第12話 大疾走、天見優依
空間にいきなり浮かび上がったステージ衣装の
中にはビシッとしたスーツを脱ぎ捨てて、『I♡YUI』のTシャツに着替えて、ペンライトを取り出す者もいる。
呆気にとられるブロットと僕の前で、踊り、歌う天見優依の姿。
そこに音声も入る。
『Believe the dream! 信じる、夢があるなら、諦めないでね、進み続けようよ♪』
周りから男女問わず「優依ちゃーん!」、「Yui! Yui!」と声があがる。
いや、ここはライブ会場ではなくて、経済産業省の入り口……
もういいや。
歌が終わって、ブロットの方に天見優依の姿がアップになる。
「優依ちゃーん!」
おぉーい!?
ちょっと待て、ブロットも洗脳されたのか!?
最初、「誰? こいつ?」って顔をしていなかったっけ?
『応援ありがとー! みんな、大好きー!』
遠くの方にいるファンを見渡すように天見優依は両手を広げ、再度顔がアップになる。
『でも、悠ちゃんをいじめようとするジャーブルソンとブロットさんは大っ嫌いです!』
と言って、あっかんべーをした。
……あれ、ちょっと待って。
何で天見優依が『悠ちゃん』って言うの?
違う悠ちゃんかな。メジャーリーガーも含めて「ゆう」さんは沢山いるからね。
しかし、千瑛ちゃんがこの場に映して、違う悠ちゃんのことを話していたなんてあるのだろうか。
というか、千瑛ちゃんはそもそも何のためにこの映像を僕達に見せたんだ?
天見優依の人気の凄さを改めて教えようとしたということなんだろうか?
でも、そもそも二人はどういう関係なんだ?
分からない。
本人が答えてくれないことには分かるはずもない。
ひとまず、今はブロットとの話の続きだ。
「……えーっと、何の話でしたっけ。魔央の話でしたよね? あれ、ブロットさん?」
ブロットは微動だにしない。凍り付いているかのようだ。
僕は軽く肩越しに表情を伺った。
「ヒッ!」
そこに見たものは一生モノのトラウマになりかねない顔だった。悲哀とかそういう言葉では全然足りない、人生百回分の絶望をしてしまったかのような、恐怖と後悔に満ちた顔つきだった。
何やらスウェーデン語でブツブツとつぶやいている。
一つだけはっきり分かるのは、彼の精神が間違いなく崩壊してしまったということだ。
そうだ!
以前、先輩とボイスターズの試合を見に行った時に、天見優依の始球式の後、チームの選手が全く試合をできない状態にまで追い詰められていたことがあった。
山田さんは「希望を奪われた」と言っていたけれど、このブロットの顔はまさにそれだ。しかし、ボイスターズの選手の時とは比べ物にならないほどだ。
その原因も明らかだ。「ジャーブルソンとブロットさんは大っ嫌い」と天見優依が言って、あっかんべーをしたことにある。
至近距離で希望を奪われたことで、ボイスターズの選手とは比較にならないほど大きな希望を奪われてしまったのだろう。この様子を見ると、彼にはもう希望というものが全く残っていないのではないか、とすら思える。
恐怖と後悔、絶望で心を閉ざし、残りの一生を自分だけの世界で過ごすことになるのではないか、そこまでの恐ろしいものを感じる。
『オクセル・ブロットはやり過ぎてしまったわ。ジャーブルソンの活動だけにしておけばよかったのに、悠ちゃんも懲らしめようとしたものだから、優依ちゃんの怒りを買ったわけよ』
いや、それにしても、これはいくら何でもやり過ぎでは……
確かに喧嘩腰なところもあったけれど、協調が成立する可能性はあったのだし。
というより、そもそもブロットが怒ったのは千瑛ちゃんのドローンのせいだろ。
自分で怒らせて、「怒り過ぎよ」と逆ギレして人生破滅させるって、無茶苦茶じゃないか?
うっ。
映像上の天見優依がこちらを見ている。
一歩、二歩、僕の方に近づいてきた。
やばい。可愛い姿なのに、迫りくる幽霊みたいな怖さがある。
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