Best wishes for your journey / 利根角成
名古屋市立大学文藝部
Best wishes for your journey
『
この件名の時点で僕はある程度察しはついたものの、
『平素より、お世話になっております。
株式会社○○の採用担当でございます。
社内で慎重に検討した結果、
白石様の採用を見送ることとなりました。
説明会やエントリーシートを出していただいた手前、
大変恐縮なのですが、
ご期待に添いかねる結果となりました。
白石様の今後のご活躍をお祈り申し上げます』
これが不採用メール、いわゆる「お祈りメール」と呼ばれるものだ。エントリーシート、採用面接、最終面接問わず、不採用を告げるメールは、就活生の今後を祈るという末尾と共に送られてくる。もっとも、最近では、「サイレント」、つまり、不採用の結果を一切通知しない企業があるので、今回のメールはまだ良心的とも言える。
メールのタイトルが『選考結果のお知らせ』のみの記載であったため、本文を読む前にある程度想定はできていたが、いざ読んでみるとダメージは大きい。
就活を恋愛に例えるのであれば、僕は○○株式会社に失恋した。合同説明会や面接で脈有りと感じたのは自分の勘違いだったというやつか。
失恋後に思い出の品を破棄するように、僕はメール右上の破棄ボタンをそっと押した。
僕はN市立大学の経済学部に通う大学生だ。経済学部といっても、N市立大学は経済学以外にも会計学、経営学と幅広く研究できる。僕は社会に出てから役に立ちそうだ、という理由で、経営学を専攻することにした。
最初から経営学をやりたかったかと言われると、実は違う。僕は、幼少期からロジカルに物事を判断できる法律に興味があったため、大学も法学部へ行きたいと漠然と思っていた。
しかし、大学受験が思い通りに行かず、色々悩んだ末、ここN市立大学の経済学部に通うことになった。全く経営学に興味がないわけではないが、どこか法学に未練があった。やはり、奨学金を借りてでも、私立大学の法学部系統に進むべきだったか、と今更ながら心残りを感じている。
選考開始前から勝負は始まっている。大学三年生の夏頃から、どこからともなく就職エージェントなる存在が現れ、インターンを
大学を卒業したら、法学系の院へ行ってみたい、そうした思いがあったのだが、周りの雰囲気、ゼミの先生から、文系の大学院進学は自殺行為だと一蹴され、流されるままに僕の就職活動は開始した。
なりたい自分など、働いてもいないのに分からない。コミュニケーション能力が欠けている自分にとって、やりたくないことは営業活動。よって内勤志望だ。消去法で決めていった就活の判断軸をもとに、企業分析を行う。エントリーする企業はおすすめ欄や内勤判断軸をもとに、効率よく絞る。
そして、三年生の三月から就職情報の解禁がなされ、四年生になった六月から面接解禁、内々定までこぎつけたら、十月の内定式へ移行する、これが経団連の定めたスケジュールだ。
しかし、最近は就職活動の早期化を受け、三年生の間にインターンシップ選考を受けて、そのまま内定をもらう学生が増えてきた。総じて、優秀な学生とそうでない学生の二極化が生まれたと言える。
じめじめとした天気、
もちろん、大学三年間何もしてこなかったわけではない。大学の授業を毎日かかさず受講し、最高評価の秀を目指して勉強を継続していた。所属している文藝部においては、執筆をし、会計を担った。バイトではイベントなどの裏方で縁の下の力持ち的役割を全うした。
しかし、面接官から返ってくるのは、生返事ばかりだ。「その手のエピソードはもう聞き飽きた」と言わんばかりの表情である。あくびをされたこともあった。
対して、自分の周りで内定をもらっているのは、授業中睡眠をとり、飲食のアルバイトを行っている学生、授業を休んで営業のインターンに励んでいる学生、ばかりである。そういう遊んでいる学生に限って内定がもらえる就活は、やはり不思議である。就活に必要なのは、大学での学習ではなく、コミュニケーション能力かもしれない。
周りよりもいいところへ行きたい、そうしたモチベーションはいつしか薄れ、とにかく抜け出したいという思考にシフトしていく。ジャケット、長袖ワイシャツ、ネクタイと気候に不適合なリクルートスーツに身を包み、今日も面接会場へ赴く。
「今日は○○株式会社の二次選考へ集まっていただき、誠にありがとうございます。本日は皆さんにグループディスカッションを行ってもらいます。議題は、どうすれば我が社の製品を顧客に買ってもらえるか、です。時間は十五分です。それでは開始です」
