質素な身なりで、玲と偉く対照的である。


——それにしても、この若さで支部長代理って……。


 まあ、自分が言えたことじゃないかと、海聖は内心軽く息を吐く。

 年は恐らく海聖の少し上の二十代前半。

 副支部長である玲が代理にならないあたり、周りから相当評価されている賢者なのだろう。


 海聖があれこれと推察していると、青年は一歩前に出て丁寧にお辞儀した。


「初めまして。本日付けであなたの新しいバディとなった、支部長代理の真潮ましおアルバと申します」

 

 よろしくお願いします。

 アルバと名乗った青年賢者が手を差し出してきたので、海聖もそれに応え握手を交わす。


「関東海域長の阿辻海聖です。こちらこそ、よろしくお願いします」

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