第29話 燻る火種


 強力な衝撃波がリオンの足を持ち上げる。

 彼は魔力を集中させ、身体能力を向上させると押し寄せる力に反発してその場に留まった。

 衝撃波が通り抜け、後には舞い上がった粉塵と静寂だけが取り残された。


「一体何が……。そうだ、セシリアは!?」


 この魔力波を放ったのが黒獅子ならば、最も近くにいたセシリアが危ない。

 そう思ったリオンが周囲を見回すと、彼の遥か後方に彼女の姿はあった。

 リオンが慌てて駆け寄った。

 セシリアは壁に背をもたれた状態で倒れており、外見に目立った傷はない。


「セシリアさん……セシリア!!」


 しかしいくら声を掛けても彼女から返事は得られなかった。

 恐らく至近距離から高密度な魔力波を受けたことで魔力回路が一瞬麻痺したのだろう。

 そして一時的な魔力欠乏症を引き起こした。

 リオンがセシリアの手を取って魔力同調を行う。

 すると停止していた魔力回路が再び動き出し、セシリアの顔色が僅かに明るくなる。

 リオンが安堵の息を吐く──その時だった。


「──ッ!?」


 総毛が逆立ち、内蔵がまるっと反転したかのような感覚が彼の体を突き抜けた。

 全身の震えが止まらなくなり、全ての汗腺から汗が流れる。

 呼吸が荒れ、四肢が強ばる。

 それでもリオンは機械人形よろしく首を動かすと、その圧倒的な気配へと目を向けた。


「グルァ……」


 低い唸り声に胃が軋む。

 鋭い眼光に心臓が止る。

 奴の一挙手一投足がリオンの命を無遠慮に撫で、そのあまりの気持ち悪さに彼は口を押さえた。


「おええ……」


 口内に広がった酸味がわずかながら彼の正気を取り戻す。

 リオンはもう一度おぞましき死神を睨んだ。

 先刻での奴は鬣だけが黒く、他は身の丈以外はそこいらのライオンと変わり無かった。

 だが、今の奴はどうだ。鼻のてっぺんから尻尾の先まで夜闇を喰らったかのような漆黒の体毛で覆われている。

 瞳の色もより昏さを増し、まるで血を映したような感じだった。

 体もさらに大きくなり、今じゃ五メートル近くある。天井よりほんの少し小さいくらいだ。

 そして何より違うところは奴の内で溢れ返っている膨大な量の魔力である。

 そこだけを見ればテルミラよりも多いかもしれない。

 本当の意味で死神となった黒獅子が一歩リオンに近づいた。

 それから少しずつゆっくりと近づいてくる。


「……くるな、来るな!! ──【ファイアボール】!!」


 リオンが黒獅子の弱点である炎魔法で牽制する。

 しかし黒獅子はそれを避けるどころか相殺しようともしなかった。

 真正面から攻撃を喰らう黒獅子。奴の顔の周りに黒煙が立ち込めた。


「な……!?」


 煙が霧散し、現れた黒獅子を見てリオンは絶望した。

 弱点である炎魔法を受けたにも関わらず、その黒い顔には傷一つ付いていなかったのだ。

 リオンの手から杖が落ちた。


「……勝てない」


 その事実を悟るのに今の一撃は十分すぎた。

 絶望し、抵抗を辞めたリオンの前に黒獅子が立つ。

 そして、その大きな脚を振り上げた。


「──【炎の一矢】」

「グル……?」


 不意に飛来した炎の矢が黒獅子の脚に突き刺さる。

 尤も奴にとっては蚊に刺された程度のダメージだが、リオンから意識を逸らすには十分だ。

 くとリオンが矢の飛んできた方を見る。


「ウノ!!」


 そこには立つのがやっとの状態で杖を構えるウノ。

 彼女はリオンを一瞥して、黒獅子を睨みつけた。


「これの相手は私が引き受けるわ。アナタはその子を連れて助けを呼んできて」

「それじゃあお前が……」

「──ごちゃごちゃ言わずにさっさと動きなさい!!」


 ウノの怒声が長い通路を駆け抜けた。

 彼女の叱責を受け、リオンはセシリアの方を見た。

 ボロボロの彼女はまだ気絶したままだ。

 そんな彼女を連れて助けを呼びに行っていったい何十分でここまで戻って来られるだろうか。


「……」


 彼は次いでウノを見る。

 息が荒れ、今にも倒れそうな彼女。

 そんな状態で黒獅子を相手に何十分も耐えられるとは思えない。

 つまり彼女は死ぬつもりなのだ。

 自分の成績の事しか考えていなかったウノがリオンのために死を選んだ?

 冗談じゃない。そんな事許されていいわけが無い。

 セシリアを助けるためにここへ来る選択をしたのはリオンだ。

 誰も死なせない。全員助ける。


「そのためには力が必要だ。圧倒的な力が……」


 そこまで考えた時、彼の体内で何かが熱く燃えた。

 強く、優しい、白い"焔"。


「ある……。そうだ、オレには焔魔法があるじゃねぇか!」


 希望を見出したリオンがガッツポーズをして立ち上がる。

 だが直ぐに顔を俯かせた。

 焔魔法はまだ不完全な魔法だ。使いたくても使えない。


「くっそ! 変形魔法で中性にでもなれたら……」


 そうすれば両方の性別の特別な感覚が同時にひとつの体で再現できるのだが……。


「……同時に、ひとつの体……」


 ふと、リオンの思考に雷が落ちた。彼の脳がかつてない速度で回転する。


「そうか、この方法ならもしかして……!!」


 そうしてリオンは不敵な笑みを浮かべると、ウノと交戦中の黒獅子を睨みつけた。

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