第1話 迷子



 リオン・クルーシオは男である。

 しかし、現在の彼を見たものは口を揃えてこういうはずだ。

「アスモディアの新入生」と。

 当然だ。なぜなら彼はアスモディア魔法女学校の制服を着ているのだから。

 しかし、この服を男が着たところで、よほど中性的な顔立ちをしていなければそうは捉えられない。

 実際リオンの容姿は中性的な顔立ちでもなければ小さな肩幅もしていない。

 彼が女性だと認識された事は性別が判明してからは一度もない。

 しかし、現にリオンはアスモディアの新入生だと、周囲から羨望の眼差しを受けている。

 はて、どういうことか。

 理由は簡単。

 それは彼が魔法を使っているからに他ならない。


 ──変身魔法。


 水や風、光属性の魔法で、自身の姿を別のものに変化させる魔法だ。

 魔法の中ではハーウィンにも馴染みの深いものであるが、これを見破るのは名のある魔法使いでも難しい。

 世界にはこの魔法を禁術としているところもあるくらいだ。


 さて、リオンがそんな魔法を使っているのには訳がある。

 彼はとある事情からアスモディア魔法女学校に入らなければならなくなった。

 だがそこは男子禁制の花園。男であるリオンには近づくことすら出来ない聖域だ。

 そこで彼は変身魔法で己の見た目を女子に変えることで魔法女学校の入試試験、面接試験共に突破し、入学のチケットを手に入れたのだ。


 そして、今日がアスモディアの入学式──なのだが…………。


「うぉおお!! 急げええ!!!」


 腰辺りまで伸びた白髪を風に靡かせながら、額に玉の汗を浮かばせ、せっかくの可愛い顔を蒼白に染め上げ、リオンは懸命に足を動かした。

 周囲の人が彼を見て驚くが構っている暇はない。

 リオンは懐から懐中時計を取り出して小さく舌打ちをした。


「初日から遅刻だけは勘弁だあああ!!!」


 リオンの叫び声が木霊する。

 そう、彼は大事な入学式の日にあろうことか寝坊をしてしまったのだ。

 もし入学式に出席出来なければアスモディアの生徒にはなれない。


 リオンは入学式に間に合わせるために限界まで走るスピードをあげた。

 しかし、それでもまだ足りていないのは自分でも理解していた。

 入学式が始まるのが十時丁度。現在時刻は九時四十分だ。

 今のリオンのペースではどう頑張ってもアスモディアに辿り着くのは入学式が始まった十分後。

 まさに絶望的な状況だ。

 しかし──


「せっかく入試も突破したんだ……ここで躓くわけにはいかねぇんだよッ!!」


 この絶望的な状況に立たされてなお、リオンは諦めていなかった。

 彼は俯きかけていた顔を上げると、額の汗を拭って限界を超えたスピードを出した。

 その時だった──


「うわあああん!! お母さあああんんん!!」


 リオンの耳に大きな泣き声が聞こえてきた。

 彼は驚き、咄嗟に足を止め、声のした方を眺める。

 休業の看板がかかった花屋がある。その店先で少女がひとり泣いていた。


「……迷子か?」


 少女の叫んでいる内容から、恐らく母親とはぐれてしまったのだろう。

 リオンの性格上、泣いている子供は放っておけない。

 しかし、いま少女に声をかけ、一緒に母親を探すとなると確実にアスモディアの入学式には間に合わなくなってしまう。


「……悪ぃな。オレ以外の誰かを頼ってくれ……」


 リオンは心苦しく思いながらも、少女から視線を切って、走り出そうとした。

 だが──


「……お母さん! お母さん!! どこ……!!」

「──ッ!!」


 リオンの足が再び止まる。

 俺以外の誰かを頼ってくれ。リオンは確かにそう思った。

 しかし、今この街でリオン以外の誰が彼女を見ているだろうか。

 リオンは周囲を見回した。だが、誰一人として涙を流す少女に目をくれる人はいなかった。


「……くそっ。またバカなこと考えてんなあ、オレ。ここであの子を助けたら、アイツには二度と会えないんだぞ……」


 そうだ。リオンはある人に会うためにわざわざ危ない橋を渡ってアスモディアに入ろうとしているのだ。


 ──なのに、それをたった一人の少女のために切り捨てるのか?

 ──自分の願いより、他人の幸せを優先するのか?