マイクを持った人事社員がパソコンでタイマーを作動させる。
グループディスカッションは、四人から五人のグループにおいて一つの議題について話し合うワークだ。ただ話し合うだけではなく、全員の意見をまとめ、発表するまで行うのが主流である。ここで人事は、適切に意見を言うことができたか、意見を調整することができているか、等を見ているそうだ。計測係、書記に徹して沈黙を貫く、のは御法度とされている。
僕たちのグループは、僕を入れて四人。黒髪を後ろで結んでいる大人しそうな女子学生の
「さっそくですけど、時間の使い方を決めましょう。十五分あるので、三分間は自分なりに意見を考えて、五分間共有、その後、発表準備にあてるのはどうでしょうか」
議論で言うファシリテーターの役割を意識し、呼びかけることができた自負がある。西条君は意見を積極的に言うアイデアマン役。反対に吉田さんは自分から意見を言うタイプではなさそうである。湯澤君は客観的な意見に基づいて反論を行う悪魔の役割だと直感で判断した。僕のやることは、アイデアマン役の西条君の意見を踏まえて、悪魔役の湯澤君に反論してもらう。そして時折吉田さんに意見を振れば、調整型のリーダーをアピールできる。このままいけばうまく行くはずだった。
「ちょっと待ってくれないかな」
場に一石を投じたのは湯澤君だった。
「白石君だっけ。うまくファシリテートしているのは分かったんだけど、このアジェンダのインサイトって分かっているのかな」
「えっと」
「ほらね。それ分からずにディレクションするのって、よくないよね。このグループディスカッションはASAPでやらないといけないから。時間がないから俺がファシリテートするわ」
眼鏡をかけたペテン師は、対話をするよりも、マシンガンを撃つように一方的に、それっぽく横文字を並び立てた。
「まずさ、このB2B《ビートゥービー》形態においての顧客のインサイトって、C2C《シートゥーシー》のインサイトと違うわけ。その前提セグメンテーションの差異も考えずに、みんなの意見をアウフヘーベンできないわけよ」
「すまん、アウフヘーベンってなんだ」
西条君が恐る恐る聞くが、ペテン師は鼻で笑いながら、
「君ってこの商社志望だよね。そんな用語も知らないで来るとか、ビジネスなめすぎじゃない?」
その言葉を聞いて立ち上がった西条君は、一瞬飛びかかりそうだったが、拳をぎゅっと握りしめて着席する。
吉田さんは周りに気を遣ってか、口をつぐんだままだ。
周りを気にせず、ペテン師は相変わらず自称ビジネストークを展開していく。
そんな様子を見ながら、人事はペンを走らせていた。
最悪だ。湯澤というクラッシャーのために、グループディスカッションは崩壊してしまった。
『先日の二次面接の結果ですが、ご期待に添えない結果となりました。白石様の今後のご活躍をお祈り申し上げます』
予想通りの内容が送られてくる。祈る、という本来プラスの意味を持っていそうな言葉も、就活においては無機質に感じられた。
「皆さんは就活を経験されたからイメージしやすいと思うのですけど、人的資源管理の分野でも就活は無視できないですよ」
就活の息抜きにと履修した経営学の授業においても、就職活動を引き合いに出されると、現実世界に引き戻される気分だ。教授の話が入ってこない。
しかも、黒髪から派手な髪色に変えた四年生たちは、夏休みにどこに行くかを隣の友人とひそひそと話している。他方、授業中にもかかわらず、パソコンでインターンシップのエントリーをしている三年生が目に付くため、より落ち着かない。最前列で授業の雑談レベルの内容までメモをしている自分が惨めに感じられた。教授は彼らの様子に気づきながらも、彼らが存在しないかのように授業を進める。
「就活をしてきた学生さんが多いってことで、今日は興味深い採用に関する授業を展開します」
教授がリモコンを押すと、スクリーンに映し出されたのは白で覆われた世界だった。経営学部の授業には不釣り合いの大自然。南極である。
「『探検担任を求む。至難の旅。わずかな報酬。極寒。暗黒の長い月日。絶えざる危険。生還の保証なし。成功の暁には名誉と賞賛を得る アーネスト・シャックルトン』という求人広告は知っていますか? 一九一○年頃、今から百年以上前に出された最古の求人広告です」
喜々として語る教授を尻目に、自分は求人広告の文章を目で追う。流し見をしたところ、成果報酬もほぼ期待できず、過酷な環境であることまで付記している。自分がこの当時見ていたら、ほぼ確実に素通りしていただろう。
