焦燥

 今朝みたいに伊月を盾代わりにしつつ、食堂の中を歩いていくと、やけに人目を惹く集団が視界の隅に入った。そちらへと目を向けるや否や、自然と唇が綻ぶ。


「なっちゃん、めのちゃん、マナちゃん!」


 幼馴染の女の子たちの名を呼びながら手を振ると、三人がこちらへと振り返り、それぞれ手を振り返してくれた。

 それぞれ席を確保している撫子たちの傍には、懐かしさと新鮮さを覚えさせる、二人の男子生徒の姿があった。


「……ねえ、伊月。あそこにいるのって、蓮くんと誠司くんだよね?」

「うん、そうだよ」


 少しだけ自信がなくて確認の意味を込めてそう訊ねれば、伊月は鈴を安心させるように首肯してくれた。

 確認を取ってから、伊月から外した視線を改めて二人の青年へと戻す。


 朝凪あさなぎ蓮は、やや癖がある柔らかそうなホワイトシルバーの髪と、淡いブルーの瞳、それから乳白色の肌が特徴的な、女の子みたいに可愛らしい少年だった。そして、視線の先にいる現在の蓮は、やはり中性的でガラス細工のように繊細で美しい容姿の持ち主だ。


 少し目を離した隙に、ふっと消えてしまいそうな儚さを感じさせるものの、昔と変わらず、優しそうな垂れ目をしているためか、人当たりの良さそうな柔らかい雰囲気も放っている。

 全体的に線が細い印象で、長身の伊月と比べると、背もそれほど高くはなさそうだ。


 もう一人の青年――清水誠司も、鈴の記憶の中にある姿から、それほどかけ離れていない。

 怜悧で非常に整った顔立ちをしているものの、表情に乏しいために他者に冷たい印象を与えるところなど、本当に昔から変わっていない。 ただ、今の誠司は視力が下がったのか、眼鏡をかけているため、やや色素の薄い神経質そうな釣り目がより一層厳しい雰囲気を醸し出している。実際、誠司は自他共に厳しい性格をしている。


 蓮とは異なり、体格はしっかりしており、日本人男性の平均身長よりも高く見える。

 だが、伊月と比べたら、やはり背はそこまで高く感じられない。というよりも、極端に伊月の背が高いだけなのかもしれない。


「蓮くん、誠司くん、久しぶり」


 伊月と一緒に幼馴染たちの元へと向かい、今朝は会わなかった二人に声をかけると、蓮はにっこりと笑いかけてくれ、誠司は目元をふわりと和らげてくれた。


「うん、久しぶり。鈴ちゃん」

「……元気そうだな、安心した」

「うん、元気ですよー」


 しかし、再会の挨拶をしたところで、ふと疑問が首をもたげてくる。隣にいる伊月をちらりと見上げれば、すぐに暗緑色の眼差しが鈴に注がれた。


「どうかした?」

「伊月、透輝くんは?」


 鈴たち幼馴染は、合計八人でずっと仲良くしてきた。

 八神鈴、伊月、和泉撫子、朝凪蓮、森愛未、清水誠司、不知火めのう。そして、めのうの同い年の兄である透輝がこのメンバーに含まれている。


 でも、少なくとも今この場に、透輝の姿はない。食堂の中に視線を走らせてみても、透輝らしき人物の姿は見当たらない。

 めのう同様、やや癖のあるミルキーブロンドとヘーゼルの双眸、そして華のある雰囲気の持ち主だから、その姿を見逃すことなど、そうそうない。


 小首を傾げて透輝の所在を問えば、どうしてか伊月は苦い笑みを零し、鈴の耳元に顔を近づけてきた。それから、小声で囁きを落とす。


「……高等部に上がったくらいから、透輝とは付き合いがなくなってきちゃったんだ。だから、一応他のみんなにはあんまり訊かないであげて」


 その口振りから察するに、その頃に伊月たちが透輝と縁遠くなってしまった出来事があったのだろう。明確なものなのか、そうではないのかは分からないが、少なくとも他の皆には触れられたくない話題らしい。


