第3話 塩水と優依ちゃん
しかし、その本人と話をしてみると、そんな素振りは全く見えない。
「世界の発展は見込めないけど、人類を救うというのかい? 知恵の使徒」
『そうよ。今のままでは、ね』
「今のまま?」
何かを変える、ということか。
『ねぇ悠ちゃん、知っている? 人類にはね、足があるの』
「君は僕を馬鹿にしているのか?」
『馬鹿にはしていないわよ。足があるということは、どういうことなの?』
「動くことができるということだろ」
『そうね。でも、大半の人間は足があるくせに動こうとしないわよね。動けば環境を変えられるはずなのに、その場にとどまっている者ばかり。文句があるなら動けばいいのに、何故だと思う?』
「それは……故郷とか、国とか、家族とかがいるからじゃないの?」
『そうね。で、愚かな人間の思考はそこでストップする。そこで考えることをしない。少しでも考えることができるのなら分かるはずよ。国家のせいで動けないのなら、国家を動かせるようにすればいいのよ。あ、分かっているとは思うけど、国を動かすと言っても、今言ったのは選挙とか政治の意味ではないわよ』
「分かっているよ。でも、国家を動かす? 昔の民族大移動みたいなもの?」
『違うわ。箱舟を作るのよ』
「箱舟?」
『多くの巨大建造物があるでしょう? あの理屈で巨大船を作って、そこに国の機能を移せばいいのよ。アトランティス大陸とかムー大陸って聞いたことがあるでしょ? それらはひょっとしたら、古代文明人の作った国家としての船だったのかもしれないわ』
「……でも、アトランティスやムーは沈んだっていう話だよ?」
『これから作る箱舟が沈まないようにすればいいだけよ。船なら、災害も関係ないし、多国間関係も円滑になるわ。イスラエルとパレスティナは隣り合っているから喧嘩しているけれど、船にしてそれぞれが地球の反対側に浮かんでいればいいわけよ。対立がなくなるのだから、それぞれを高性能にしたいという思いを実現化しやすくなるわ』
「でも、それぞれの船で反乱とか内戦とか起きたらどうするの? あぁ、その場合は別の船に移ればいいわけか」
『そういうこと。国家に限らず、最先端企業の船も作ればいいのよ。SFとかで増えすぎた人口を整理するために宇宙船を作るという話があるでしょ? 何でわざわざ宇宙まで行くわけ? 海で良くない? 海が怖いわけ?』
「SF作品に喧嘩を売らないでよ」
巨大な船を作って、コミュニティごと大洋へ出て行く。
現在の建造技術などを考えれば不可能ではないのかもしれない。
ただ、それでもやはり実現できるかというと微妙だと思った。
「でも、国そのものを運ぶ巨大船を作るとなると、ものすごい予算が必要になるんじゃない? そんなお金があるなら苦労しないと思うけど」
『もちろん。だから、最初は国全部ではなく、エリート層だけを乗せる船ということになるでしょうね』
またぞろ木房さんと山田さんが騒ぎ出す。
「エリート層だけ船に乗せるなんて差別であります!」
「選民思想なんて感心しないわね」
「……君達は黙っていてくれるかな?」
一部を除いて全滅させたい君達に、文句を言う資格はないでしょ。
『国家体制なんて関係なく、エリート層が気にするのは自分達の地位が維持されるか、だけよ。それが大地と絡んで動かしようのない状態になっているのだから、まずはそれを動かすしかないわね』
「残された人はどうなるの?」
国家中枢が船に乗って外に出て行ったとなると、残された、というよりある意味捨てられることにならないだろうか?
『そこまで面倒を見ていられないわ……と言いたいけど、パンと見世物って言葉を知っているかしら?』
「ローマ帝国の言葉でしょ」
確か、ローマ帝国が巨大化した時に、ローマの民衆が政治家に「パンと見世物を寄越せ」と言った。
要は食料と娯楽があれば、納得するということだ。
『現代の私はこう提唱するわ。“塩水と優依ちゃん”で生きていけばいい、と』
「“塩水と優依ちゃん”?」
『私の知恵をもってすれば、塩水を改良して日々の糧とすることは可能だわ。あとは三日に一回優依ちゃんの歌を聞いていれば、生きていくために十分な活力も得られるわ』
「つ、つまり、庶民は栄養価の高い塩スープと、天見優依の歌だけで生きていけ、と?」
『そう。真水を作るのは大変だからね。優依ちゃんの歌なら、一週間に一度でも十分だけど、さすがにギリギリだと可哀相だから三日に一度にしてあげたのよ』
何だろう、「してあげた」とか言っているけれど、全然してあげた感がない。
『不満があるなら、“塩水と麻薬”でもいいわよ。満足すれば、人は生きていけるわけだし』
「余計ダメでしょ!」
『このくらいしないと、人類は救えないということよ』
「むむぅ……」
そうでない、と言いたいけど、そうでないと言い切ることはできなかった。
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