12.赤子

 私が駆け込むと倒れ伏した指揮官は血の気の失せた顔で皮肉気な笑みを浮かべ声を絞り出した。


「北の地……侮れんか」


 仕事の内容はともかく、殆どの者が自分の命すら顧みず事を成そうとした事実が私に次の言葉を言わせていた。


「いかなる理由ありやとて何も知らぬで赤子を目の前で殺させる訳にはいかぬ、許されよ」


 その言葉に指揮官の男は力なく笑い、瞳から光を失わせながらも問うた。


「……ただの一人で……手塩に育てたレードウルフを滅ぼした貴殿の名を……」

「姓は神土かんど、名は征四郎せいしろう。巡礼騎士」


 それだけ告げると死に逝く男は目を見開き、それから呻くような声で告げた。


「さ、流石は噂に聞こえし北の騎士……見事な……腕だ」

「不名誉な仕事も全力で全うしようとしたレードウルフの名は覚えおこう」


 名を覚えて置く、それに意味があるのかは分からないが私の言葉を聞き男は唇の端を微かに釣り上げて、死んだ。


 外の敵も殆どが死んだか逃げた、安心されよと声を掛けると、安堵したのか母親は床に膝をついてしまった。


 そして赤子を私に掲げて言うのだ。


「……どうか……どうかこの子をお守りください、強きお方」

「母親が子を手放されてどうなさる」


 私の言葉にロズワグンがそっと首を横に振って告げたのだ。


「セイシロウ、こちらの方は既に……」


 その言葉にハッとして母親を見れば腹から赤い染みが広がていたことに気付く。


 まさか、ここに来た時には既に……。


 母親の命の火が消えかけていることに気付いた私は、逡巡した。


「あなた様は正に鬼神の如きお方。見事にただの一人であの恐るべき彼奴等に打ち勝ちました……。この子を守れるのは魔導士にあらず、権力者にあらず……貴方のような常道より外れた方だけ……どうか、どうか……」

