第7話 早朝の戦い


 午前六時。アスモディアの校舎から起床の鐘が鳴り響く。

 その音を聞き、リオンがムクリと起き上がった。


「……へっくしょん!!」


 寝起き早々、大きなくしゃみが彼の口から放たれた。

 ブルりと身震いしたリオンはふと昨夜のことを思い出す。


「あぁ、そういえば布団も被らずに寝たんだっけ……」


 そこまで言って、リオンは急に口を噤んだ。次いで、喉元にそっと手をあてがう。

 ──ある。

 彼の喉元には確かな凹凸があったのだ。


「あ、あー……」


 声を出してみると、見事に野太い声が返ってくる。

 リオンがゆっくりと下を見ると、パツパツの制服を着たがっしりとした肉体があった。

 リオンは慌てて布団を頭から被った。


「(やばい! 魔法解けてるじゃねぇか!!)」


 内心で叫ぶリオン。彼はパニックになりそうな思考を落ち着かせるために大きく深呼吸をした。


「(……恐らく眠ってる間に魔力が空っぽになったんだな。しかし、ウノが寝てくれてて助かったぜ。おかげで誰にも見られてない……はずだ)」


 寝る前に鍵はかけたはずだからこの部屋に入れるものはいない。

 ウノにさえバレなければリオンはまだこの学園にいられるのだ。


「(けど、このままじゃまずいな。寝たはずなのに魔力は回復してないし、これじゃあ魔法が使えねぇよ。──仕方ねぇ、とっておきたかったが、こればかりはポーションを使うしかないか……)」