「これは経営学で言われる、RJP、現実的職務予告です。皆さんが目にしてきた企業の求人は良い面が全面に押し出されているでしょう。どうしても企業が情報を持っていることから、情報の非対称性が発生します。一定仕方のない面があります。そこで、入社前と入社後のギャップを感じないように、あらかじめ辛い環境、薄い利益しか得られないと通告をし、それでも入りたいと思う人を雇うことが目的です」
なるほど。自分が合同説明会で聞いた説明で思い当たる節がある。レジュメにも目を落とすと、RJPにはワクチン効果が見込まれると記載されており、まさに、企業の悪いイメージをあらかじめ接種した上で入社させる、言い得て妙だ。
「実は裏話があるのですが、ロンドンでこの求人が出た際に、ロンドン中の若者が消えたらしいです。神隠しじゃないですよ。求人元に殺到したってことですよ。今じゃ考えられないですよね」
当たり前だ。今この条件で求人広告をうったとしても、人は集まらないし、何より日本でやったら、労働基準法を満たしてないので、バッシングは避けられない。
昔の若者と違って、今の若者は安定して、堅実で、線路のレールのように逸れることがない就職活動をしたいに決まっている。ご多分に漏れず、僕も。
あぁ、内定が欲しい。
「学生時代に頑張ったことは勉強だけなの。文藝部で会計やっていました、って言っても、どうせお小遣い帳の帳簿記入程度じゃない? そんなの誰だってできるよね」
「それって我が社じゃなきゃできないことなのかな。別に△△さんでもできることだよね。なんでうちにしたの?」
「何となく君は我が社のカルチャーには合っていないなぁ」
目の前に陳列された三人の最終面接官たちが間髪を入れずに畳みかけてくる。いかにも高級そうな腕時計、質の良さそうな万年筆から位の高さを感じられた。役員クラスだろう。
学生時代に力を入れたこと、通称ガクチカだが、ここまで言われたのは初めてだった。学生時代に力を入れたことは勉強じゃだめなのか。高校までは大学は勉強をする場所と口酸っぱく言ってきたのに、就職活動にはそれが求められないのは理不尽に感じられる。彼らは、文系大学生の履修した科目は就職には役に立たないと思っているのだろう。
また、△△ではやれなくて、御社でやりたいことなんてない。ただ、内定が欲しいだけなのだ。
百歩譲って、僕が
「面接終了予定時刻よりはちょっと早いですが、終わりにします。白石様ありがとうございました。選考結果は後日お伝えします」
人事からの無機質な通告と共に、面接終了のゴングが鳴った。
エントランスのドアが開くと、会社に隣接した名古屋の海からの潮風が吹き込んでくる。潮の匂いに加えて、どこかしらの工場施設特有の匂いがしてきた。
ボンネットで卵を割ったら目玉焼きができそうな、照りつける暑さ。平時なら本格的な夏の訪れを感じ高揚感を得ただろうが、リクルートスーツを着ている自分には酷烈に感じられた。
したたる汗が目に入り込む。ジャケットを脱いでも改善されない不快感。背中の汗がべっとりとシャツや下着にぴったりとくっついて離れない。あたりに誰もいないことを確認しつつ、少しでも涼を感じられるように、ネクタイを乱暴に外し、就活用の鞄にしまう。
砂漠でオアシスを探すように、無意識に自動販売機を探していた。帰路に港を見渡せる公園を目にした自分は、オアシスを求めて小走りで向かう。
自動販売機でお目当てのミネラルウォーターを見つけ、素早く電子マネーで購入する。取り出し口から出たペットボトルの水をその場で一気飲みし、ようやく涼を感じられた。
不快感がある程度薄れ、ふと沖合を見ると、金城ふ頭には不釣り合いのオレンジの
知的好奇心からか、はたまたどこか懐かしさを感じたからか、衝動に駆られ、園内でそれを確認できるスポットへと足を運んだ。
間近で見ると、オレンジの巨躯は迫力があった。船体に背番号のように、5003と書かれている。オレンジの救命ボートやヘリポートが搭載されていることが目視できたので、一瞬観光船、貨物船の類いかと考えたが、すぐに否定した。流体物理学等には明るくないが、自分が乗ってきた、見てきた船は、海上で波を切り開いていくため、船首が尖っていた。対して、オレンジの船底は、丸みを帯びており、お椀状であったのだ。これでは波を直で受けてしまうため、航海には適していない。
もの珍しさに、スマートフォンのカメラ機能で写真を撮っていると、ふいに男の声がした。
「これは砕氷艦しらせじゃよ。南極の航海をするために生まれた特別な船なのじゃ」
ふと見やると、髭を生やし、白髪まじりの初老の男性が立っていた。定年後と思われる風貌だったが、年不相応の若さをどこかしらか感じる。
