第6話 相部屋



 パーティも無事終わり、入学初日にすべきことを全て終えた新入生達は、各自に与えられた寮の部屋へ戻り、明日へ備えて就寝した。

 しかし、何人かの生徒の部屋は未だ明るく、リオンの部屋もそのうちのひとつだった。


「……さて、やるか」


 部屋に入り、荷物をベットの上に投げたリオンは部屋の鍵をかける。

 ベットの上でキャリーケースを開くと、一番奥からキューブ形の物体を取り出した。


「いやぁ、荷物検査とかがなくて良かったな……。これ見られたらマズイもんな」


 リオンがキューブを見つめて不敵な笑みを浮かべる。

 彼が取り出したキューブは設置型の簡易結界というものだ。

 結界とは本来、色々と複雑な条件をクリアした場所にしか設置出来ない不便な物だ。アスモディアが街から少し離れた所にあるのも、ここが結界を展開するのに適した土地であるためだ。

 しかし、簡易結界は効果や大きさを低くすることで結界構築に必要な諸条件をある程度無視して結界を展開することが出来る。

 もっともその利便性が故に相当な値段がするのだが、それでもリオンはこの簡易結界を手に入れた。

 彼がそこまでするのには大きな理由がある。


「うっ……!」


 不意に足がよろめいて、彼は壁に手をつく。

 よく見ると息も上がっており、額には玉の汗を滲ませている。


「マズイな……魔力が空になる前にこいつを付けないと……」


 リオンの顔に焦りの色が現れる。

 彼がどうしてここまで焦っているのか、それは彼が朝から使い続けている魔法のせいだ。

 彼が使う変身魔法は普通の変身魔法に比べて非常に燃費が悪い。

 そのため連続では十六時間しか使うことが出来ず、魔力を限界まで使い切ると全快まで八時間はかかる。寝て休めば回復は早くなるのだが、それでも六時間は必要だ。


 寝て六時間なんてあっという間じゃんと思うかもしれないが、リオンの場合はそうでは無い。

 六時間魔法が使えないということは、六時間リオンは男のままということだ。

 男除けの結界があるアスモディアで、もし一瞬でも変身魔法が解けようものなら……その先は想像に難くないだろう。


 魔法が使えない間、リオンが男だとバレないためにはどうすれば良いか。

 そう考えた末に彼が出した結論が簡易結界という訳だ。

 彼が用意した簡易結界には既に展開されている結界の効果を無効化する魔法が付与されている。また、隠密機能も搭載されており、探知魔法に引っかからないという優れもの。

 もっともそれだけの効果がある代物なため、展開出来る結界の大きさはせいぜい一部屋が限界だ。

 アスモディア全域を囲む結界に比べれば子供が作る砂山のような規模でしかないが、リオンにとってはそれで十分だ。

 つまり、リオンはアスモディアという危険な土地に安全地帯を造ろうとしているのだ。


「問題はコイツをどこに付けるかだが……」


 キューブは明らかに異質な見た目をしており、これが単体で置かれていたら流石に怪しまれてしまう。

 そのためどこかに隠す必要がありそうだ。

 リオンはキューブを片手に部屋をぐるりと見回した。


 入口から見て左手に埋め込み型のクロゼットがあり、右手に棚がある。

 二段ベットが左手の壁に沿うように配置され、それとは線対称の位置に机が二つ、小さな収納を挟んで置かれていた。

 奥の壁の中央には木枠の窓が一つ付いている。

 天井は一六四センチのリオンがジャンプしてギリギリ届かないぐらいの高さで、中央に照明が下がっている。


 パッと見た感じでは照明の裏や、机の引き出しの中、ベットの下などがバレなさそうな位置である。


「……よし、ここにしよう!」


 逡巡の後、リオンはキューブをベットの下に設置した。

 するとキューブがカシュッという音を立てて僅かに開き、透明な膜のようなものがリオンの体を通り抜けていった。


「これでいいのか?」


 リオンは本当に結界が展開されているのかを確かめるために一度部屋の外に出てみる。

 しかし、先程感じたような膜を抜ける感覚はしなかった。

