第2話 まだ、かたちにならないきもち

 時は少し遡る。


 ワルド大公国の港町メアーレは夏らしく、さんさんと太陽の光が降り注いでいる。が、旧市街地の古い墓場の中にあるこの店の中は、いつもと変わらぬ奇妙な静寂に包まれていた。


 アロイス雑貨店。

 店主のアロイス・ベイは40代の謎の多い男で、趣味兼仕事のためこの店をひらいている。だが本人はほとんど店におらず、店番はここに住み着いているチルやルッソの仕事になっていた。


 と言っても、二人とも本業は別だ。

 特にルッソが頻繁に店番をするようになった頃から、店は二人の本業『蒼眼の鷹』に関わる人々の出入りが増えた。いわば情報共有の場所になっている。

 そして、今目の前にいる彼女もその一人だ。太陽の下を歩くにはふさわしくない、身体の線が顕になるような黒いドレスを着ている。

 おそらく娼婦の格好で潜入をしていたのだろうと思うが、彼女の普段滅多にない大人の色香に同性のチルでさえどぎまぎしてしまいそうだ。

 彼女の中身は、妖艶とは程遠いのだが。


 まだ日中だと言うのに、店内は暗い。天井近くには明りとりの窓も設てあるが、それだけではどうにも心もとない。魔導具は勿体無いので、小さなオイルランプがひとつ、天井から吊るされている。チルはその明かりに照らされたものを凝視していた。


「うん、多分これで間違い無いだろうな」

 ぼそりとチルが呟くと、ほうっと女、ピアがため息をついた。

「よかったわぁ。これで安心だわ」

 そう言いながら笑う彼女に硬い笑顔を見せて、チルはすぐに手元の鏡に視線を落とす。

 思っていたより小さい、ガラス張りの鏡だ。だがだいぶ古く、表面はくすんでいる。所々腐食して黒くなっている場所もあるが、一応写し出すという鏡本来の目的は果たせる状態だ。


 そしてその背面、彫ってある虎の絵柄に、チルはそっと眉を寄せた。ところどころ赤い塗料が剥がれているが、見事な技巧だ。確かに古く一見高価には見えないが、これは何かとてつもない代物のような気がする。


 二年前の夏、この鏡の捜索を依頼してきたのは、イーアという明らかに貴族の少年だった。昔なくした母親の鏡を探したいのだと言う。


 最初は貴族のいけすかない坊ちゃんだと思い、とんでもなく対応が悪かったが、彼は怒ることなくいつのまにか仲良くなっていた。


 とりあえずメアーレ中の古雑貨屋を探し、それで無かったら諦めさせようと思っていたのだが。情が湧いた。何がなんでも見つけてやろうと決めたものの、そこからなんの手がかりが無かった。


 去年の夏、無くした時の状況をイーアが父親から聞きだし、チルが古い記憶を探り出して、昔住んでいた屋敷への潜入を計画し、そこから一年。

 思ったよりずっと、それは近くにあった。

 ようやく幻だった鏡が実態を持ってチルの目の前に現れた。


「姐さん、ありがとう。あの屋敷に忍び込むのは大変だったろう」

「あらぁ、大丈夫よぅ。わたくし、チルのためならがんばれちゃうわ。

 それに今回はカンタンだったのよぉ。親方が若いコをたくさん呼んでくれたので、わたしもそれに紛れ込むことができたのぉ!」

「はぁ……あのおっさん、相変わらず変態か」

 チルが心底嫌そうに言うので、ピアはくすくすと鈴が転がるように笑う。


「これでその……例の坊やとのお約束は果たせるわねぇ」

 煙管を取り出してカウンターの上に置きながら、にっこりと笑うピアの顔はとても優しい。


「そうだな。きっと喜ぶ……」


 とても嬉しいはずなのに、なぜかとても寂しい気分だ。なんだか胸がきゅうっと締め付けられるような。

(なんで?)


 例の坊やこと、イーアは喜んでくれるだろう。

 彼は毎年、この街にやってくる。そうしていつの間にか仲良くなって、今では手紙のやり取りをするほどの親友だ。なのに、その顔を思い浮かべるだけで、なぜか苦しい。


 彼がこの店に来るのは、この鏡を探しているからだ。

 それが見つかってしまった。


 そんなチルの様子を不思議に思ったのか、ピアはそっと優雅に首を傾げた。

「なにか、問題でもあったのぉ?」

 チルは黙ったまま、ゆるゆると首を振った。


「例の坊や、きょう来るのでしょう?」

「ああ、そういえばそうだったな」

 いかにも今まで忘れていたように言いながら、チルは壁掛けの時計を見上げる。本当は朝からずっと時間を気にしていたけど。


 時刻はまだ10時に入ったばかりだ。手紙ではお昼頃には着くと書いてあったから、まだ少し余裕はあるはずだ。


 きっと船旅で疲れているはずだ。食事は何にしたらいいだろうか。

(やっぱり肉食いたいよなー。さすがに作るのはしんどいだろうから『子羊と杯亭』に行こうか)

