第2話 セシリア・ウィング


 桃色の瞳がキラキラと輝いてリオンを映す。

 一陣の風が吹き、彼女のさらさらの髪が風に靡く。桃色のロングヘアは、耳にかかる髪を編んで後ろで纏め、残りをそのまま下ろすという彼女なりのアレンジが加えられている。

 彼女もリオンと同様にアスモディアの制服に袖を通していた。ネクタイの刺繍はもちろん一本だ。


 セシリア・ウィング。それはリオンの目の前にいる女性の名前で、リオンが女装をしてアスモディアへの潜入を決意するほど恋焦がれた相手の名前だった。


「さっきの魔法、凄かったです!」

「ふぇ……?」


 セシリアがずいっと近づいて、リオンの顔を間近から見つめる。

 彼女からすれば、それは女子同士のポピュラな距離感なのだろうが、リオンの側はそうでは無い。

 好きな女性の顔がすぐ側にある。少しでも前に出れば鼻と鼻が触れる距離。

 それを意識した途端リオンの顔がリンゴよりも紅く染まる。

 徐々に紅く、熱くなっていく頬。

 ついにはリオンの顔の熱が限界値に到達し、頭のてっぺんから煙が吹き出した。


「……お姉ちゃんも"あすもであ"の人?」


 リオンが故障した機械人形のようになっていると、彼の後ろに隠れていた少女が顔を覗かせて、セシリアに問いかけた。

 どうやらセシリアの制服を見て、そう思ったようだ。


 セシリアも少女に気がつくと、彼女と目線が合うようにしゃがんでにこりと太陽のように美しい笑みを浮かべた。


「そうですよー。セシリア魔女お姉ちゃんです」

「魔女お姉ちゃん! ……魔女お姉ちゃんはお姉ちゃんのお友達?」


 少女がそう口にすると、呆けていたリオンが意識を取り戻し、首を振ろうとする。


「いや、友達じゃ──」

「うん。お姉ちゃんのお友達ですよ」

「やっぱり!!」


 しかし、リオンが答えるよりも先にセシリアがそう答えた。

 すると少女の顔から警戒の色が無くなって、リオンの後ろから姿を見せ、セシリアの前まで歩いていった。

 セシリアは彼女の手を取って微笑むと、立ち上がって赤い顔をしているリオンを見た。


「私もこの子のお母さんを探すの手伝いますね」

「え!? ……助かるけど……そんなことしたらキミまで遅刻しちゃうよ」

「大丈夫ですよ。困っている人を見捨てるのは嫌ですし、それに多分私が手伝った方が早く見つけられますよ?」

「……」


 リオンは少し思案した。

 彼女の口ぶりからしてアスモディアへの入学を諦めたというわけではないだろう。しかし、万が一でも彼女が自分のせいでアスモディアへ入ることが叶わなかったら。

 そうなったらリオンは一生後悔するだろう。恋を諦めるならいざ知らず、他人を、それもセシリアを巻き込んだとなると、あるいは簡単に最後の一線を踏み越えてしまうかもしれない。