 再び部屋の中に入るが、至って普通。結界を展開する前と何も変化はなかった。


「ほんとに大丈夫か?」


 恐らくは隠密機能が働いて結界の感触が無くなっているのだろうが、リオンの内心には不審感が募り出す。

 結界が正常に機能しているかどうかを確かめるにはリオンが魔法を解除する他にない。

 しかし、万が一誤作動を起こしていた場合、男除けの結界が作動して教師やら警備員やらがやってきてしまう。

 男であることを隠すならここで危険を犯すのは得策では無い。

 だが確かめなければ安心して休むこともままならない。

 そうなれば魔力はそこを尽き、結局男に戻ってしまう。それは夜中か、明日の朝なのか。

 少なくとも明日の授業に女の格好で参加することは出来ないだろう。

 それは本末転倒というやつだ。


「よしっ! やるぞ!」


 長い思考が終わり、リオンは簡易結界の効果を信じ、魔法を解除することにした。


「マジで頼むからな……!」


 簡易結界に願いながらリオンは意を決して変身魔法を解除する。

 するとリオンの体が淡い光に包まれて、それが消えると、そこには男のリオンがいた。


 白い髪や紫色の瞳は同じだが、髪は短く、背も百八○センチ強に伸びている。

 胸は萎み、平たい胸板に変わり、肩幅も倍くらいに広くなった。


 変身魔法を解いた彼を見れば誰であろうと彼を女だとは言わないはずだ。

 故にキャラメル色の制服が絶望的に似合わない。肉体が大きくなったおかげで制服はパツパツになっていた。

 今の彼を一言で形容するならば『変態』である。


「……誰もこない……か?」


 変身魔法を解いて数分が経ったが、教師らが来るような気配は感じられなかった。

 リオンは扉に背を預け、その場に座ると、大きく安堵の息を吐いた。


「ひとまず難所は乗り越えたかな。──着替えよ」


 安心したのも束の間。改めて我を見返したリオンは自分があまりに紳士的ではない格好をしていることに気がついた。

 疲労困憊の体に鞭を打って、ポンチョのようなマントを脱ぎ始めた。


 ──ガチャガチャ。


「──うぉっ!?」


 リオンが制服のファスナーを下げた所で不意にドアノブが回された。

 幸い鍵をかけていたおかげでドアが開くことは無かったがリオンは驚いて声を上げてしまった。

 返ってきた自分の声が低く、慌てて口を塞ぐ。

 再びガチャガチャとドアノブが回された。


「……おかしいわね。鍵でもかかっているのかしら? ──ちょっと! 誰かいるならここを開けなさい!!」


 すると今度は若い──リオンと同い年くらいの女子の声が聞こえてきた。

 リオンはまずドアの先にいるのが教師ではないことにホッと胸を撫で下ろした。

 だが、引き続きガチャガチャと回されるドアノブがリオンの焦燥を掻き立てる。


「誰もいないの? ……じゃあ鍵が壊れているのかしら。まったく迷惑な話ね。こっちは長旅で疲れてるってのに。はぁ……仕方ない──壊すか」

「(……ちょっ!!)」


 ドアの向こうから聞こえてきた物騒な言葉にリオンが慌てる。

 もしいま扉を壊されようものなら、リオンの学園ライフは終わってしまう。


「もう魔力ないってのに──【変身魔法】!」


 残り少ない魔力を使って本日二度目の変身魔法を唱えると、リオーネの姿となり、壊される前に扉を開けた。


「ごめんね! 少し寝ちゃってて──」


 リオンが笑顔を取り繕って顔を出すと、彼のアホ毛のあたりを何かが通り過ぎた感覚がした。

 次いで、アホ毛が地面に落ちる。

 それを見て、リオンの顔が青く染まる。


「──ひぃ!!」

「あら、いたの? ならもう少し早く出てきて貰いたかったわ。──まぁ、でもタイミングは良かったわね。あと少しで扉を壊す所だったから」


 さも冗談を言うようなトーンで言ってのける女生徒。しかし、リオンはその言葉が冗談出ないことを無惨に散ったアホ毛をもって知っている。

 もし数秒前にリオンが扉を開けていなかったら地面に転がっていたのは彼のアホ毛ではなく、扉の方である。