(……何があったのかな)


 伊月の言う通り、根掘り葉掘り訊ねるような真似をするつもりはないが、それでも気になるものは気になる。


 幼稚園生の頃から小学生頃にかけて、透輝は鈴たちにとってリーダー的存在だった。

 好戦的で我が強い性格の持ち主だったから、多少の諍いは日常茶飯事だったものの、大きな喧嘩にまで発展したことはない。潔い性質でもあったから、自分が悪いと思えば、透輝は素直に謝罪してくれる男の子だったのだ。

 それに、透輝は統率力があり、人を惹きつけるカリスマ性めいたものも幼い頃から持ち合わせていたから、どこか憎めないところがあったのだ。


 だから正直、今は他の幼馴染との間に溝があると聞かされても、腑に落ちない。


「よーし。全員揃ったことだし、飯取りにいこうぜー」


 めのうがおもむろに立ち上がったかと思えば、両手をぱんぱんと叩き、食券販売機へと足を向けた。他のメンバーも席を立ち、ぞろぞろとその後に続く。

 昔は、こういう音頭を取って行動の方針を決めるのは、透輝の役目だった。だから、めのうがその役割を引き受けている姿は、何だか違和感を覚える。


(昔のめのちゃんは、お兄ちゃんっ子だったのになあ……)


 成長していくにつれ、次第に透輝と距離を置くようになっていったものの、その本質は甘えん坊な妹だった。

 だが、さすがにこの歳で兄離れできていなかったら、それこそ問題だろう。今の状態の方が、余程健全なはずだ。

 そう頭では理解しているのに、鈴の心は妙な焦燥感でじわじわと炙られていた。


 皆の後をついていきつつ、未だ伊月と繋がれたままの手に視線を落とす。

 鈴は、見た目は年齢以上に成熟している。しかし、伊月たちとは違い、心は五年前で止まったままだ。


 だから皆、鈴を気遣ってくれている。その中でも特に、伊月は積極的に鈴の面倒を見てくれている。

 鈴は現在、非常に特殊な状況下に置かれているのだから、周囲の助けを借りなければならないことがたくさんある。そして、それは決して悪いことではないはずだ。

 それなのに、自分だけがいつまでも心が幼いまま、これまで肩を並べていた幼馴染から置いてきぼりを食らっている現状に焦りを覚え、胸がひどくざわつく。


 衝動的に繋いでいた手を振り払った直後、鈴の前を歩いていた伊月がこちらへと振り返った。


「鈴?」

「あ……ご、ごめんね。でも、もう手を繋がなくても大丈夫だよ」


 伊月が鈴の身を案じていることは、身を以てよく知っている。鈴がまた自分の前から消えていなくなってしまうのではないかという恐れを抱いていることも、そこにある程度の下心が含まれていることも、理解しているつもりだ。

 でも、今は伊月に過保護にされればされるほど、自分が情けなくてたまらなくなってしまうのだ。


 再び手を取られないよう、胸元に引き寄せた自身の手で拳を作ってぎゅっと握り締め、俯いて唇を軽く噛む。こういう態度もまた、幼稚と受け取られてしまうのかもしれないが、今は平常心を取り戻すのに精一杯で、上手く取り繕う余裕なんて欠片もない。


 急に下を向いてしまった鈴に戸惑う気配が伝わってきたものの、清涼感のある柔らかい声が鼓膜をくすぐった。


「確かに、手を繋いでたら、列に並びづらいよな。それに、トレイを受け取るんだから、両手を空けとかなきゃだし。ごめん、こっちこそ気 が回らなかった」


 そっと顔を上げれば、伊月は鈴へと振り返ったまま、困ったような微笑みを浮かべていた。だが、またすぐに穏やかな表情へと変化した。


「そういえば鈴、お昼は何食べる?」

「えっと……」


 伊月なりに場の空気を変えようと、話題を提供してくれたのだと分かり、鈴もすぐに乗る。


 比良坂学園の学生食堂は、一般的な大学の学生食堂並みの豊富なメニューが揃っているみたいだ。鈴はまだ大学生ではないし、ずっと比良坂学園に在籍していたから、こんなものかと思っていたのだが、伊月曰く、中等部や高等部から編入してきた生徒にはひどく驚かれるのだという。


