26.水面

 ザカライア老が考え違いをしていると告げた老いた剣士ラカは私を部屋へと招き入れた。


「聖ロジェ流、守りの剣と人は呼ぶが実のところは攻めの剣でもある。要人を守るのであれば、襲い来る刺客を迅速に仕留めるのが道理ではないか」


 ラカ老人が語る言葉は明瞭で若々しい響きを伴っていた。


「守りの剣と称されるようになったのは、ロジェ先生が老境に差し掛かった頃、無数の無頼に襲われた時の逸話に由来する」


 ラカ老人は私に椅子を勧めながら自身も座る。


「その際に無頼どもは打ち込もうとしたが、先生が用いた奥義の前に打ち込む事もできず、最後には先生を恐れ逃げ帰ったのだ。ゆえに人々は命を奪わず、奪わせぬ守りの剣だと持てはやしたが……お主はこの話をどう見る?」


 不意の問いかけに考える。


 この場合の奥義とは何だ? 剣の奥義と言えば必殺剣か、あるいはそれに類する何かしかの技であろうが、誰も死なず、死なせずとは?


 人々が守りの剣と評したからには、打ち込む隙を一切与えなかったのだろうが……。


「……分かりません。幾つか思い浮かぶものはありますが、どうもロジェ流の剣と合致しません」

「ふむ、存外に慎重だな。多分、お主の見立ては正しい」


 ラカ老人はその様に告げてから、私をしっかりと見据えて言葉を紡ぐ。


「先生が用いた奥義の名を水面みなもと言う。水面とは己を傷つけず、戦う相手も傷つけぬ技。いや、技などではないな。いかなる技にも対応し、技を返す事で未熟を悟らせ、戦いを終えるもの。剣の到達点の一つと言えよう」


 水面……。


 言葉通りに受け取るのならば、正にロジェは剣聖の名に恥じない恐るべき使い手であったと言う事だ。


 打ち込もうとした無頼たちは聖ロジェが静かに佇むその姿に何を見たのか。


 想像するより他にないが、剣聖と呼ばれた男が静かに落ち着きを払って佇んでいるのだ。


 いかに勢いがあろうとも、その静かな相手に次第に飲まれ、あらゆる技が返されるのではないかと疑念を抱く。


 下手に動けば死ぬような気がしてならず、いわば蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなる。


 私もまたあらゆる敵意をいなし泰然とし続ける老人と相対したならば、恐れを抱くに違いはなかった。


 今まで戦ってきた者達にはない境地だからだ。


「お話を聞く限り、私には到底及びえる境地ではないかと思われます」


 私は素直にそう心情を吐き出す。


 確かにスラーニャを守るためにはいかなる手段を用いるつもりだが、それがいきなり達人になれと言われては無理だと言わざる得ない。


 研鑽に研鑽を積んで初めてそう呼ばれるほどの使い手になるのだ、私程度ではまだまだその域には達せない。


 ましてや、この聖ロジェ流の奥義である水面は学んでどうにかできる物ではない。


「ほう、潔いな? この話を聞いた者たちは皆、教えてくれと頼むものだが」

「教えられてどうにかなるものではありませんでしょう」


 私はお忙しいところ失礼しましたと告げて立ち上がり、ラカ老人の家より出ようとした。


「確かに教えてどうにかなるものではない。だが、一度相対してみてはどうだ? 折角、遠路はるばるやって来たのだ。何も無いでは流石に申し訳がない」


 あのおいぼれ魔導士の顔も立てねばなるまいしと告げて、ラカ老人も立ち上がった。


「ロジェ先生には及ばぬが、このラカも水面を会得しておるのでな」


 そうにやりと笑みを浮かべ、私を伴って庭先へと出た。


※  ※


 そして、私は老剣士ラカ殿と相対している。


 得物は木剣。


 真剣ではないが下手をすれば死につながる代物。


 ましてやラカ殿はご老体であれば、骨折一つするだけで今まで通りの生活が出来なくなる恐れもある。


 その危険性を押してまで私に水面を見せようと言うのだ。


「さて、どこからでも掛かって来るが良い」


 ラカ殿はそう告げながらも一向に構える様子が無かった。


 木剣を片手に力を抜いたようにただ立っている。


 これが水面なのだろうか。


 私はいつも通り、トンボに構えた。


 立ち木に何度となく走り寄り、木の枝を打ち据える修練を思い出しながら。


 殺し合いではない立ち合いは本当に久しぶりだと言える。


 昔を懐かしむほどには久々だった。


 だが、私はその感慨を振り払い目の前の相手に集中する。


 集中するが、まるでそれこそ立ち木を相手にしているかのようにラカ殿に反応はなかった。


 トンボの構え、その威力を知らない者は子供が棒を振り上げたかのような構えをあざ笑う。


 或いは、その構えに異様なものを感じて恐怖するのが一般的だった。


 だが、ラカ殿はまるで違った。


 あまりに反応がない。


 私は自身の心の中に疑念が生じるのが分かった。


 私の技は効かないのではないかと言う恐怖と、いかに反応が無かろうともそんな物は見せかけの紛い物、私の技が通じぬはずがないと言う自負がせめぎ合う。


 だが、剣を振るうにそんな心の在り方では防がれて当然なのだ。


 一つ深く息を吸い込んでゆっくりと吐き出す。


 と、その虚を突いたかのようにラカ殿が滑るような足取りで私の方へと迫った。


 ごく自然な動作で振り上げられた木剣が私に向かってくる。


 私の身体は即座に反応し、その木剣に対して一撃を振り下ろしていた。


 硬い物がぶつかり合う音が響き、私の腕にはすさまじい衝撃が走り抜けた。


 何と言う剛剣……。


 先ほどラカ殿は言った、刺客を早く倒すのが守りの要だと。


 確かにこの剣ならば刺客を容易く倒せよう。

 

 恐るべきは聖ロジェと言うべきか、これほど静と動がはっきりしている剣技もないのではないか。


 確かに故郷にも静と動がはっきりした剣技はある。


 だが、アレは確か敢えて隙を見せて打ち込ませ、その瞬間に相手を斬る後の先に特化したものだ。


 聖ロジェの編み出した剣は打ち込む隙を見せず、相手が止まっている瞬間を狙って襲い来るのだ。


 確かに一見すれば防衛のための剣に見える、だが、これは……。


 私は先ほどラカ殿が言った、聖ロジェ流は攻めの剣でもあるとの言葉を噛み締めていた。


「いやはや、恐れ入る。これほどの剣を持ちながらロジェ流を学ぼうとはな……。お主は既に完成された剣士だ、自身の剣を磨くだけで良いのではないか?」


 ラカ殿が感嘆したように私に告げる。


「娘を守るためにはまだ足りません」

「ほう、娘御を? それほど苦難の道を行く娘御か?」


 ラカ殿が訝しげに問うので私は僅かに迷い、告げた。


屍神ししん教団どもが言う、忌み子なれば」


 その瞬間、ラカ殿はパッと離れて私に向かって片膝を付いて木剣を後ろ手に隠す。


「おお、なれば、貴方様が!」


 それは剣士が貴人を前に行う作法によく似ていた。


<続く>

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