「すまん、すまん。
そう言って、東堂と名乗る男性は、対岸の名古屋港あたりを指さした。目をこらしてみると、名古屋港水族館の前に、似たようなオレンジの船体が浮かんでいる。「しらせ」と呼ばれる船にどことなく既視感を抱いていたのは、子供の頃に同型の「ふじ」を見ているからかもしれない。
「名古屋港水族館前にある『ふじ』と現役の『しらせ』の共演は中々見られないからな。目に焼き付けておくといい。君も砕氷艦に興味を持ってここまで来たのか」
「ええ、まぁ」
頼んでもいないのに話始めた東堂氏に不快な思いをさせないように、適当に話をつなぐ。
「ちょうどこの船が目について来ました。普通の船は船底が尖っていると思うんですけど、この船は違う。船底が丸いからなんでだろうって思って」
僕は直感的に抱いた疑問を東堂氏にぶつける。
「鋭い指摘じゃな。普通の海上では確かに丸底は不利だ。だが、この砕氷艦が本領を発揮するのは、南極の海上なのじゃよ。南極の海上は氷で包まれておる。海水が凍った氷、そのままじゃが、海氷を砕くために適しておるのじゃ。君、ラミングと呼ばれる単語を知っているか」
「らみんぐ?」
初老の男性から発せられる謎のカタカナ語に、一瞬戸惑う。ただ、先日の眼鏡がひけらかしていた類いの用語ではないし、何よりも東堂氏の言い方に嫌みはない。
「ラミングじゃよ。砕氷船が厚い海氷にぶち当たった時、一旦船自体を後退させ、加速して海氷の上に乗り上げるのじゃよ。乗り上げた後、船自体の重さで氷を砕きながら、道を切り開いていく。だから、船底が丸みを帯びてるんじゃ。船が海氷に乗り上げやすいように」
喜々としてジェスチャーを交えながら語る東堂氏を愛おしく感じた。自分の専門分野を語り続ける教授のようだ。自分もその熱に押されて聞き入ってしまう。
「ちなみにラミングって何回くらいするものですか? 大体十回くらいですか」
両手を使い、十という数字を伝える。ただ、返答は予想を超えるものだった。
「百回は超える。この前の航海だと六百回は行ったかな。儂が南極へ行った時には海氷が厚くて、往復で五千回くらいラミングしたかの」
「五千回……」
想定を超える回数に言葉を失う。
「あれ、東堂さん、今南極へ行ったって聞こえた気がするんですけど、本当なのですか」
「ああ、行ったよ。儂が君みたいな二十代にさしかかるころだったかな。その時だ」
東堂氏は過去を思い出すかのように、砕氷艦に目を移す。
「儂はな、大学で地学を専攻していたのじゃ。儂が若かりしころ、宇宙の研究をしておって、その過程で隕石を勉強しておった。知っておるか、南極ってところは何もない分、隕石が見つかりやすいって。儂は隕石の研究をするため、大学の教授の紹介で砕氷艦に乗ったのじゃ」
確かにそうかもしれない。山の岩肌から隕石を見つけるよりも、南極の白い雪原に落下した隕石を見つけるのが遥かに簡単だ。
「それにしても、南極へ行く人なんているんですね」
「いるぞ。南極というのは、研究者の憧れなのだ。南極独自の生物、南極独自の自然現象、これらの謎を紐解きたい、そうした研究者が目指すのじゃ。教科書とかに載っておるオゾンホールの話も、実は南極での研究のたまものなのじゃ。もっとも儂の場合は、南極に落ちている隕石を通じて、宇宙に思いをはせたかっただけなのだが」
僕は文系教授しか見てこなかったが、知的好奇心のためなら社会学の神髄に果敢に挑戦していく、そのスタイルは文系理系問わず学者、研究者共通らしい。
「ただ、険しい道のりだった。さっき言ったラミングもそうだが、丸みを帯びた船底の分、波風の影響を大きく受ける。南緯の四十度、五十度、六十度は特に暴風圏で、船酔い薬を飲んでも耐えられないくらいだったわい。特に南緯六十度なんて船が傾いて、長い時間ジェットコースターに乗っているみたいじゃったわ」
吠える四十度、狂う五十度、叫ぶ六十度。高校時代の地理の先生が雑談で話していた言葉を思い出す。南極大陸あたりは波風を遮る大陸がないため、荒れた海域だという話を聞いたことがある。
「東堂さん、すごいですね。僕にはまねできないです。東堂さんの話を聞くまでは、南極求人なんてあっても行く人はいないだろうって思っていました。今の若者では絶対に考えられないですよ」
自分は学問のために、あの荒波を越えていく自信はない。東堂氏は尊敬してもしきれない。
「儂から言わせると、今の若い者は『南極』を目指していないように思えるけどな」
「いえいえ、大多数の人は自然科学とかを勉強していないから、南極なんて目指しませんよ」