 なにせ一緒の食事は一年ぶりだ。楽しみで楽しみで、なんだかそわそわする。


 ピアはそんなチルにお構いなしで、カバンの中からがさがさと書類を取り出した。


「そういえばチル、わたしあなたに頼みたいことがあったんだけどぉ……。

 そう! それより! この前バッシュ卿の夜会にいたぁ?」

 突然思い出したらしいピアに言われて、チルは思わずその顔を見る。驚いてぱちぱちと瞬きをした。

「やっぱりぃ。ルッソがとっても綺麗なお嬢さん連れてるから、誰かなぁって思ってたら」

「姐さん、あの場にいたのか!?」

「ええ、給仕役でねぇ。大公様がいらっしゃるので、駆り出されたのよぉ」


 バッシュ男爵はこの大公国の貴族の一人だが、大した名家ではない。だがその日はなぜかルッソがパートナーが必要だと言い出し、チルはひさびさに着飾らせられて引き摺るように連れていかれた。

 最初はこの国の国主、ワルド大公の警備のためかと思ったのだが。


「びっくりしたわぁ。どこのご令嬢かと思ったのよぉ。しかもあのお化粧って、ルッソの技よねぇ」

「そうだよ、なんか無理矢理、命令だって」

 つい不貞腐れたような言い方になってしまう。

 実際、あの場には何人か顔見知りもいたのだが、おそらく彼らには気が付かれていなかったと思う。城の連中の中には、未だにチルのことを男だと思っている者もいるらしい。


 ルッソにさんざん塗りたくられ、その上着飾ってコルセットやらアクセサリーやらガチガチに装備を固められた。普段とまるっきり違う容姿になっていたのだが、どうやらピアには気がつかれていたらしい。


「やーん! とっても可愛かったわぁ! わぁん、どうして付き人に指名してくれなかったのぉ!」

 ピアが頬を染めて興奮して言うので、思わずチルは一歩引く。がたり、と背後の戸棚に肘がぶつかり、何かが落ちた。


「つ、付き人って貴族のお嬢さんがつけるようなもんだろ?! 俺には必要ねーよ!」

「そんなことないわよぅ。貴族って面倒なんだから。わたしが付いてたら多少は……ねぇ?」


 ねぇと言われても。

 こう見えてもピアは北のどこかの国の伯爵家の令嬢だ。確かにそういう駆け引きには慣れているだろう。だが、チルには全く関係ない世界の話だ。


 チルが意図を図りかねているうちに、ピアがそっとため息を吐く。そしてぐいっとカウンターに身を乗り出し、チルの顔を覗き込んだ。ついでに盛りに盛った乳房がカウンターにのり、思わず見入ってしまう。巣のピアはここまで大きくないので、どうやって作ったのか知りたい。知ったところで用途はないのだが。


(それより小さくする方法を知りてーな)

 チルの思考を読んだのか、ピアがぷうっと頬を膨らませる。

「ちゃんと話を聞きなさい、チル。あの時、大公様に何か言われたでしょう?」


 ピアがチルの顔を覗き込むようにさらに首を傾げる。

 あまりにも近かったからか、ピアは一瞬のチルの緊張に気がついたようだ。


「やっぱり、何かあったのねぇ」

 気遣うような声を聞きながら、チルは全く関係ない窓の方を見る。この話はしたくなかったが、ピアは追求を緩めない。

「まぁ大方、例の坊やのことでしょう? 大公様、あの子を取り込もうとされているものねぇ」

 チルは真っ直ぐピアを見据えた。

「姐さん、あいつはこの店に来る時はただの『坊や』なんだ。だから、そう言う話はここでしないでくれ」


「そうは言っても……。あなただって巻き込まれているじゃぁない。それに」

 言いかけたところで、チルの手が伸びてピアを止めた。そしてもう一方の手は、素早く鏡の入った布包をカウンターの下に押し込む。

 ピアはそれを見届けてから、店の入り口のドアへと視線を移す。


 その直後、アロイス雑貨店の扉が大きく開いた。その向こう側にいる人物の姿を見て、チルは一瞬、心臓が跳ね上がるような錯覚を覚える。


 この一年で、また少し雰囲気が変わった。去年会った時もびっくりするほど背が伸びていたが、既にチルと頭一つ分は差ができたのではないだろうか。


 身長だけではなく体つきも、ひと回り大きくなった気がする。

 そういえば騎士団に紛れて訓練をしていると言っていたが。顔つきも少年というより青年という呼称がふさわしい、そんな様子に、一瞬だけチルは落ち着かないような気分になる。


 シンプルで質素に見える飾り気のない服装、白いシャツに黒いウエストコートとパンツは、いかにも上流階級らしい。耳には見慣れない黒のピアスもある。その全てが、彼を実年齢より大人びて見せていた。


 変わらないのは、短くとも光を弾く見事な金髪と、穏やかな紫の瞳。それを見たとたんに、妙な安心感を覚えてチルはふんわりと笑った。

「よう、イーア」


「チル、久しぶり」

 対するイーアも穏やかな笑顔をこちらに返す。

 だがその声は、去年の掠れたような声と比べると、すっかり大人のものになっていた。


 その瞬間、泣きたいような叫びたいような、そんな感情が湧きたつ。

 また会えた。

 会えて嬉しい。


(俺は本当に、こいつと会いたかったんだ)


 それをしっかり自覚しただけで、なんだか心の中が少しあたたかくなったような気がした。


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