第三幕 夢の交差点


 フリーマーケットは俺の心のオアシスだ。その起源がフランスの蚤の市にあると聞き、いつかはその地を訪れたいと夢見ている。外国の地を踏んだことはないが、日輪の神さまが微笑む下でのフリマは、誰もが気軽に楽しめる場所だ。


 古い本や洋服、アクセサリーなど、色々な宝物が眠っている。出品者との交渉や、価格交渉の駆け引きは、ネットショッピングでは決して味わえない興奮がある。


 しかし、今やインターネットが全てを提供する時代。実際に商品を手に取り、その質感を確かめるフリマの魅力が、デジタルの波に飲み込まれつつあるのは、何とも言えない寂しさを感じさせる。


 アパートから歩いて三分。このところ、近くて便利な場所で毎月一回定期的にフリマが開催されるのを見つけていた。魅力的なのは古本屋が数多く出店することだ。


 俺が通う大学界隈の顔なじみの古本屋「神田書店」は突然に姿を消していた。年配の店主はいつも笑顔で本を勧めてくれ、探す本の話を聞いてくれた。店主の優しさが忘れられず、フリマで再会できることを願っていた。


 俺と薫は手を繋いで歩き続けた。時おり立ち止まって本や雑貨を眺めているが、特に目新しいものはない。ただ一緒にいられるだけで幸せな気持ちとなり、楽しいひとときを過ごしていた。


 けれど、彼女の関心は尽きることがないようで、身を乗り出してアクセサリーを見ており、気に入ったものに気づくと意見を求めてくる。


「ねぇ、これ可愛くない?」


 薫は真っ白なヘアピンを指さした。それは十字架を模した小さな花の髪飾りの一種であり、キラキラと光っていた。


「そうだね。薫に似合うよ」


 俺は正直に答えた。彼女は白色が好きだったからだ。


「じゃあ、買おうかな」


 薫は店員に値段を聞いている。300円、それは思ったより安かった。


「これください」


 俺は財布から小銭を出した。些細な物なのに、出品者はかわいい袋に入れて、薫に渡してくれた。


「ありがとうございます」


 彼女は店員に礼儀正しくお礼を言う。そして俺に向かって甘えてきた。


「ねぇ、これつけて」


 薫は袋をポーチにしまってから、髪飾りを手渡してきた。それは男の俺にとっても甘い誘惑だ。爽やかな柑橘系の香りに、ほんのりミントが混じり、上品さまで感じさせる。この香りは柔軟剤のものかな……。真っ白な色が、彼女のポニーテールの黒髪によく似合っていた。


 続いて、隣で古本を並べてバンダナを頭に巻く店員から声をかけられてくる。とても気さくな女性であり、笑顔に目が留まってしまう。


「いらっしゃい。客寄せパンダで立ち読みも大歓迎ですよ」


 どこかで彼女に会った気がしてくる。近くでは薫が漫画本を手に取りながら、異世界の住人のように笑い転げていた。


 店員さんは元気そうだ。一方で、父親は引退されたらしい。以前におやじさんと一緒に会ったことがある。きっと、幻となった古本屋の娘さんだろう。今回のフリマでまさかの再会を果たしていた。やっていたリアル店舗はネット注文に移行されたという。娘さんはこんな話をしてくる。


「ネットは便利。けど、やっぱり直接お客さんと話せるのが楽しいんだよね」


 店先で目を疑うような宝物を見つけてしまう。それは中学生の時に初めて読んだ本だった。俺の視線に気づいてくれたのか、彼女は『カッパ淵の古書堂物語』というミステリー小説を微笑みながら渡してくれた。

 大きくなるにつれ、その本は記憶と共にどこかに失くしていた。もう二度と読めないだろうと諦めていた。人生の宝物に再会したように嬉しくなってゆく。


 実のところ、この本には俺にとって忘れられない思い出がたくさん詰まっていた。小説の舞台は、岩手と青森の県境にあるホップの里。ビールの香料や苦味を栽培して生計を立てる農家が多い町のはずれに、ひっそりと営業する古本屋が描かれている。


 主人公の美咲は、見た目の美しさとは裏腹に、内向的な性格で、見知らぬ客との会話が苦手だ。だけど、その店にはそれぞれ重い過去を背負った旅人たちが訪れる。美咲に惹かれた彼らは、自分の秘密や苦悩を打ち明け、救いを求める。最初は他人の話を聞くことが苦手だった美咲も、次第に心を開き、明るく変わっていく。彼女は、旅人たちを支える存在になるのだ。


 この本を読んで、俺もいつか古本屋をやってみたいと夢に描いた。本の世界には、まだ知らないことや驚くことがたくさんあると感じたからだ。


「これ、どこで見つけたんですか?」


 俺は興奮しながら店員さんに尋ねた。手にした本の裏表紙には、子どもの頃にクレヨンで描いたらしい落書きが残っていた。


「実はね、これ、実家から持ってきたんだ。昔にいたずら書きしたやつで、もう読まないから、誰かに喜んでもらえたらって思って。君、この本知ってるの?」


 彼女の問いかけに、俺は先ほどの思い出を話した。店員さんは興味深そうに耳を傾けてくれ、こう言ってくる。


「じゃあ、よかったらあげるよ。君なら大切にしてくれそうだし、また夢を思い出せるかもしれないからね」


「いやあ……。本当にいいですか?」


 俺は感激して尋ねた。古本とはいえ、こんなに嬉しいことはない。


「どういたしまして」


 店員さんも笑顔で答えてくれた。フリーマーケットは、俺にとって本当に特別で神聖な場所だ。ここでは、心の友を見つけたり、宝探しを楽しむことができる。


 もし誰かから「いらっしゃいませ」と声をかけられても、追いかけ回される心配はない。販売者と客は対等で、ストレスフリーな関係が築けるからだ。心地よい風を感じつつ、日向ぼっこをしながら、掘り出し物を探す人たちで賑わっている。

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