 リオンは恐る恐る女生徒の顔を窺った。


 黒いウルフカットヘアの美少女だ。しかし、丸い瞳はまるで闇を内包しているように真っ黒で、顔には表情が感じられない。

 彼女の顔を見ていると背筋の辺りがゾワゾワとして落ち着かない感じがするのだ。

 絶対に刺激してはならない人物であるとアタリをつけたリオンは慎重に彼女に接した。


「えっと……オレに何か用かな?」

「用、という程では無いわ。──ところでアナタ、いくら裸族だからって初対面の相手の時くらいは服を着た方がいいと思うわよ」

「──へ? ……きゃあ!!」


 女生徒に指摘され、リオンは自分の体を見下ろした。

 するとそこには白色の下着だけを纏った自らの痴態が晒されていた。

 彼は咄嗟に変な声を上げると、その場にうずくまり、涙目で女生徒に弁明した。


「これは違くて! 着替えようと思ったらキミが来たから!!」

「だとしたら普通気づくでしょ。アナタって少し変わってるのね」

「う……っ!」


 初対面の、しかもよりによって扉を壊そうとした彼女に変と言われ、リオンは少なくないショックを受けた。

 彼はヨロヨロと部屋の中に入ると、そこから制服を持ってもう一度女生徒の前に出た。


「……それで、用はなに?」


 制服を着ながらリオンが尋ねる。


「さっきも言ったけど、別に用はないわ。私もこの部屋の住人だからここに来た。ただそれだけ」

「へぇ、キミもここなんだ。…………って、え!?」


 さらりと言われた衝撃的な事実にリオンが大きな声を上げる。

 すると女生徒が鬱陶しそうに彼を睨んだ。


「ご、ごめん。……というか本当に相部屋なの? キミがオレのルームメイト?」

「そうよ。それとこれから同じ部屋で生活するのだからキミ呼びはやめて。私はウノ。ウノ・メィズル。アナタは?」

「……リオーネ・クラシア」

「そっ。それじゃあ、よろしくねリオーネ」


 ウノと名乗った女生徒はずさんにリオンの手を握ると、そのまま横を抜けて部屋に入っていった。

 扉が閉まり、リオンが部屋の外に取り残される。

 彼は数秒間、岩のように固まっていたが、理性を取り戻すと頭を抱えて悶え始めた。


「まずいまずいまずいまずい! 相部屋なんて聞いてないぞ!? っていうか、え、オレ今日から女子と同じ部屋で生活するのか? それって倫理的にヤバいんじゃ──」


 そこまで言って、リオンの顔がサァッと青ざめる。女子と同じ部屋で寝泊まりするよりも深刻な問題を思い出したからだ。


「……魔力回復どうしよう。せっかく簡易結界まで張ったのに女子が居たんじゃ魔法を解除出来ねぇじゃねぇか!!」


 全ての男が羨むようなシチュエーション。まさかそれがリオンをこうも苦しめることになろうとは。

 リオンはその後、色々と思考を巡らせたが結局誰にもバレずに魔力を回復させるいい案が浮かばなかった。彼の諦念が多分に含まれたため息が長い廊下に木霊する。


「あぁ、クソ。疲れてるせいかまともに頭が働かねぇ。……仕方ねぇ、明日以降のことは明日以降に考えよう。今日のところは女のままやり過ごすか……」


 リオンは何度目とも知れないため息を吐くと『6886』という札が取り付けられた扉を開いて、部屋の中に戻った。


「……すぅ、すぅ、すぅ」


 部屋に戻ると、ウノは既にパジャマに着替え、二段ベットの二階で寝息を立てていた。

 それを見たリオンは肩を竦めると、照明に向けて手を伸ばし、光を消す。

 真っ暗になった部屋を数歩進み、制服のままベットに倒れ込んだ。


「……あぁ、まったく……男にとっちゃ地獄だな…………ここは……………………」


 意識がぼんやりとする中、彼はそんなことを呟いた。

 数秒後、彼の口から可愛らしい寝息が聞こえてきた。


 そうしてリオン・クルーシオのアスモディア入学初日が幕を閉じた。

 同時に波乱万丈の学園生活が盛大に、そして勢いよく幕を開けた。

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