 別にその選択を忌避している訳では無いが、できるなら避けたいところだ。

 リオンはセシリアに最後の確認をする。


「アスモディアを諦めたわけじゃないんだな?」

「もちろんです。二人で一緒に入学しましょう」

「……オレは……」


 リオンが言葉に詰まる。なぜなら彼はもう既にアスモディアを諦めてしまったからだ。

 諦めた結果、セシリアを巻き込んだ今がある。

 ここで頷くのは虫が良すぎるというものだ。


 リオンがそんなことを考えていると、不意にセシリアが彼の手を取った。


「約束です。二人で一緒に、です」

「────わかり、ました……」


 セシリアの目が真っ直ぐにリオンを見つめている。そのあまりに綺麗な瞳を見ていると、まるで魔眼に睨まれているような錯覚にすら陥ってしまう。

 気がつくとリオンは彼女との約束に頷いてしまっていた。

 リオンが頷くとセシリアが満足そうな笑みを浮かべる。

 それがまたなんと可愛らしいことか。彼女の一挙手一投足はもちろんのこと、口角の機微でさえリオンを魅了して離さないのだ。

 顔が熱くなるのを誤魔化すためにリオンは咳払いを挟んだ。


「しかし、いくら二人でも探すのに十分はかかるんじゃないか? そこからアスモディアへ行くとなると間に合わないんじゃ……」

「大丈夫です。すぐ見つけますから」

「?」


 セシリアの謎の自信の正体が分からず首を傾げるリオン。

 そんな彼にセシリアは「見ててください」と一言いうと、少女の前でしゃがみ、彼女の両手を取った。


「そういえば名前を聞いてませんでしたね。何ちゃんって言うんですか?」

「ミミ」

「ミミちゃん。いいお名前ですね。お母さんが付けてくれたんですか?」

「うん!」

「そっか。それじゃあ今からそのお母さんのことを想像してくださいね。目を閉じて、お母さんの顔を思い浮かべてください」

「わかった……」


 少女──ミミはセシリアに言われた通りに目を閉じる。

 「むむむ」と唸りながら母親の顔を想像するミミを真正面から見たセシリアは、ミミの額に自らの額を当て、彼女と同じように目を閉じた。


 すると、二人の少女が繋いだ手から淡い光が溢れ出した。

 正確に言うならば、ミミの手の甲から光が溢れ、セシリアの手がそれを吸収している。

 それを見て、リオンはセシリアが何をしているのかに気がついた。


「魔力同調か……」


 魔力同調。それは本来、魔力を他者に渡す際に魔力の波長を合わせるために行われる行為だ。

 しかし魔力同調を行うと不思議な事が起こると言われている。なんと魔力を渡す側がその時一番強く念じている事が受け取る側に伝わるらしいのだ。

 どうやらセシリアはその特性を利用してミミの母親の顔をミミの魔力の記憶から引き出そうとしているようだ。


 リオンには到底思いつかない作戦だ。いや、仮に思いついたとしても微細な魔力しか持たない子供から記憶を引き出すなんて芸当は彼には出来ない。

 類まれな魔法の才能と、精密な魔力操作技術を有するセシリアだからこそできる事なのだ。

 セシリア・ウィングという女性がいかに天上の人物であるのかを再確認させられる。


 リオンがセシリアとの圧倒的な実力の差に震えていると、ミミとセシリアの手から光が消える。

 二人が揃って目を開いて、セシリアがリオンの方を見た。


「お母さんの顔が分かりましたよ」

「それは良かった。次はどうするんだ?」

「次も任せてください」


 セシリアは胸を張ると、その前に手のひらを差し出した。

 そしてそこに魔力を集中させる。


「【召喚さもん】──『ピースバード』」


 直後、小さな煙の爆発が彼女の手のひらの上で起こり、それが晴れるとそこに小さな鳥乗っていた。


「トリさん!」

「ふふ。私のお友達ですよ」


 ミミに微笑みを向けるセシリア。

 彼女は手に乗せた鳥の頭を優しく撫でると、手を軽く振って鳥を空へ向けて放った。


「ミミちゃんのお母さんを探してください」


 鳥へ向けてそう言うセシリア。召喚獣だから彼女の言葉が分かるのだろうか。

 そう思ったリオンだったが、どうやらそうでは無いらしい。

 鳥を空へ放って直ぐにセシリアが片目を閉じて魔法の詠唱を口にする。


「『その景色は私の景色 その喜びは私の喜び 彼我の心に鎖を結べ』」


 セシリアが飛び立った鳥を狙うように手をかざす。

 彼女の手のひらが淡い光に包まれた。


「【感覚共有リンクセンス】」


 セシリアが魔法の名を唱えると、手のひらの淡い光はどこかに消えてしまった。

 光が消えた手のひらを、魔法詠唱前に閉じた瞼の上に翳すセシリア。

 召喚獣と視覚を共有して空からミミの母親を探す作戦のようだ。


 探索を開始してから一分弱の沈黙。口を閉ざし、探索に集中していたセシリアがゆっくりと閉じた瞳を開いた。

 そして、リオンとミミの顔を順番に見て、にこりと微笑む。


「お母さんの所へ行きましょうか」


 どうやら無事にミミの母親を見つけたようだ。

 リオンはミミの手を取ると、セシリアの案内の元、彼女の母親の所へ向かった。

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