29.死人操り

 私は皆が逗留している村へと走った。


 左肩に負った負傷は思いの外深いのか、左腕を赤く染めていたが今は痛みも気にならなかった。


 あの道化じみた小娘は何と言っていたか? あの村と忌み子の方も順調に進んだとか言っていたはずだ。


 それはラカ殿を襲撃するのと同時に、スラーニャを襲う手はずが整っていたことを示している。


 離れるべきではなかった。


 だが、私もいつまでも一緒にいることはできない、いずれ先に死ぬのだ。


 ならばあの子は己の身は己で守らねばならない。


 それに、私が最も信頼する二人が側についている。


 決意を新たにしたロズワグンとグラルグスの竜魔の姉弟が。


 おいそれとあの二人が後れを取る筈がない。


 そう考えはするが、気は少しばかり逸った。


※  ※


 村が見えてきた、怪物退治を国王に求めた村に。


 その王が竜魔の姉弟に依頼を投げ、巡り巡って私たちがこの村を訪れた。


 いわばここに来たのは偶然の産物の筈。


 だが、まるで待ち伏せでもしていたかのように屍神ししん教団の刺客が、それも雇われではない子飼いの刺客が現れた。


 これが意味する所はなんだ? そんな物は言わずと知れて村や国王が故あって仕組んだ罠である。


 罠だとするならば、村の連中も敵である可能性が高いのだがあの小娘はスラーニャ以外にも村の方も順調だと言ったのだ。


 あの口ぶりでは襲撃を仕掛けて無事に制圧できると言ったニュアンスに思えた。


 きっと眼前の村の事ではあるまい。 


 ではどこか? きっと、それはザカライア老が住まう村の事だろう。


 そもそもシャーラン王国において主流とは思えぬキケがザカライア老の居場所を知っていた。


 あの少年を疑っているのではない、そこまで情報が流布している事実が問題なのだ。


 ザカライア老は隠棲したとは伝えられていたが何処に住んでいるかはロズワグンも知りえていなかった。


 あの元宮廷魔導士は己の所在を敢えて伏せていた節がある。


 それはバレると不味いからであろう、シャーラン王家や屍神教団に。


 多くを知っている魔導士だ、疎ましく思うに違いはない。


 きっと、自分の居場所がバレた事を知って彼の魔導士は村を要塞化したのだ。


 そこまで推論することができた。


 ならば私のやるべきことはなんだ? 決まている、スラーニャや仲間を助け出したのちにはザカライアのいる村へ救援に向かう。


 彼らは屍神教団を相手にするのに貴重な味方たりえる。


 戦と言う奴は頭数をある程度は揃えなくては勝つことはできない。


 私は目まぐるしく考えながらスラーニャが逗留している宿を探した。


 だが、それには及ばなかった。


 村へと入り大通りを駆け抜けると見知った顔が法衣を纏った連中と相対しているのが見えた。


 やはり、彼らはむざむざとやられはしない。


 スラーニャが印地を打てば、放たれた投石は眼鏡をかけた痩せた法衣姿の男へと真っすぐに飛んだ。


 だが、石はあろう事か男に当たる前に法衣を着た別の女に当たった。


 割って入ったのだ。


 石つぶてを頭に食らって血を流しながら女は痩せた男に縋るように言った。


「ヴェレン様、どうか、どうかこれで……」

「解放する訳がない」


 ある種の献身に対する報酬は冷笑のみであった。


「なんと無情な……」


 ロズワグンが怒りを込めて吐き捨てると、ヴェレンと呼ばれた痩せた男は眼鏡の位置を指先で直しながら笑う。


「情など意味がない。ははっ、信仰とて俺にとっては道具よ」


 そうせせら笑っているヴェレンに対して、何故かロズワグンもグラルグスも手出しする事を躊躇っているように見えた。