 ──お前はそんな英雄みたいな奴なのか?


 リオンの頭の中にそんな声が聞こえてくる。

 全て自分の声だ。全て正しい意見だ。

 だが、それでも──


「泣く女の子を見て見ぬふりをするために、好きな女を言い訳にするのは頂けねぇよな」


 リオンは顔をグッと上げると、今度はゆっくりと歩き出した。

 そして涙を流す少女の前にやってくると、その少女に目線を合わせた。


「お母さん、いなくなっちまったのか?」

「…………っ!?」


 リオンが声をかけると、少女は肩をビクッと跳ね上がらせて、恐る恐る彼を見た。

 突然知らない人に声をかけられたのだ当然の反応だろう。

 しかしどういうわけかリオンの顔を見た少女の顔がパァっと明るくなった。


「……おねえちゃん、"あすもであ"の人?」

「あー……」


 少女の問いかけにリオンは自分が女子に変身しており、ついでにアスモディアの制服を身につけている事を思い出した。

 そして既にこの制服に袖を通す資格を失ったことも思い出した。

 リオンが申し訳なさそうに頬をかく。


「残念ながら違うかな」

「そうなの? でも"あすもであ"の服着てる」

「そうだな。……お嬢ちゃんは魔法は好きか?」

「スキ!! 大きくなったら"あすもであ"の魔女さんになるんだ!」

「そうか。それはいい夢だな」

「でしょー」

「それじゃあお姉ちゃんの魔法をキミに見せてやるよ」

「え!? いいの?」

「あぁ。その代わり、お母さんを見つけるまでもう泣くのは無しな」

「うん!」

「いい返事だ」


 涙の気配も消え、今は興奮した表情を浮かべる少女の顔を見て、リオンは満足気に頷いた。

 そして右手を少女の前に出す。

 少女は何が起こるのかと期待の眼差しで差し出された手のひらを眺めている。


 アスモディアには入れなかったけど、泣く少女を見捨てていたらこの顔は見れなかった。

 だからこれは彼女へのお礼だ。


 リオンは心の中で少女に感謝すると、右の手のひらに魔力を集め、小さな火の玉を出して見せた。


「わあ! 魔法だ!」

「まだまだ!」


 驚く少女を横目にリオンはもう一度手のひらに魔力を集中させた。

 変身魔法との併用のため、魔力を多く集めなければならないが、児戯に等しいもののため魔力は直ぐに集まった。


 リオンは先程出した火の玉を青色に変色させると、それを握りつぶした。


「あつい!」

「ははは、熱くないよ。ほら」

「え? わ!?」


 リアクションのいい少女に微笑んで、リオンは火の玉を握りつぶした手のひらを見せる。

 するとそこにはまるで先程の火の玉を圧縮したかのような綺麗で熱々しい見た目のガラス玉があった。


 リオンが少女の手を取って、そのガラス玉を彼女に渡す。


「いいの?」

「あぁ。プレゼントだよ」

「ありがとう!!」


 ガラス玉を受け取った少女は先程までの涙が夢だったと思えるような明るい笑顔を浮かべた。

 リオンはその笑みを見て、やっぱり見捨てなくて良かった、とそう思った。


「ぱちぱちぱちぱち!!」

「うわ!? 誰だ!?」


 リオンが感慨に浸っていると、彼の隣から不意に拍手が聞こえてきた。

 彼は咄嗟に拍手のした方から距離を取るように退くと、拍手の主を睨みつけた。

 そして──


「へ…………?」


 リオンの口からおかしな声が漏れてでた。

 リオンの目の前にいたのは女性だった。しかし、リオンは彼女の顔に見覚えがあった。


「────ッ!!」


 女性の顔を見た途端、リオンの顔が驚愕の色から困惑に変わり、だんだんと赤くなっていく。


「な、なんでここに……?」


 現状を理解出来ないリオンはそんな疑問を投げかける。

 しかしそんな答えなどどうでも良かった。

 リオンはその女性がどうしてここにいるのかも、彼女が何者であるのかも知っているのだから。


「──セシリア・ウィング」


 リオンがようやく彼女の名を口にした。

 それはリオンがもう二度と会うことはないと思った人物であり、リオンがアスモディアに入ると決めた人物である。


 すなわち────リオンが片思いをしている女性だった。

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