第5話 聖域の中へ

 神の教えを説いている。そう思っていた川神聖良かわかみ せいら先輩。


 しかし、彼女の語る神というものは、実は横浜DNAボイスターズのことだったらしい。



「ボイスターズは1960年と98年に優勝していますから、38年というのは実際に待った年だったんですね」


 魔央が携帯で調べて報告をしてくる。


 なるほど。98年から25年後は今年2023年だ。


 先程言っていた妙に具体的な待つ年数という者は、実際に経験していた年数だったということか。


 そもそも、先輩も含めて連れてきた面々は全員、生まれてから一度も優勝したことを経験したことがないことになる。

 よくよく考えると、これはすごいことなのかもしれない。



 ……さて。


 僕としては、完全に巻き込まれた形になったけれど、この状態は悪くないのかもしれない。


 何せ多くの仲間と一緒に、魔央と共同作業をできるのだから。周りの面々のようにボイスターズを応援しているわけではないけど、みんなでわいわいやるというのは悪くないことだと思う。

 過程はともかく、結果オーライかもしれない。




 と思ってしばらくゲートのそばを歩いていたら、淡い期待が一瞬で砕かれる。


「おや、時方様ではないですか」


 聞きなれた声にギョッとなって振り返る。

 そこには、今日も分厚い眼鏡をかけ、更にはオレンジ色の『負け組万歳!』というTシャツを着た木房奈詩きぶさ なうたの姿があった。


「こんなところで会うとは奇遇でありますね」


「た、確かに奇遇だけど……」


 そもそも、木房は何をしにこんなところにいるんだ?


 野球場に負け組万歳Tシャツを着て入るなんて、ファンに対して喧嘩を売りまくっているとしか思えないんだけど。


「……このような勝ち負けを競うところには、勝ち負けというものに囚われるあまり我を失う者共が沢山いるであります。まずはそういう、視野の狭い者から消していく所存であります」


「な、何ぃぃ?」


 確かに、選手を罵倒したりするファンは多い。

 そういう優先的に面々を消していくという。

 とんでもない話だ。


「こういう者達は皆にとって不愉快であります。誰も文句を言わないであります」


「そんなことはないと思うけど……」


 消していく順位というものを考えていけば、確かに周囲を不愉快にするだけの面々は優先されるべきなのかもしれない。


 それに、山田狂恋が押しかけてきた時に、彼女の協力を仰いだのは紛れもない事実だ。その負い目があるから、彼女に「止めろ」とは言えない。止める術もないし。


「でも、何でここに来たわけ?」


「この球場はワタクシの住む武蔵小杉からも近いのであります。ちょうどいい場所であります。これから毎日来るつもりであります」


「近いから、って理由だけで毎回ここで消していたら不公平じゃないの?」


 球場は日本中、いや、世界中にあるわけで、一か所だけ優先的に消されているのは明らかにおかしいんじゃないか。


 僕のツッコミに、木房はあっさりと頷く。


「確かに不公平であります。しかし、79億9000万人という人数を考えれば、とりあえず目につく者をかたっぱしから消していっても、さほど不都合にはならないであります。ワタクシは神ではないので、消されるべき順番の前後まではこだわらないのであります」


 無茶苦茶だけど、木房の言い分にはブレはないし、確かにその通りと感じさせるものもある。


「……ノルマはあるの?」


「なるべく多くであります」


 野球場でいきなり人が消えたら、しかも何十人と消えたりしたら大ニュースになりそうな気がするけれど、そういうことは全く気にしていなさそうだ。




 しばらく話をしているうち、木房が「ムッ?」と何かに気づいたようだ。


「どうやら急用ができたようであります。それでは、時方様、また後程」


「そ、そうだね」


 できればあまり会いたくないんだけど。


 あと、何に気づいて、向かう先がどこなのかも気になるけれど、あまり突っ込まない方が良さそうだ。


 試合開始も近いし、ひとまず僕も球場に入ることにしよう。


 るなべくなら木房の行動範囲から離れたところであることを祈るばかりだ。



 中に入ると、先程までセミナーを受けていた面々がずらっと整列していた。


 で、その最前列に魔央と川神先輩が座っている。


「時方君、そこに座りなさい」


「……分かりました」


 指定された魔央の隣に座る。


 魔央はというと、スタジアム名物のカレーを美味しそうに食べていた。チームの寮で若手選手に出されるものと同じカレーらしい。そして右手にはビールだ。


 うん、ビール?


「先輩! 魔央はまだ18なんですよ!?」


 18歳から成年という扱いになったけれども、飲酒に関しては20歳からだ。


 何より、魔央が酒を飲んで酔ってしまったら、何をしでかすか分からない。


「いいじゃないの。そこまで細かいことを気にしなくても誰も逮捕なんてしないわ」


「いや、そういう問題ではなくてですね」


「それとも何……? 彼女の秘められた力が発揮されるのを恐れていると、でも?」


「えぇっ!?」


 僕は心底仰天した。


 まさか、川神先輩は魔央のことを知っている?

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