第4話 やっぱりこいつは性格が悪い
「というわけで今年の夏、わたしはチルと一緒にいます!」
何がどういうわけなのかの説明もなく、黒猫のリンはそう宣言した。
堂々と。
「おう」
圧倒されてチルはそれしか言えない。
なにせ今、リンはチルの頭に前足を乗っけて、後ろ足は右肩の上だ。正直言って、痩身のチルには重い。
「リン、チルが困っているから降りて」
イーアが叱るように言った
視界の端で、リンの尻尾が下向きに垂れるのが見える。首は動かせないので顔は見えないが、こういう時動物の感情はわかりやすい。
「頭から降りてくれりゃいいよ。ほらリンばあちゃん、抱っこしてやるから」
チルがそう言って手を伸ばすと、リンは迷いなくその中に飛び込んだ。こうしてみるとリンはさほど重くはない。猫の中でも体が小さいほうなのかもしれない。
「ありがとう、チル。大好きよ!」
「お、おう」
堂々と好意を示されて、チルは戸惑う。リンはそんなことなど全く気にしないようで、嬉しそうに額を腕に擦り付けていた。
だがイーアは冷ややかだ。
「確かお師匠に、チルの顔を見たらすぐ帰る、って言ってなかったっけ?」
「言ったけど、チルのそばがいいんだもん」
「この前だって具合悪くなってたじゃないか。お師匠が心配するよ」
それだけイーアが説得しても、リンは聞くつもりがないらしい。
チルは驚いて腕の中のリンを見下した。
「リンばあちゃん、病気なのか?」
リンは琥珀色の目をさらに大きくしてチルを見上げた。そして嬉しそうに、笑う。笑ったような気がした。
「わたしね、もう17歳すぎてるから、猫の世界でもだいぶおばあちゃんなの。きっと寿命もあんまり残っていないのよ」
その言葉にチルは思わず息を呑む。
「だからすごくあの人に心配されちゃうんだけど、こればっかりは仕方ないわよね。だからチルも気にしないでね」
「き、気にする。『黒翼の魔女』の使い魔なのに、寿命があるのかよ」
猫がどれくらい生きれるのか、チルには知識がない。飼ったことがなければ、当然だろう。
だが、流石に17年は長いと思う。もし本当に寿命が近いなら、あと何年生きてくれるのだろうか。
リンはゆらゆらと尻尾を揺らす。
「ごめんね、チルにそんな顔させちゃった。わたし悪いお婆ちゃんだわ」
そう言う声音があまりにも優しくて、チルは泣きそうになった。
(そうか、家族ってこんな感じなんだな)
チルには家族がいない。
戸籍上の父は前の親方だが、家族ではない。あの男はあくまでチルを道具のような存在として扱った。
さっき会ったばかりのリンから家族を知るなんて、不思議だなとチルは思う。
だから頑張って笑顔を作る。
「少しでもいっぱい生きて、一緒にいてくれたら、それでいいよ」
ちょっと湿った声で言うと、腕の中のから、にゃあという猫らしい返事が返ってきた。
「……チルがそう言うなら、仕方ない。お師匠には連絡しておくけど」
イーアの声には不満が色が濃い。
「僕が後で叱られる時に、ちゃんと擁護してよ。リン」
これにはリンは尻尾を大きく振って答えた。
「それとチル、後で僕の知人が店に来ると思う。君に頼みたいことがあるんだ」
イーアは早速荷物の中からペンとノートを取り出した。一見ガラスでできたペンのような物だが、中央部分に小さな魔石のかけらが埋め込まれている。広く普及している魔導具で、遠距離にいる相手に文章を送ることのできるペンだ。
「おう、俺を働かせたら高いからなー」
「それは交渉の余地はあるだろうか。まぁ、なんとかするよ」
イーアはさらさらとテーブルの上でペンを動かす。チルはその間、ごろごろ喉を鳴らすリンの体を撫でていた。
「それと明日の夜、ちょっと出かけるから。護衛は必要ない」
イーアがわざとらしくそう言うので、チルはちらりと天井を見る。
今回は、いつも護衛として付いているアルがいない。確か数週間前には帰国しているはずだから、代わりにイーアの護衛についている誰かが近くにいるのだろう。はっきりと気配が掴めないので、まるで墓場にいる幽霊のようだ。
「お前も成人前なのに大変だなー」
チルの呑気な声にイーアは全くだと答える。だが直ぐにペンを置き、笑った。
「よし、とりあえず連絡も終わったし、お昼にしよう。チルは何が食べたい?」
■■■■■
「へぇ、俺の店に女連れ込むとは、お前もなかなかやるじゃねぇの」
カウンターに頬杖つきながら、チルは嫌味な気持ちをたっぷり込めて言った。
店の入り口で客と談笑していたイーアが、驚いた顔で振り向く。
「客が来るって言ったじゃないか」
「おう」
それは聞いていたがな。
自分の返事が拗ねた子供のようで、ますますチルは面白くない。
どうやら今日の客は貴族らしい。
質素な旅装束だが、動きが指先一つまで美しい。結び上げて括っているのは波打つ金髪で、こちらを和やかに見ている瞳は緑色だ。
貴族には美男美女が多い。この娘も特別美人というほどではないが、整った顔立ちをしていた。だがそれ以上に、その所作が美しい。
(相当の高位貴族だな)
貴族嫌いのチルは舌打ちしたい気持ちを堪えながら、その様子を観察する。
チルとしては出来るだけ面倒ごとには巻き込まれたくない。だが、イーアに関わってしまった時点で、どうやらそれは無理のようだ。
そんなチルの不機嫌を悟ったのか、イーアがじっとチルの顔を見る。
