第5話 古き者達と新しき者達

 このゴルドメア帝国は、三つの大公国を柱としてこの大陸全土を治めている。


 その一本の柱が、東の大公国ワルドだ。

 その歴史は古いが、皇帝家が現在の『銀の王朝』に変わった四百年ほど前から、さらにその存在感を強くしている。当時の腐敗した皇帝を退位させ、皇帝の落胤であった青年を皇帝にのし上げた、その影の立役者と言われているからだ。


 今日に至るまで、ワルド大公国の現王朝に対する忠誠は揺るぎない。

 現在の大公は、皇帝の父のような兄のような存在で、皇帝と大公家の距離は近い。

 十数年ほど前に起こった『皇女の内乱』の際も、宮殿に乗り込み、幽閉されていた現在の皇帝を救出したのも現ワルド大公と言われている。


 そのワルド大公には三人の息子がいる。

 長男と次男は有能と名高く、共に大公を支え働いている。末の息子アルトゥールは若い頃はあまり良い噂はなかったが、今は帝国騎士団で皇族の専属騎士、第一皇子の側近として帝国に仕えていた。


 そのアルトゥール・ワルドの婚約が発表されたのは、今年の春のこと。

 しかも相手は帝国の貴族で、帝国十家のひとつサヴァーラント公爵家の第三子、オティーリア・サヴァーラントだった。

 あまりのことにワルド大公国では臣下一同が仰天し、アルトゥールの大叔父の現宰相は泡を吹いて倒れたとか。ルッソからその話を聞いた時、チルは思わず腹を抱えて笑ってしまったが、確かにこれは笑い事では無かった。


 オティーリアの父、サヴァーランド公爵は帝国内で西の大公爵と呼ばれる人物だ。ワルド大公家と同じく、『銀の王朝ジル』立役者でもあり、東の大公爵、今は不在のシュヴァルツエーデ公爵家と共に帝国の双翼と呼ばれている。


 この双翼、『銀の王朝ジル』を支える新しきものたちノイ派と、かつての『金の王朝ゴルド』を復権させようとする古きものたちアルト派は新王朝の樹立から四百年間、飽きることなく権力争いを続けているのだ。


 これまでワルド大公家は同じノイでありながら、帝国内のいくつかの貴族家とは距離を取り、アルトとの表立った対立を避けていた。

 そういう意味では、この結婚はノイにとっての大きな動きといえる。


 さらに周囲が驚いた理由はもう一つ。


 オティーリア・サヴァーラントは、帝国の第一皇子の婚約者候補だったのだ。


 この第一皇子は現皇帝の庶子とされている。彼は早くに皇位継承権を放棄し、空位となっていたシュヴァルツエーデ公爵に就任することを宣言していた。前公爵が現皇帝の実父なので、孫の彼がその地位を受け継ぐのに問題はない。


 だが、アルトの貴族にとってはこれは非常に好ましくない事態だった。


 アルトは、千年前に地上に降臨した女神の後裔たちだ。シュヴァルツエーデ公爵家の起源はそのゴルドメア帝国の創立と時を同じくする。他の貴族もそれより多少は後になるが、金の女神を信奉し、その末裔としての矜持は変わらない。

 そんな彼らが帝国の支配権を取り戻そうとした事件は多い。最も最近のものでは、『皇女の内乱』だ。


 首謀者は前シュヴァルツエーデ公爵。彼は実の息子である現皇帝を幽閉し、皇帝位に妻である皇女を据えようとした。結果としてその内乱は失敗し、公爵は処刑、これによって帝国の勢力図は大きく変わった。アルトの筆頭が失脚したのだ。