「違う、違う。地図上の南極じゃなくて、概念としての『南極』じゃよ」
「概念?」
「そうじゃ。今の若い者は、手堅く、効率よく体験する人生を設計しているように思えるのじゃ。儂にも孫がいるんじゃが、ガクチ、なんとかってもののために授業も行かず、企業説明会ばかり行っておるのじゃ」
「ガクチカですか?」
「そうそう、そんなようじゃったな。なんというか、今の若い者には泥臭さを感じない。失敗するのを恐れる、周りに同調することを優先し、『南極』を目指していない」
東堂氏の話を聞きながら、自分の周りの大学生を思い浮かべた。
「ところで、世界最古の広告を知っておるか。儂はそのころ生まれてなかったが、イギリスの」
ふいに経営学の授業の話が脳裏によみがえる。
「その話、経営学の授業で聞いたことがあります。南極の求人広告ですよね」
「そうそう、その話じゃ。安全志向の今の若者に最古の求人広告を出したところで飛びつかないと思っとる」
教授の授業が他人との会話のネタになったことで、日頃の履修態度が少し報われたように感じた。
「儂が思うのは、地図上の南極じゃなくていい。皆の心に行きたい『南極』があるならば、時間がかかっても、泥臭くても、笑われても目指すべきだと思うのじゃ。たった数回の挫折、効率的に感じられない、周りから浮くなどの理由で諦めるのはもったいないのじゃ」
東堂氏は間髪を入れずに、よどみない口調で話し続ける。
「儂も最初は南極へ行く時に、家族から、友人から、他の教授から笑われた。だけど、儂のしたかったことのために、儂は南極を目指した。砕氷艦がラミングで道を切り開いたように、儂も自分自身の全人生をかけて、何回も障壁を壊して道を切り開いた。今の若い子たちには、こうした意思が感じられないのじゃ。はて、君にとっての『南極』はどこだ?」
スーツからジャージに着替えて、ベッドにダイブする。東堂氏と別れてからも、「南極」というワードが頭から離れない。僕は周りに合わせるあまり、なんとなく就職活動を行っていた。泥臭いことを避け、自分のやりたいことに蓋をし、周りが通った海上の流れを後追いしていた。
今までは僕は「南極」を見つけようとはしなかった。いや、見つけていたけど目指そうとしていなかったかもしれない。だけど、東堂氏との対話を通じて、自分が行きたい「南極」を目指すことができそうだ。
学問。法律学。これが僕にとっての「南極」だ。
文系の大学生にとって、大学院へ進むなど自殺行為だ。
「学問探究者を求む。至難の旅。高い学費。社会から断絶された暗黒の長い月日。絶えざる危険。就職の保証なし。成功の暁には名誉と賞賛を得る 社会科学の大学院より」
大学院希望者はこうした広告を一度はつきつけられる。
だけど、東堂氏が知的好奇心を抑えられなかったように、僕も学問への思いを断ち切れない。たとえこれから負の情報を得ようとも、ワクチン効果を体験している自分にとっては、影響はなかった。
虚飾やビジネス用語を並べる、就活本などでテンプレート化された経験を量産する人生よりも、こっちの方が性に合っている。
失敗するかもしれない、周りから何かを言われるかもしれない、そうした足かせが航海を阻んでいた。だが、砕氷艦がラミングをして道を切り開いたように、僕も。
ベッドから起き上がり、就職活動のためにインストールをしたアプリの通知を切る。そして、書棚に埋もれ、埃がたまった大学院への参考書を開く。
自分の人生の「南極」を目指しての航海が始まる。
自分の名前の通り、道を切り開いていく。
僕の人生に幸あれ。
<参考文献>
「伝説の求人広告」から学ぶ、100年たっても色あせない、コピーライトのテクニックとは? | STRUCT REPORT | 採用コンサルティング | ジャンプ株式会社 (jumpers.jp)
URL:https://jumpers.jp/structreport/column/2169
(最終閲覧日 二〇二二年六月一日 午後一時五分)
TV番組 - ブラタモリ – NHK
二○二二年一月八日放送回
「南極〜なぜ人はわざわざ南極を目指す?〜」
URLhttps://www.nhk.jp/p/buratamori/ts/D8K46WY9MZ/episode/te/Q8M3K7RLY9/
(最終閲覧日 二〇二二年六月一日 午後一時五分)
Best wishes for your journey / 利根角成 名古屋市立大学文藝部 @NCUbungei
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