第5話 入学式


 なんとかギリギリで入学式に間に合ったリオンとセシリアは扉を閉じた教師に言われ新入生が並ぶ列の最後尾についた。

 リオンが周囲をぐるりと見渡して感嘆の声を上げる。


「人がいっぱいだなあ」

「アスモディアですからね。むしろ今年は少ないくらいですよ?」

「え! これで!?」

「ふふ、私たちみたいに遅刻した人がいたのかもしれませんね」

「笑い事じゃないんだが……。てか、オレたちは遅刻してないから!」

「そうですね。リオーネさんのおかげです」

「それを言うならセシリアさんの空中移動がなかったらオレはここにいなかったはずだ」

「……。……だってそれは──」


 リオンが感謝を伝えると、セシリアが少し言い淀むように口を噤んだ。

 そして意を決して何かを言おうとしたその時──


「────ッ!?」

「────ッ!?」


 リオンとセシリアの背筋にこれ以上ない程の悪寒が伝わった。

 二人が、いや──全新入生が同じ方向へ振り向く。

 それは大広間の奥にあるステージの方向だった。

 しかし、ステージの上には演台がひとつぽつりと置かれているだけで、他には何も無い。

 先程感じた悪寒も今は既に消えている。

 気のせいだったのだろうか。

 頭ではそう思いつつも、彼の本能がステージに置かれた演台から目を放してはいけないと忠告していた。

 それは恐らくリオン以外の皆も同じだろう。

 これは神様が全人類に向けた忠告なのだ。

 絶対的強者からの命令を受け、新入生全員の視線が演台に集まる中、それは袖の方から聞こえてきた。

 ヒールが奏でる高い音色の足音が重苦しい空気を纏う大広間に木霊する。

 リオンの首筋がビリビリと痺れ、総毛立つ。

 ──化物だ。

 リオンの直感がそうとだけ告げて、しんと静かになった。

 冷や汗がぽつりとフローリング加工が施された木製の床に落ちる。

 カツカツと鳴る足音は演台の元までやってくると、ピタリと停止。

 沈黙が続く大広間に拡声魔法を使う際に響く特有の高音だけが吹き抜けた。


「──皆さん、顔をあげてください」


 拡声魔法を通して聞こえた優しげな声。その声に促されて初めてリオンを含む全新入生は自分が知らないうちに礼をしていたことに気がついた。

 リオンは恐る恐る顔を上げ、そして演台に立つ人物の顔を見た。


 白髪の老婆である。紺色のスーツに黒縁のメガネをかけ、肩にはオッドアイの黒猫を乗せている。

 一見優しそうなどこにでもいるおばあちゃんのような相貌だが、放つプレッシャーは並大抵の魔法使いでは足元にも及ばぬほど強大で、鈍重な響きを有していた。


 この場にいる人間が全員息を呑む中、老婆は最初に笑って見せた。

 その瞬間に大広間に広がっていた鉛のようなプレッシャーが霧散し、リオンは呼吸を思い出す。

 新入生の顔が明るくなったのを確認した老婆は満足気に頷いて、拡声魔法に声を通した。


「皆様ごきげんよう。アスモディア魔法女学校学校長アイゼリア・オルク・シア・アルネストです。──新入生の皆さん、入学おめでとうございます。我が校を代表して皆さんの入学を心より歓迎致します」


 名乗り、一礼をするアルネスト学校長。

 その綺麗なお辞儀にも目を引かれたのだが、リオンは彼女の名前に聞き覚えがあった。


 アイゼリア・オルク・シア・アルネスト。それは百余年前に魔王を倒した勇者が率いるパーティの魔女の名前である。

 魔界の四肢と呼ばれる魔王幹部の一人『不死身ワルツ』との戦闘では圧倒的な魔力量でその肉体を復活不可能なほどの極小の肉片に変えて勝利をもぎ取ったとされている。

 その他にも彼女の名前は様々な偉業とセットで語られ、巷では生ける伝説とも呼ばれる存在だ。


 まさかそんな伝説とも言われる人物がいち魔法学校の学長となっていると誰が想像できるだろう。

 もちろん他のもの達はそれを承知の上で入学しているはずなので、知らなかったのはリオンただひとりだ。

 彼はこの学校のレベルの高さに驚くと同時に男だとバレた時の事を想像して震え上がった。

 リオンはやや警戒しながら校長の話に耳を傾けた。


「さて、私からは二つお話をさせて貰います」


 アルネストは指を二本立てると、そのうちの一本を下ろして語り始めた。


「まず一つ目です。皆さんはここが魔女を養成する学校であるという認識を持っていると思います。ですが、そうである以前にここは魔法学校。至る所で魔法に触れる学校です。

 ──魔法とは便利なものですが一つ間違えば非常に危険なものになるなのです」


 アルネストはそこで一度言葉を区切ると、今度は声のトーンを低くして話を続けた。


「我が校でも毎年二桁の生徒は何らかの事情で命を落としています。それは授業であったり、研究であったり、生徒間のいざこざであったりと、原因は様々。我が校も他の魔法学校の例に漏れず、至る所に危険を孕ませています。なので皆さんに言いたいこととしては──決して気を緩めない事です。