「……委細承知つかまつった」


 今にも死のうと言うのに熱に浮かされた様に赤子を託そうとする母親の言葉に、私は折れた。


 私のような男が、赤子を守れるのか不安はあったが、私の言葉を聞いて安堵したのか母親はその場に倒れ、そして黄泉路に旅立たれた。


※  ※


 受け取った赤ん坊のおくるみはすぐに変えることになった。


 血も泥も赤子には良くない事は明白だったからだ。


「難儀な道を選びおったな。じゃが、あの状況では貴公ならば断れまいか」


 ロズワグンが私を見やりながら告げる。


「赤子はか弱いぞ? 力加減など間違えるでないぞ?」

「姪の……妹の子を面倒見た事はあるゆえその辺りは心得ている」


 私の言葉にロズワグンは微かに笑い。


「貴公の家族の話、はじめて聞いた気がするな。妹がおったか」

「言うてなかったかな? 兄と姉もおる。最も、皆家を出て行ってしまったがな」


 兄は軍人にはならぬと祖父と喧嘩して出て行ってしまったし、姉と妹は嫁いでいる。


 家に戻っても祖父も鬼籍に入った今はただ一人。


 それがこちらで気兼ねなく剣を振っていられる理由の一つでもある。


 ……姪の世話か。


 あれは戦地から戻って塞ぎ込みがちだった私を妹が気遣ったのかもしれない。


 休暇中であっても何か忙しければ余計な事を考えずに済むと言う配慮。


 ……今にして思えばそんな配慮に思えた。


 その配慮がこんな所で役立とうとは考えもしなかっただろうが、世の中どう転がるか分からぬ。


 グラルグスが赤子の母親を埋めるために穴を掘っている間、私はロズワグンにそんな事を話していた。


 こちらに来て元の世界の事を……家族について話したのは彼女が初めてだった。


 ロズワグンはそうかと微かに尾を揺らしながら静かに話を聞いてくれていた。


※  ※


 三人で話し合った結果、一度ラギュワン卿に現状を伝え南に移動した方が良いと言う事になった。


 子育て経験の疎い我らが北の地で赤子を育てるのはあまりに厳しいからだ。


 とは言え南に降れば巡礼騎士の務めを果たせなくなる、それが気掛かりな事ではあった。


 いささか後ろめたさも感じたが大恩あるラギュワン卿に無言で南に降る訳にはいかない。


 ゆえにラギュワン卿と連絡を取り卿の逗留する宿を訪ねた。


「申し訳ありません、ラギュワン卿。ご相談したき事がありお伺いしました」

「災厄の竜を追っていたかと思えば、何かあったのか?」

「竜は無事討ちましてございます。ただ、その後で困りましたことに赤子を託されまして……」


 宿の一室を訪れて事の詳細を伝えると、白髪の老いた男が難しい顔で鋭い視線を寄越す。


 この老人こそ齢七十を超えてなお一線で戦う武人、最後の巡礼騎士と呼ばれていたラギュワン卿その人だ。


「一見すればお主の連れである竜魔の姉弟と似た髪色に瞳の色」


 私が抱く赤子を見据えて呟くようラギュワン卿は言葉を零す。


「さりとて、頭部に角は無く尾も生えてはおらん……か。何があったのか、説明してみよ」

「はい」


 私は事のあらましを伝える。


 母子ともに殺そうとした雇われ兵を打ち倒すも、母親は既に傷を負っておりその母に赤子を託されたと話し終えると、師は薄灰色の双眸を閉じて。


「何かと南の地が騒がしいことは知っておったがな……。連中は北の脅威が減じておるとでも思っておるのか」

「それはどの様な意味でしょうか?」

「レードウルフなる傭兵共に聞き覚えがある。魔術を使えぬ荒くればかりを集めているが、他の傭兵たちにはない統率力で功績をあげる有数の傭兵団と聞く。有数の傭兵団を動かせるのは有力者のみ。南の地の貴人が赤子殺しを命じたのだ」


 憤りを感じさせる声音で卿はそう説明した後に、子の行く末を決めるのは環境と教育だけであろうと落ち着いた声で言い添える。


「確かに北では育てられまい。まだ安全な南に行くが良い。……だが心せよ、セイシロウ。北の如き魔獣はおらぬが南でも争いは絶えぬと知れ」

「……この子を殺したい者が襲い来ると?」

「大枚を叩いてでも殺したい様子、迫る刺客は一人二人ではすまんぞ」


 その言葉が重く響いた。


 それが家督争いなのか、別の何かは分からない。


 分からないがこの子を育てると言うのが私に託された願いである。


 守り切らねばならない、やり遂げねばならない。


 私は深く頷くとラギュワン卿は小さく息を吐き出してから、赤子に優しい眼差しを送りながら問う。


「時にこの子に名は無いのか?」

「伝え聞く前に母御は身罷みまかられましたので」


 私の返答にラギュワン卿はそうかと眉根を寄せて、それから名付けねばならんなと幾つかの女性名を挙げてくれた。


 その中の一つにスラーニャと言う名があった。


 それは北方のある部族に伝わる名前で意味は天より降り来たる光の柱、つまりは雷だと言う。


「スラーニャ、そう名付けたいと思います」

「お主らしいと言えばお主らしい名前を付けたな。巡礼騎士の務めは気にするな、元よりワシが巻き込んだような物だ。その子を育てることに専念せよ。ただ、南でも気は抜くでないぞ? 必ず刺客が来る」


 その言葉を聞き、私は流浪の道を選択せざる得ないと悟った。


 一か所に留まってはいられない、それは刺客を多数招き入れる結果になるのだと。

 

 ゆえに私は常に流転し、子を育てねばならない。


 ……なるほど、一般的な子育てとは大きく異なるな。


 だが、やるしかない。


<続く>

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