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走っていた。

 彼女を気絶させるために、うなじを軽く打った。思いのほか強い威力になってしまった。力が制御できないなんて初めてだった。

 「あんた達が死んでも誰も悲しまない」。目が半分以上閉じてしまってから、彼女が囁いていたのを思い出す。

「・・・最後だから、一つだけ教えてあげる。私はただの時間稼ぎなの。今頃あんた達の可愛い坊やは、何をされているかしらね」

 胸が凍えるような恐怖が、走り抜けていった。ステラにもし何かあれば、僕は自分を許せない。

 走り続ける。彼女が言った、『あの人』が僕の予想と外れてくれることを祈った。 彼以外であって欲しかった。 彼だったら、僕はもうどうして良いのか分からない。 彼は少しおかしいかもしれないが、 僕をここに連れて来てくれた。 ハリボテだった僕がやっと本当の意味で生きられるようになったのは、彼のおかげなんだ。彼がステラに襲いかかる映像が頭の中に流れた。吐きそうになった。

「・・・っ」

 まだウィルスが残っている身体を、無理やり動かして走る。 人間という存在に、再びもやがかかっていくような気がした。 彼やステラに出会って、人間を嫌いになるのには少し早いと思えたのに。


 休憩所に再びたどり着いた時、プナキアの目だけが光っていた。

「私は大丈夫です。 ステラ様を助けて」

 プナキアの声を聞いた瞬間、条件反射のように体が動き出した。

 車にかかっていたはずの布が、取り払われている。何者かの手で装置を壊されていた。もう使えないだろう。ひやりと気温が下がったような気がした。緊急用の車までもが、ガラクタと化してしまったのだ。

 中で寝かせておいたはずのステラがいない。車へよじ登り、ステラを探した。見下ろすと、影になっている場所にしゃがみ込んでいる者がいた。それを察知した瞬間、衝動に突き動かされた。

 剣を構えつつ、背後から忍び寄る。僕の全身も黒い影に包まれた。黒いフード姿が間近に迫る。人の形をしていた。その首元に剣を突きつけた。

「五秒以内にその子を返せ」

 剣を傾けると、赤い血が伝っていく。人影は大人しくステラを返した。ステラはいつもと変わらない表情で不思議そうに僕を見上げていた。ぎゅっと小さな体を抱きしめた。

 人影にもう一度向き直った。その手のひらが光ったのが不可解で、腕をグッと掴んで引いた。拍子に、被っていたフードが落ちた。女だった。ロマではなかった。

「お前たちは誰だ?」

 日に焼けた肌の女が、声とは裏腹に憎々しげに睨んできた。

「・・・嬉しい。これで私達もあの人も、少しは救われる。坊やのおかげで」

 カッとなって女の肩を乱暴に揺さぶった。

「この子に何かしたのか!? 言え。でないと」

「私を殺したら、困るのはそっちだがね」

 女はくすっと笑った。こんな状況で笑えるなんてどこかおかしいんじゃないか。

 それはさておきこの女の口調は、出口にいた彼女のものによく似ている。僕は女の肩に思いきり力をこめる。骨がミシミシと音を立てた。女は笑いを一層深くした。

 女は、僕の腕に抱かれているステラに一瞥をくれ、手のひらを見せてきた。 小さな瓶がある。 ラベルの文字が解読できない。

「これは化学薬品。記憶操作薬と呼ばれてるものさ」

 記憶操作という言葉に、ゾッとした。紫色の液体がビンの中でゆらゆらと蠢いている。おぞましく不気味な動きだった。

「あんたの邪魔がなければ、この子に全部注いであげられたのに」

 女は瓶を軽く放り投げた。瓶はカラカラ音を立てて転がっていく。

 そして今度はポケットから、5センチメートルほどの正方形のカセットを2枚とり出した。

「あんたと、あそこで転がってるロボットに、これをセットしなさい。このウイルスの解毒剤よ」

「・・・なぜだ?お前たちはロボットを恨んでいるはず。なのに、なぜ僕たちを完全に壊してしまうようなウィルスを持ってこなかった? しかも、解毒剤だと?」

 女の目に涙が浮かんだ。

「私だってあんた達を壊してやりたかった。 でも、あの人が・・・」

 女の泣き言を無視して、僕は凄んだ。声が恐怖で震えていた。

「その液体でステラに何をしたっていうんだ!答えろ、外道ッ!」

「外道?・・・ふふ、そうだね。話してあげようか」

 ステラは、キラキラした大きな瞳で僕たちを見上げている。

「これは元々、記憶を消すための薬。だけど少し改良すれば、飲ませた人間に記憶を仕込むこともできる。血の匂いや殺戮が大好きになる様に、この子に仕込んでやったんだ。大人になったらこの子は、殺しなしでは生きられなくなっているだろうから、ロボットとの戦争に大いに役立ってくれるだろうよ」

 その作業をしている女の姿がありありと浮かんできて、嫌悪で胸がいっぱいになる。

 眠り始めている無邪気なステラの顔を見つめた。

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