 入学から卒業までの七年間。一時たりとも気を緩めてはいけません。ここでは少しの油断が皆さんの首に鎌をかけます」


 学校長は再び話を区切ると、今度は指を二本の形に戻し、話を再開する。


「二つ目はここが女の花園であることについてです。皆さんもご覧になられた通り、我が校は特殊な結界に囲まれています。通称『男除けの結界』なんて言われるとおり、その結界があるうちは男性が我が校に入ることは出来ません。

 ──何故そのようになっているかと言いますと、それは魔女が様々な秘密を抱えているからです。秘密の大半は男性に知られてはならないものばかり。故にこのような結界を展開することで秘密を守り続けてきたということです」


 アルネストはそう言うと、不意に声を明るく変える。


「ところで今年は喜ばしいことに結界が活躍する事がありませんでしたね。例年何人かの男性が我が校への侵入を試みるのですが、今年はそれがありませんでした。──本当に喜ばしいことですね」


 アルネストがそう言った直後、彼女は不意にリオンの方へ振り向いた。

 アルネストとバッチリ目が合ったリオンは、目を背けたくなる衝動を必死に押し殺しながら、平然とした顔を取り繕った。

 するとアルネストは意味深に微笑み、話に戻る。

 だがリオンの内心はそれどころではなかった。


 ──まさか、バレてる? いや流石にそれは無いか。じゃあなんでオレの方を見た? やっぱりバレてるのか?? でもバレてたとしたらオレは今すぐにつまみ出されるはずだよな。てことはただの偶然か? ……ったく勘弁してくれよ。こんな調子じゃあ心臓が持たないぜ……


 一瞬の間にどっと疲労が押し寄せる。

 リオンは額の汗をそっと拭うと、緩みかけていた緊張感と警戒心をぐっと高めた。

 深呼吸をひとつして、アルネストを睨む。

 彼女の話ももう終盤となっていた。


「──私の話は以上です。皆さんのこれからの学校生活が安全に、そして平和であることを心より願っています」


 安全で平和。それは恐らくリオンがこの学校で一瞬たりとも得られないものだろう。

 だがそれは彼自身が選んだ選択だ。後悔はない。


「……絶対に隠し通してやる。そしてセシリアと…………」


 リオンは改めて決意を固めると拳を強く握った。

 拡声魔法を通してアルネストの優しい声が響く。


「入学式はこれにて終わりです。この後はささやかながら皆さんの歓迎パーティを行いますので皆さん楽しんでくださいね」

「……パーティ?」


 リオンが首を傾げると、アルネストが不意に杖を振るった。

 そして──


『新入生諸君! 入学おめでとう!!』


 まずリオン達の耳にそんな声が聞こえ、次いでクラッカーが弾ける音がした。

 彼が驚いて周りを見渡すと、そこは既に大広間ではなく、パーティ会場の中心だった。

 隣にいるセシリアが驚く。


「限定転移魔法!? 校長先生の魔法でしょうか……? 凄すぎます!」


 彼女の言う通り、これは限定転移魔法だ。

 しかし、その魔法は太古の昔に失われた古代魔法。それを再現したとなると、それはアルネストの名前がまた一つ魔法史に刻まれるほどの大偉業である。

 それをこんなくだらないことに使うとは……。

 リオンもセシリアも驚きを通り越して呆れてしまった。

 二人がそんな顔をしていると、会場で待機していただろう先輩の一人が二人の肩を叩く。


「入学早々そんな辛気臭い顔してたらこの先持たないよ? 今日くらい先のことは忘れてパーッと楽しんじゃおう!!」

「はい!」

「……」


 先輩の問いかけにセシリアが元気に返事を返す。

 しかしリオンは険しい顔のままだった。

 先輩がリオンの顔を覗き込む。


「キミは?」

「……はい! 楽しみます!」

「ヒヒヒ! よく言った!!」


 リオンが返事を返すと先輩は笑ってリオンの背中を叩いた。

 その痛みを噛み締めながら彼は笑った。

 今日くらいは安全と平和を享受しても誰も文句は言わないだろう。


 そうして彼はパーティを心ゆくまで楽しんだ。

 腹が膨れるまで料理を食べ、先輩が行う一芸に笑い、ビンゴゲームで悔しがった。

 パーティは夜まで続いたが、日付を跨ぐ頃に教師に怒られて解散となった。


 リオンは明日から始まる学校生活に複雑な思いを馳せながら、新たに与えられた寮の自室へ向かった。

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