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「お前達の戦争のためにこんなに小さな赤ん坊を利用するなんて・・・許されると思っているのか!? 」

 女は下卑た笑いを漏らした。

「許されなくたって構わない。こんな世界に神などいないのさ・・・この子はいつかきっと、戦いを求めて自らここを去っていくだろうよ。はははは!」

「そんなこと・・・絶対にさせない」

 僕は女の首に片手を掛けた。すると女は急にひどく悲しそうな目をした。 笑っているくせに、全く嬉しそうには見えなかった。

「これで彼も・・・ 少しは後悔するでしょう」

 確かにそう呟いたことで、 僕はピンと勘づいた。

「まさか、ロマの・・・ 」

 女は満足げに笑う。 僕を驚かせたことが嬉しいのか。

「ウイルスをばらまいていたのは娘さ」

 彼女のことを思い出す。

「・・・これは彼が仕組んだのか? 」

 恐る恐る尋ねた。 女は首を横に振った。

「言っただろう?これはあの人への復讐だった。 あの人はね、あんた達の居場所を言わなかったから捕まった。あの人は、私達よりロボットを優先した・・・!」

 ロマが僕達を庇って、捕まった。その言葉に戸惑いを覚えた。

 女は僕の手に自分の手を重ねて力を込める。彼女自身の首を締めようとしているのだ。

「さあ、早く殺しなさい。あんた達の絶望した顔が見られて嬉しかったよ」

 女の目から大粒の涙がぼろぼろ溢れ落ちていく。 僕はさらに力を入れたけれど、彼女を解放した。

「なぜ、なぜ殺さない?」

 そう聞かれても明確に答えることができなかった。殺したってどうにかなるわけではないのだろうと、どこかで気づいていた。女は息もしていないかのような静けさで、去っていった。 最後に、小さくごめんなさいという呟きが聞こえた、気がした。

 体が重かった。ウイルスのせいではない。ただただ呆然としていたのだ。ふと地面を見た。女が投げた瓶が見える。何気なく手に取ると、僕はそれをポケットに入れた。

 

ボリジンと人間の溝はますます深くなっていった。ネットワークの記事の内容は、だんだん過激で批判的になっていく。世界はますます邪悪な熱に呑みこまれていく。恐ろしいことが起こる。そんな予感がする。  

 しかしこの場所では何事もなく毎日が過ぎていく。 その中にささやかな幸せがたくさんある・・・いや、違う。何事もなく毎日が過ぎていくなんて嘘だ。僕がただ、逃げているだけだ。そう思いたいだけだ。

 例えば、昨日はステラが自分で文章を書けるようになった。

『ぼくはすてらといいます、ぷなきあとおとうさんとくらしています』

 容量が良すぎるのだ。教えたことは一瞬で覚えてしまう。普通、人間は同じことを何度も反復しながら少しずつ覚えていくはずなのに。

 さらに、教えてもいないようなことを口走ることもある。その度に僕らは気が気じゃなく、顔を見合わせては互いの怯えを実感する。記憶を仕込まれたことと関係があるとしか思えなかった。ステラが僕をお父さんと呼ぶたびに、あの女の笑い声が蘇ってくる。

 必ずステラを元に戻さねばならない。そのためならどんなことだってする。僕は掌を見つめる。そこにはあの女が半分だけ残していった薬の瓶がある・・・。

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