13.子育て

 ラギュワン卿よりは幾ばくかの金銭と保存食、魔術を用いた病除けの布地を数枚を頂き、私の子育ての旅は始まった。


 ……子を育てる。


 一言で言えるその行為は恐ろしく難しく厳しい。


 だが、私は一人ではなかった。


 竜魔の姉弟が共にいてくれた。


 私が北を案内した時とは逆に南を案内すると言う理由を作っていたが、私が一人で子育てするのが心配だったと見える。


 だが、彼らのおかげで私は大きく助かった。


 ロズワグンは赤子の扱いが当初は恐々としたもので、何事につけてオロオロしていたが、元々勉強家であった為か方々から子育ての方策を聞き、自分なりにかみ砕いて実践し始めた。


 酷い夜泣きに悩まされた時も怒ることは無く、抱っこしてあやしてくれていた。


 その分、朝は辛い様子であったが……驚いた事に朝飯の用意は主にグラルグスがしてくれるようになった。


「セイシロウも姉者も良く眠れておるまい、子育ては分からんが飯くらいは作れる。この程度の事は俺がやる」


 そう告げて率先してやってくれた。


 この頃はまだ彼は私を兄者あにじゃとは呼んでいなかった。


 まあ、最も、グラルグスはスラーニャの夜泣きでも我関せずと眠ることができていたので、朝飯は任せるのに適当な人物だった。


 私は私で日中はスラーニャの衣服やおむつきを洗ったり、日銭を稼いだりと忙しかった。


 忙しくしながらもスラーニャの側を一刻と離れることは無かった。


 主に害獣を駆除するのに剣を用いて日銭を稼いだ。


 魔獣退治よりははるかに危険も少なく、短い時間で済むのが利点だがそれほど稼げない。


 ただ、返り血など浴びては不衛生ゆえ、浴びぬように獣を殺す日々はある種の修練にはなった。


 さて、食事と言えばスラーニャの食事には苦労した。


 男である私には乳を与える事など出来ないし、ロズワグンとて子を産んだわけでもないのならば乳など出ない。


 その為にまず私たちはスラーニャの食事を確保する事を重要視し、人の多い大国の町を転々とすることにしていた。


 数日から数カ月の間で転々とする我らは奇異に映った事だろう。


 そんな我らが子を抱く母親に出会えば、お礼は致しますのでこの子にも乳を飲ませていただきたいと頼み込むのである、警戒はされた。


 それでも赤子に罪はないと乳を飲ませてくれる者が居てくれたことは、誠に僥倖ぎょうこうであった。


 人の情にこれほど感謝した事は今までなかったかもしれない。


 感謝してもしきれぬ恩であると感じた為、乳を与えてくれた母親が住まう地域や一団の為に剣を振るう事で恩を返した事もある。


 私やグラルグスが荒事に出向く間はロズワグンがスラーニャの面倒を見ていた。


 親としては我ら三人は半人前も良い所だったが、それでも北の地を踏破したチームワークを発揮してどうにか子育てと言う難しいミッションをこなす日々だった。


 スラーニャに歯が生え始めると、とある母親の勧めで野菜を煮詰めてドロドロにした物も与えていくようにした。


 最初こそスラーニャは嫌がっていたが、味付けなどを三人で悩み工夫を凝らしていくとそのうち食べてくれるようになった。


 大いに嬉しく思い、また安堵した物だ。


 私たちの生活は女たちに混じりスラーニャの衣服を洗い、水でその体を清め、食事を与え、寝かしつけると言うサイクルに追われた。


 グラルグスなどは偉丈夫であり、整った顔立ちもしていた事から男たちのやっかみを買い、余計な騒動に発展しかけた事も何度かあった。


 面倒な話ではあったが、我らは流転の生活を送る身、そこまで大ごとにはならなかった。


 そんなこんなでどうにか子育てできていると言う実感を感じはじめていた頃、スラーニャが黄昏時になるとどうしてもぐずって泣き出してしまう事が続くようになった。


 それも不思議な事に決まった時間だけ泣くのである。


 そうなれば夕刻に手が空いているのは私の場合が多かったので、その時間ずっとスラーニャを抱っこしながらあやして道を歩いていた。


 その日々の間だけは剣の鍛錬は鈍ったが、若くして亡くなった父母の代わりに私を世話してくれた年の離れた姉に感謝をささげる日々でもあった。


 家事の大変さや子供に接する難しさを感じれば、感謝もひとしおだ。


 兄は軍人にはならんと家を出てしまうし、妹は病気がちだったので姉は相当苦労したと思う。


 中佐殿の嫁にと言う話が来た時はほっとした事を覚えている。


 ……兄はいつのまにか名家に婿に入り、姉も嫁ぎ、長じて健康に育った妹も既に嫁いでいる。


 私がこちらに来てしまった以上は神土かんどの家はこれで終わりかと思うと申し訳なさも覚えたが、これも天命と思ってもらうより他にない。


 ともあれ、幼少期から私は多くの人々の尽力の上で生きていたのだと思うと頭が自ずと下がる思いだった。


 そして子育てとはまさに難事であるとしみじみ思ったものだ。


 ただ、それだけに我が子が育っていくのを見るのは何物にも代えがたい喜びである。


 初めてスラーニャが言葉をしゃべった時の衝撃は、今でも覚えている。


 スラーニャはその緑色の瞳で私を見上げて、あるとき不意に口にしたのだ。


「とーたん」


 と。


 私はその言葉の意味に気付いて不覚にも目頭が熱くなった。


 私を父と呼んでくれたことが何よりもうれしかった。


 ロズワグンは我が事のように手を叩いて喜び尻尾を大きく揺らしていたし、グラルグスも大いに驚き、また感動したように双眸を細めていた。

 

 子育ては難事、されどもこの様な喜びがある。


 この様に穏やかな都市部での日々は一年過ぎ、さらに半年過ぎた。


 あの時間はかけがえのない時間だったが、その終わりがついにやってきた。


 刺客の手が我らに及び始めたのだ。


 それににいち早く気付けたのは、近隣の母親たちのおかげである。


 我ら親子に付いて見知らぬものがやたらと聞いてくると洗い場でよく会う母親の一人に言われたことが切っ掛けであった。


 その話はロズワグンも聞いたらしく、自身の種族が目立つために見つかったかと悔やんでいた。


「悔やんでも意味はない。スラーニャも育った、都市部を離れる頃合いであろう」


 私がそう告げるとグラルグスも同意し、急ぎ身支度を整えればその日の夜には街より去った。


 転々とすることに慣れてはいたが、ろくに挨拶もできずに近隣の住人と別れるのはいささか辛いことである。


 だが、素早く離れてこそ彼らの身の安全を確保できるのだ。


<続く>

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