 その空位の公爵に即位する第一皇子は『銀の王朝ジル』の皇子、その側近にワルドの第三公子、さらにその妻がノイの重鎮のサヴァーランド家の娘。


 これは明らかに、アルトの勢力を削ぐための、まごうことなき政略結婚だったのだ。



 ■■■■■



 チルはカウンターに突っ伏したまま鼻を啜る。右手はふわふわのリンの体を撫でていた。

 リンが体を伸ばし、チルの鼻の頭を舐める。ざらりとした感触で、少し痛い。


「チルはどうしてそんなに悲しいの?」

 優しい声でそう問われると、チルはますます泣きそうになった。こんなふうに気持ちが弱くなるなんてどうかしてる。そう思えばさらに惨めな気持ちになった。


「あの馬鹿が、アホなことするって言うのに、手助けするって言えなくて」

 チルは素直にそう言う。

 リンは首を傾げた。

「あいつとおれは、ここで、この店の中だけのイーアとチルなんだ。ぜんぜんすむ世界も、身分も違う」

 リンがぺろぺろとチルの目尻を舐める。リンの舌を掠った雫がぽたり、とテーブルに落ちた。

「ここでも、俺があいつが何者かちゃんと聞いてしまったら、もうイーアって呼べない。もう……友達ではいられない」


 その時から、チルはイーア専属の『蒼眼の鷹』になる。彼の僕として、盾にも剣にも、暗器にもならなければならない。

 そのためにアルは二人を会わせたのだから。

 そうなったらもう、気軽に頭を触ることも、殴り合うことも、冗談を言い合うことも出来なくなる。


「そっか。チルはイーアが好きなんだね」

 リンがそう言いながら、チルに体を擦り付ける。

「うん、あいつは、ともだち、だから」


 十になる前から、色々な仕事をさせられた。失敗したらきっと自分は殺される。そう思いながら、必死に生きてきた。

 日中は普通の子供と同じように学校に行ったが、誰とも親しくならなかった。あまりにも世界が違いすぎて。


 だから、イーアはチルにとって、はじめての同じ年頃の友達だ。


「うん、それが聞けて嬉しい」

 リンの金色の目が、ぼやけた世界の向こう側にある。一つ瞬きするだけで、薄暗い室内でもきらきら輝くリンの瞳が見えるのに、やがてすぐに不明瞭になってしまう。


「わたしは応援するよ。ちゃんとふたりがお友達のままでいられるように。何があっても、チルの味方だよ」

 リンはふるんとしっぽを揺らす。

「だって、わたしはチルのお婆ちゃんだもん!」


 チルは頷く。

 カウンターに突っ伏すと、そっとリンが寄り添う。なんだかとても温かくて、ほっとした。



「とこで、チル。なんかお店から変な気配がするんだけど、気のせいかしら?」

 リンが猫らしく尻尾をぴっぴっと揺らしながら、目を細めて店の方を見る。

「え? いまはなにも無いはずだけど」


 この店には呪いの人形やら、座ると必ず死ぬとかいう曰く付きのアイテムが多数あるが、そう言った危険な物は全てアロイスの部屋に突っ込んである。なので、店には特別な物はないと思うのだが。


「うーん、なんか変なのよ。さっきからこっちを見ているような?」

 頭の位置を低くして、すいっと目を細めているリンの背中を、チルはそっと撫でる。気持ちがよかったのか、リンはさっさと警戒を解いて、その手にすりすりと体を寄せる。


「まぁ、多少のことならわたし解決できるから、安心してちょうだいね!」 


 琥珀色のまんまるな瞳で誇らしそうに言われると、お婆ちゃんだとわかっていても可愛い。

『今夜はわたし、チルと寝るのー!』なんて言いながら体を擦り寄せてくるのだから、なおさらだ。


 ふわふわの毛並みと優しいリンの匂いに包まれて一瞬意識を失いかけたが、思い切ってチルはずっと疑問に思っていたことを訪ねてみることにした。

「リンのご主人さん? 黒翼の魔女ってどんな人なんだ?」

「んー? えっと、偏屈で頑固なおじいちゃんよ!」

 予想とは全く違う方向の返答がきた。


「は?」

「あなたの瞳の色はヒトガタの彼と同じよ! もともと真っ黒な目だったので、怖いからね、フロレンティア湖の色に変えさせたのよ。それが子孫にそのまま!」


 情報が多い。

 チルはちょっとだけ混乱し、前髪をくしゃりとかき混ぜた。


 フロレンティア湖、確か北の大公国の高原にある美しいと名高い湖だ。そして、その聞きなれない発音をチルは何故か懐かしく感じる。


 この大陸にはいくつかの言語が話されているが、ほとんどの人が使っているのが共通語だ。そして共通語は話されている場所によって、少しずつイントネーションが変わる。いわゆる訛りというやつだ。

 それは大陸東部と北部地方では大きく異なり、同じ湖の名前も、少し違って聞こえる。


「フロレン……」

「そうそう、昔あそこには白亜のお城があってね! そこであなたのご先祖の男の子が生まれたのよ! 今でもお城はあるんだけど、だいぶ古くなっちゃった」

「ご先祖さん……人間だったリンと、旦那って……黒翼の……?」

「うん!」


 うんじゃねーよ。

 すごい話を聞いてしまった。

 先ほど感じた謎の郷愁感も、一気に吹っ飛んで、チルはあわわと頭を抱える。


「ついでに言うと、チルは人間だった頃のわたしにそっくりだから、きっとご先祖返りね! 幽霊を見れる力も、絶対あの人の血の影響だと思うわ!」

 もはやチルの許容範囲を超えている。


「うん、リンばあちゃん。寝よう。まだ夕飯も食ってないけど、寝てしまおう。イーアも帰ってないけど、寝るのが一番だ」

 そう言いながら、チルはさっさと寝支度をすることにした。



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 この後、夕ご飯用の食材を買ってきたイーアはしっかり締め出されてしまいました(窓から侵入してなんとかなった)。


 次の日「これからは店の鍵は僕も持つ」とお怒りだったとか。

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