「ヴェレン様、どうか、どうか……解放してください、我が子を!」

「あのガキを殺せれば、解放してやろう。それが出来ねば永劫にしもべよ」


 ヴェレンの回りにいる法衣姿の者達は悲痛な声を上げ、対照的にヴェレンは可笑しげに見えた。


 悲痛な声をあげる者たちの視線は、皆が憎しみの感情でも込めているのか鋭く苦々しげに見えるがそれでも彼らはその視線の先を我が娘へと送る。


「お前が死ねば……」

「死んでくれ、あの子の為に」


 口々に告げながら彼らは持ち慣れない様子の武器を持ち、三人を包囲するように迫った。


 我が子を狙う……なれば、斬らねばならぬ。


 どうやら彼らは私と同じく、己の子の為に事を成そうとしている。


「待たせたなっ!」


 私が一声ひとこえ発すると、迫る者たちを見て顔を引きつらせていたスラーニャは私を見て笑みを浮かべ、そして泣きそうな顔をした。


「セイシロウ! 貴公、その傷は……っ!」


 ロズワグンが鋭く声を発する。


「大事無い。偉大な剣士と相対した結果である。それと、教団の剣士は既に屠った」


 私が言葉を返すと、ヴェレンが神経質そうに眼鏡の位置を再び直しながら笑う。


「ジェイズめ、大口を叩いた挙句に死ぬかよ。やはり魔力を身体強化にしか使えぬ脳筋は役に立たんな」


 そして、まだ距離にあった私に向かって指先を突きつけると告げた。


「行け」


 何にそう命じたのか。


 ともかく、ヴェレンがそう告げた瞬間に、不意に現れた小さな影が私に向かって文字通り飛んでくる。


 途端に私の主観時間は粘液上の生物スライムの緩慢な動きのように遅くなる、現状を打開するべく思考が高速で巡った。


 迫る影はそれほどまでに危険だと本能が告げていた。


 背筋に走る怖気が私にその正体を告げている……迫る影は、死霊だ。


 北の地でも何度か襲われたことがあるが、南ではめったに遭遇しない。


 だが、その死霊は私が見た中でも飛びぬけて異様で哀れであった。


 真っ黒な双眸は落ちくぼんだ眼窩がんかの如く見開かれ黒い涙を垂れ流し、口元は苦悶に歪み、その苦しみをどこにぶつけて良いのか分からない様子で私に両手を伸ばして迫った。


「ああ、レン! レン!」


 ヴェレンの取り巻きの一人が崩れ落ちながらその姿を見て名を呼ばわる、まるで我が子のように。


 どうやらヴェレンと呼ばれる男は死霊使いのようだ。


 それも飛び切りに邪悪な。


 怒りが湧き起こる。


「水面を、忘れるでないぞ」


 不意にラカ殿の声が聞こえた。


 水面とは言いかえれば明鏡止水と呼ばれる境地。


 怒りは不要……。


「死霊を? 斬れぬことは無いがコツがいる。良いかセイシロウ、死霊とは魂を未練によってか、術によってこの地に縫い留められた哀れな存在。己の得物で斬る場合は魔力を込めて霧散させるか……縫い留める何某なにがしかを斬る事だ」


 かつて死霊に初めて遭遇した数年前にラギュワン卿に問いかけ、その際に得た言葉が脳裏によぎる。


 私は迫りつつある死霊へと意識を集中する。


「良いか、神土かんど。開祖が我が流派に込めた意味をよう考えて剣を振るえ。剣とは所詮、人の命を奪う道具、銃と変わらぬ。さりとてその技は、業はただいたずらに人の命を奪うにあらず。努々と忘れる事なきようにな」


 故郷での剣の師、方喜かたよし大佐が免許皆伝のおりに授けてくれた言葉が甦る。


 我が流派は真道自顕流しんどうじけんりゅう、真の道は自ずと剣にあらわれる。


 刹那にそんな思考が脳裏をよぎり、私は死霊の一撃を飛び下がりながら剣を振るった。


 剣は虚空を切り、ヴェレンが一つ呻いた。


<続く>

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