「うーん……オムライスにしようかなあ……」


 本日のメニューに出ている、キノコたっぷりのバター醤油風味のパスタも心惹かれるものがあるが、今日はデミグラスソースで味付けをしたオムライスが食べたい気分だ。

 悩みながらもとりあえず何を選ぶか決めると、質問をしてきた伊月に目を向ける。


「伊月は?」

「俺は、鯖の味噌煮定食にしようかな」


 なかなか渋い選択だと思ったが、伊月は和食が大好きなのだ。八神家で用意される食事も、和食の確率が高いため、鈴や伊月にとって親しみのある味ともいえる。


 鈴としては、こういう時は普段家であまり食べないものを選びがちなのだが、伊月は慣れ親しんだものを選ぶことが多い。


 そんなことを考えているうちに、食券を買う順番が伊月に回り、すぐに鈴の番となる。

 目当ての食券を購入してカウンターで食堂のスタッフに手渡し、あっという間に用意されたオムライスが載っているトレイを受け取る。


 比良坂学園に在籍している生徒の大多数は、良家の子息子女であるためなのか、学園側は何事もあまり生徒に待たせることはしない。たとえ、どんなに些細なことだとしてもだ。だから時折、学校という場所なのに接待を受けている気分を味わう。


(でも、社会に出たらそうもいかないんだから、あんまり甘やかすべきじゃないと思うんだけどなあ……)


 この学園の生徒は、基本的に育ちが良いから、良くも悪くも根が素直で従順な人が多い。郷に入っては郷に従えといえば、大人しく受け入れるに違いない。

 しかし、この学園は私立学校で、学園の運営に必要な資金は寄付金で成り立っている。そして、その寄付金はどこから集まってくるのかといえば、生徒たちの親であり、この学園の卒業生の家が大多数を占めている。そういうわけだから、貴重な資金源である家の子は丁重に扱うべきという風潮が醸成されているのだろう。


 受け取ったトレイを手に、先程のテーブル席に戻ってくると、既に鈴以外の面々は着席していた。ちょうど、撫子とめのうの間の席が空いており、とどめとばかりに手招きまでされた。


「おーい、鈴。こっちこっち」


 めのうに招き寄せられるがまま、空いていた席にトレイを置くと、鈴の真向かいに座っていた伊月と目が合った。

 この席順は、何だか作為的なものを感じる。その上、伊月の意思だけではなく、他のメンバーの思惑もひしひしと伝わってくる。


(あ、これ、伊月と私をくっつけようって、応援する流れになってる)


 席に着きつつ、確信めいた予感が胸の奥底から突き上がってきた。

 鈴が失踪する以前は、もちろんそんな空気は砂粒ほどにもなかった。まだ皆幼く、恋愛よりも友達とわいわいとはしゃいでいたい年頃だったのだ。そこに、異性も同性も関係なかった。


(なっちゃんと蓮くんは、小さいうちに婚約したから、ちょっとそういう空気があったけど……)


 でも、それでもまだ恋愛感情よりも友愛が勝っていた。しっかり者の撫子は蓮の面倒をよく見ており、姉と弟みたいだとさえ思っていた。蓮は蓮で、撫子に憧れと尊敬の念を抱いており、どちらかといえば鈴と伊月の関係性に似ていたのだ。


 だから正直、幼馴染たちの心境の変化に意表を突かれたし、余計なお世話だとも思う。鈴としては、何事もなるようになるのだから、そっとしておいて欲しいというのが本音だ。


 だが、いざ口に出して意見すれば、余計に茶化されてしまいそうだ。特に、恋にまつわることに詳しかっためのうや、夢見がちで少女漫画を愛読していた愛未から、ここぞとばかりに質問攻めに遭いそうだ。


「……いただきます」


 だから鈴は心を無にして、何事もなかったかのように食事を始めるしかなかった。

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