 アスモディアへ来る前に購入した魔力を回復させるポーションはキャリーケースの中にある。

 リオンはそれを取りに行こうと、一旦布団の外へ出ようとした。


「──っ!!」


 だが、彼は布団から鼻先を出した辺りで、慌てて布団の中に引き返した。

 心臓がこれ以上ないほどにバクバクと脈打っている。

 リオンは騒がしい心臓を落ち着かせると、布団の隙間から外の様子を窺った。


「じ──っ…………」


 布団の外にいたのはウノだった。彼女はまだ眠いのだろう、半目の状態で、しかしリオンがくるまった布団をじっと眺めていた。

 リオンがぐっと息を呑む。

 まさか男の姿を見られたのだろうか。それで疑われているのではないか。

 悪い想像が脳裏をチラつく。


「…………」


 彼の想像が的中したのか、不意にウノの手がリオンの布団へと伸びた。

 ひっぺがされる──。

 リオンがそのことを覚悟して身構える。

 だが、直後に彼の体が感じたのは横に揺すられる感覚だった。

 ウノの寝起きで舌っ足らずな声が聞こえる。


「リオーネ。朝だよ、起きて」

「…………」


 リオンの内心など知る由もないホワホワとした彼女の言葉を聞き、彼は安堵の息を吐いた。

 しかし、安心したのも束の間。ウノがリオンの布団をガっと掴んだ。

 そして先程よりも強い力で揺すり始める。


「リオーネ、起きて。起きなさい! もうすぐ朝食の時間よ!」


 揺する度に強くなっていく力加減。このまま行けば数刻もしないうちに布団を剥がされてしまうだろう。

 それだけは何としても避けねばならないリオンは、一か八かの作戦に出た。


「お、おはよう。ウノちゃん」

「あら、起きたのね。おはよう。もうすぐ朝食の時間よ」

「うん、分かってる」

「…………分かってるなら、早くそこから出て準備しなさいよ」

「え!? いやぁ……それは……あはは……」


 布団から出ては男だとバレてしまうから出来ない。などとは口が裂けても言えるはずがなく。リオンは適当に笑って誤魔化した。

 だが、そう上手く誤魔化せる訳もなく、なかなか布団から出ようとしないリオンを見て、ウノは眉間にシワを寄せ、小さく首を傾げた。


「ところでアナタ……昨日と声が違くない?」

「……っ!!」


 ウノに指摘され、リオンがビクリと肩を揺らす。

 彼が考えた一か八かの作戦というのは何とかこの場を『裏声』で乗り切ることだった。

 だがもちろんリオーネとリオンの声帯は全くの別物だ。リオンがいくら裏声を出そうともリオーネの声には似ても似つかないのである。

 これはさすがにバレてしまったか。リオンの頬を冷たい汗が流れた。

 それから少しの沈黙があった。

 その間にリオンは覚悟を決めると、自白のために布団から頭を出した。


「すまんウノちゃん、実は──」

「やっぱり。アナタ、風邪を引いてるんでしょ」

「…………へ?」


 突然聞かされたウノの勘違いに、リオンの口から変な声が漏れてでた。

 少しして彼は彼女の言った言葉の意味を理解すると、慌てて布団の中に戻った。

 咳払いをして再び裏声でリオーネを演じる。


「じ、実はそんなんだ。朝から喉の調子が悪くってさ……。うつしちゃったら悪いと思ったからウノちゃんに顔を見せられなくて……」

「……私の心配をしてくれてたのね。ありがとう。きっと入学早々夜中までパーティなんかやったから疲れちゃったのね」

「多分そうかな。──まぁ、そんな訳だから食堂にはウノちゃんひとりで行ってよ。オレは保健室に寄ってから行くから」

「薬を貰いに行くのね。大丈夫、アナタは病人なんだからそれくらい私に任せなさい。リオーネは今しばらくそこで寝てるといいわ。今日からは授業も始まるようだからね」

「いいの?」

「ルームメイトでしょ。困った時はお互い様よ。──それじゃあ薬を取ってくるわね」


 ウノはそう言うと、部屋を出ていった。

 どうやら完全にリオンの嘘を信じているようである。

 リオンはウノが出ていった扉を眺めながら、ふとぼやく。


「昨日はおかしな奴だと思ったけど、意外と良い奴なんだな……」


 ウノという人格の新たな一面を知ることが出来て、リオンの中でウノの評価が多少良くなった。


「……って、こんなこと言ってる場合じゃねぇ。ウノが帰っくる前に変身魔法を使わねぇと」


 リオンは本来のやるべきことを思い出し、慌ててベットから飛び起きた。

 彼はクロゼットにしまったケースの中から紫色の液体が入った瓶を取り出すと、栓を外して、中身を一気に飲み干した。


「うげぇ……まっず!」


 味の方は生魚と雑草をミックスしたような感じで最悪だったが、効果の方は絶大だ。

 彼は体の奥の方からふつふつと魔力が湧き上がってくるのを感じ取った。

 リオンが直ぐに魔力を集中させる。


「……【変身魔法】!!」


 そして今日初めての変身魔法を唱えると、無事にリオーネへと姿を変えた。

 リオンがホッと息を吐いた。


「これでひとまずは助かったかな……」


 リオンが安堵してベットに腰をかけると、扉がノックされる。返事をするとウノがお盆を持って入ってきた。

 お盆の上には粉薬と、コップ一杯の水が載っていた。


「調子はどう?」

「今さっき水を飲んだら少し良くなったよ」

「確かに声がクリアになったわね。けど、念の為薬を飲んでおいた方がいいわ」

「うん、ありがとう」


 リオンはウノから薬とコップを受け取ると、薬、水の順番に喉に流し込んだ。


「うへぇ、こっちも苦い……」

「こっちも……?」

「い、いや、なんでもないよ」


 思わず失言をしてしまい、リオンは笑って誤魔化した。

 しかし、ウノは納得のいかない様子だった。

 リオンが慌てて話題を逸らす。


「ところで、まさかウノちゃんがこんなに優しいとは思わなかったな。ちょっと意外」

「別に優しくなんてないわ。さっきも言ったけど、困った時はお互い様よ。もし私が困った時は遠慮なくアナタに助けを求めるからね」

「ドンと来い! ……って言ってもウノちゃんの助けになるかは分からないけどな」

「そこは頑張って。──それと『ウノ』でいいわよ。ちゃん付けって私のキャラに似合わないわ」


 ウノは最後に頬を掻きながらそう言い足した。

 その際に彼女の頬が僅かだが赤く染っていたのをリオンは見逃さなかった。

 彼はウノの手を取ると、ニコリと笑って見せた。


「改めて、よろしくな! ウノ!」

「えぇ。よろしく頼むわ。リオーネ」


 リオンの笑顔につられ、ウノも小さく微笑んだ。

 それを見てリオンが目を大きくする。


「……笑った顔、初めて見た」

「え……? ──あ。〜〜〜〜〜ッ!!!」


 無自覚だったのか、リオンに指摘されたウノは直後に顔を真っ赤に染め上げた。

 ウノが顔を隠してそっぽを向く。

 その反応が面白くて、ついリオンの胸にイタズラ心が顔を出す。


「隠す必要ねぇだろう。せっかく『可愛い』んだからさ!」

「〜〜〜〜ッ!! ──う、うるさいわね! 早くしないと朝食にありつけなくなるわよっ!!」

「えー、もう少しいいじゃん。もう一回だけ『可愛い』笑顔見せてくれよ〜」

「ッッッ!! ……もう、知らない!!」


 リオンの口撃を食らったウノは頭から煙が出るほど顔を赤くすると、逃げるように部屋を飛び出して行った。

 リオンもそれを追うように部屋を出る。

 それから二人は食堂まで駆けっこを行い、その後無事に朝食を食べたのだった。

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