21

21

市場では、もうほとんどの通行人がボリジンだった。この市場にもあまり長居はしていられない。長いことウロウロしていていると人間に見間違えられて絡まれるかもしれない。全ての薬屋や雑貨屋を回って、記憶操作薬についての情報を集めようとした。しかし皆首を振って、取り合ってはくれなかった。情報を伝えることさえ重罪らしいのだ。

途方に暮れて空を見上げる。白い粒子が空に浮かんでいるのが見えた。それはふわふわしながら舞い落ちてきた。手のひらに入れてみると、形がゆっくりと、小さな矢印になっていったように見えた。

「ん?」

矢印のぼんやりとした輪郭が、右をさしているように見える。

「右?」

思わず右を見た。そこには願いがかなう場所、と書かれた看板があった。胡散臭いとは思ったが、調べないわけにもいかなかった。どんな小さな情報でも欲しい。

 中には誰もいなかった。店番も主人もいない。 決して広くはない屋内は、本棚に囲まれた壁で圧迫感が増している。いるだけで陰鬱な気分になる場所だ。 どうしたものか。そう言いかけたところで言葉が止まった。全ての棚のてっぺんに、小さなメモが貼ってある。

【これらの本を警察に突き出したものは、夜道に気をつけろ。】

 なんとも物騒なメモだ。棚にある本を手に取り、パラパラとめくった。

『白魔術には黒いバラを、黒魔術には白いバラをそれぞれ鍋に入れ、呪文を記した紙を入れて混ぜる。そして・・・』

 本を閉じた。もう1冊開く。

『世界の終末、それは赤い空、黒く落ちてくる月の欠片、微笑む天使たち。』

「・・・なんだこれ」

 どの本を手に取っても、表では売り買いされないような内容ばかり。

ここでなら、探すことができるんじゃないか。もしかしたら、ステラを救える本が見つかるかもしれない。僕は本棚をあさりだした。都合よくそんなものがあるわけがないと思いつつも、本の背表紙に指を滑らせていく。すると、一冊が目に止まった。背表紙に金の文字で、記憶操作、人格改造のための研究・解消とあった。 不思議な力に背中を押されたようにして、その本を手に取り、勢いよくページを開いた。

「・・・ッ」

 そして言葉を失った。


「あ、おかえりなさい。ステラ様は今、ちょうどお眠りに・・・あの、大丈夫ですか?」

 ステラの真っ黒な髪を優しく撫でた。あんなに、小さかった子がもう立つこともしゃべることもできるようになった。そう思うと不思議で、今までやってきたことを思い出してか、本の内容についてのショックの反動なのか、奇妙な笑みがこぼれた。

「ごめん、すっかり帰るのが遅くなってしまって」

 僕は書物を片腕に下げ、ステラのそばで電源を切ろうとしていたプナキアに、挨拶した。 プナキアはすぐに動かなくなった。

 なんとなく、あの崖へ向かった。白い粒子が舞い降りてきてはページにぶつかって消える。いつもは大好きなその光も、今夜は悲しみを慰めてはくれなかった。

「どうして普通に暮らさせてくれないんだ」

 思わず漏れた怒りの、その声の暗さに自分でも驚く。

「今までと同じ様に、ステラとプナキアと、ここで生きていたいだけだ。それだけなんだ・・・」

 どうしようもなく悔しかった。悲しみに襲われて息が詰まる。

 その時、歌が聞こえた。凛とした声が、だんだん近づいてくる。ふわりと花の香りがして、僕は顔を上げた。そして目を見開いた。天井の大穴から、女性が空に浮いているのが見えた。すっきりしたシルエットに華やかなドレスがよく似合っている。彼女はにっこりと笑い、指先から白い粒子を落としてきた。花のように落ちてくるそれは、僕の肩や胸にぶつかり溶けていった。このときになって初めて、今まで見てきた白い光が彼女によってもたらされていたのだと気付いた。ふ、と女性は姿を消した。去り際まで美しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る