「さっきはご機嫌でオムレツ食べたのに」
「はぁ!? 今関係ねえだろ!」
どうやらイーアは食べ物で釣ろうと思っていたらしい。
自分も彼の好物を嬉々として用意していたことも忘れて、チルは怒って言い返す。なのに、にんまりと嬉しそうな顔をされるのはなぜなのか。納得がいかない。
そんな二人のやり取りを楽しそうに見ながら、娘が一歩踏み出し、チルに軽く頭を下げる。
「はじめてお会いいたします。リアと申しますわ」
ただ頭を下げただけなのに、まるで貴族が行う淑女の挨拶のようだ。
「……チルだ」
短く自分の名前を呟きながら、彼女の姿を観察する。とにかく、どこの誰かだけは把握していたい。だがイーアと同じく彼女は略称を名乗っていて、チルには判断がつかなかった。
「以前からイーア様からチルさんのお話を伺っていて、一度お会いしたいと思っておりましたの。お目にかかれて光栄ですわ」
リアが眩しいものでもみるように、目を細めて笑う。
「リア、イーアと」
だが直ぐに、イーアに指摘されて、困ったように笑う。
「そうでしたわね」
「俺のことも呼び捨てでいいよ。貴族様にさんなんてつけられたら、背中が痒くなる」
妙な居心地の悪さを憶えて、チルが投げやりに言う。
イーアがカウンターの前に立つと、彼に手を引かれたリアも足元を気にしながらチルの前まで来る。どうやら二人は相当親しいらしく、距離が近い。
その時、店の奥にいたリンが軽い音を立ててカウンターに飛び乗った。
「まぁ、猫さんまでいらっしゃるのね」
リアが嬉しそうに声を上げた。どうやら動物好きらしい。
「で、頼みというのは?」
リンの頭を撫でながら、チルが話を振る。リアは少し困ったように微笑んだ。
「大変お恥ずかしい話なので、どうかこの件は内密に願います」
「おう」
リアは少し困ったような、恥ずかしそうな顔でチルを見る。
「実は私には婚約者がいまして。
どうにもそのお相手に、他に意中の女性がいるようなのです」
「はぁ」
リアの年齢ははっきりとはわからないが、おそらくチルとそう変わらないだろう。この歳でこんな心配をしなきゃいけないなんて。貴族さまは大変だ。
「私としても、意に沿わない婚約で相手を縛り付けるのは不本意ですし、その方もお相手の方にも大変申し訳ないと思います。
ですので、ここは円満に婚約を解消する手段を探したいと思いましたの」
「はぁ」
チルの気乗りしない返事には誰も突っ込まない。イーアは慣れているのかもしれない。
リンは気持ちよさそうにチルの腕に擦り寄ってた。こうして見るとただの小さい黒猫だ。
「明日、夜会がある。大公家主催のものなんだが、そこに潜入して浮気の証拠を掴もうと思うんだ」
イーアの言葉にチルは内心ぎょっとしながら、それを表情に出さずに二人を見る。リアも心得ていると言わんばかりに頷いた。
「僕は今回正式に招待されているけど、リアはまだ成人前なので夜会には参加できない。僕も公務の一環だから自由に動けないしね。なので、リアを僕の従僕の一人として連れていこうと思う」
チルは思わずイーアをまじまじと見る。とんでもないことをさらっと言い出した。
「いや無理だろう」
「だからチルの力を借りたいんだ」
なんでもないことのように言うのが、非常に腹立たしい。
「男装すれば、リアを知っている人がいても誤魔化せると思う。チルならリアを貴族子息に仕上げてくれるかなと」
「夜会ってったって大公家主催だ。身元の確かじゃないものは入れないと思うぜ」
「そこは僕の侍従だから問題ない」
チルは苛々としながらイーアを睨む。
「言っておくが、俺はそこには入れねえんだ。準備だけして送り出して、あとは知らねぇなんて無責任な真似できるわけないだろ?」
チルの喧嘩腰に、イーアは黙る。
いかにも貴族様、という微笑みも消えていた。
「か、構わないのです」
睨み合う二人の間に、リアがおそるおそる発言した。
「わたしは、婚約者様がお相手といるところを近くで見れば、納得いたします。ですから余計なことはいたしません。潜入のお手伝いさえしていただければ……どうかお願い致します」
衒いもなく、リアが頭を下げる。
「世間知らずの小娘の我儘です。それでも、どうかよろしくお願い致します。この意に沿わないであろう結婚に、お相手の方を縛り付けたくないのです」
真摯な瞳でそう訴えられれば、チルはどうしても嫌とは言えない。
「で、そのお相手って誰だよ」
なかば投げやりに言うと、リアが嬉しそうに微笑む。そんな顔を見せられると、絶対に断れない、とチルは思った。
「アルトゥール・ワルド様、このワルド大公国の第三公子様です」
「……アル?」
その名前を聞いただけで、チルは全部理解した。この娘の身元も、浮気の真相も。
思わずイーアを睨みつけるが、冷めた目で他所の方を向いている。
(この野郎、絶対俺が断らないと思って……)
「やっぱりお前、性格悪わ」
悔し紛れにぼそりとそう呟いた。
______________________________
ちなみにオムレツはとっても美味しかったです。チルはご飯を作るイーアの横で、彼の高そうな洋服が汚れるのではとハラハラしていました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます