第2話

 電話を終え、荷物をまとめていた元彼が、不意にあたしに覆いかぶさってきた。


 最後にもう1回とか言って来たら、ぶっ飛ばしてやろうかと思ってたので、ぶっ飛ばしてやろうと思った。

 手足をバタつかせて、距離をとってふりほどこうとした。

 しかし、力強く抱きしめられ、なかなか身動きがとれない。男女の力の差を感じた。

「大丈夫、大丈夫」

 何が、大丈夫だ。

 と、抵抗したものの、流れでいろいろあることはある。受け入れようと思ったからかな。少し、促そうとする自分がいた。

 しかし、そうでは無く、後ろ手にされて縛られた。

「ちょ、ちょっと」

 なんだ、こういうアブノーマルな感じもいけるんじゃん。付き合ってる時にやってくれれば……

 さらに、話せないようにタオルで口も縛り、足首も固定した。

「うぐぐぐ、ぐぐ」

 ああ、なんかこれはこれで……

 外では、パトカーの音が近づいてきてきた。

 元彼は、窓の外をチラチラと見やると、台所から包丁を取り出してきた。



 元彼は、料理はうまかった。バイトが飲食関係というのもあるが、料理の好みもよく似ていたし、味付けも薄味であたしは好きだった。

 道具にこだわるので、割といい包丁を買っては、ああでもないこうでもないとブツブツ言っていた。

 曲をつくるときよりも、ブツブツ言っていた。

 3カ月前に買ってきた、甲斐六郎作のアダマンナイト鋼製包丁はお気に入りで、いい食材が入った時にしか使わなかった。



 元彼の右手に握られてるのは、細身で刃文がユラユラした甲斐六郎作の包丁だった。

 本気だ。

 何をしたいのかは、わからないが危険だということはわかった。

 殺される?

 別れるくらいで?

 それとも、やっぱりプレイ?

 最後にアブノーマルな?

 あたしは、いい食材らしい。けど包丁は、危ないから止めて欲しいな。ただ、縛られるのは嫌いじゃない。


 パトカーのサイレンは、大きくなってきた。

 元彼は、ベランダへ出た。

 窓を開けた瞬間、パトカーの音はよりリアルになり、ボリュームはピークに達した。

 そして、止まった。

 本体はもちろん確認出来ないが、赤いランプが、ピカピカしているのはわかる。

 うち?

 戻ってきた元彼は、あたしを起こし肩をだくと、包丁片手に再び出た。そして、あたしからは随分遠い所に包丁を構えた。

「おい! ここだ!」

 元彼は、5台止まっているパトカーやランプを乗せた警察車両に向け発した。

「板倉、落ち着け」

 レインコートを着たおじさんが、拡声器を持ってたしなめてきた。

 


 元彼を板倉と呼んでいるのを聞くと、なぜか新鮮だった。

 板倉一樹。

 普段はかず君。

 たまにあるライブやコンクールでダメだと、カス君。

 怒る時は、

 いーたーくーらー。

 ぐらいで、

 プレーンな、『いたくら』は新鮮。

 まだピチピチだ。



「刃物を置きなさい、人質を解放しなさい」

 レインコートが拡声器で対応しながら、残りの警察官はそそくさと動いていた。

 ゾロゾロと隣近所の人も集まってきていた。

 あー、こんな騒ぎ起こして、ここに住みづらくなるなぁ。

 マンションの駐車場を境にして、黄色いテープが張られた。その外側には、チラホラ近所で見かけた人がいる。

 ほとんどの人が、携帯かかげてるし、テレビやネットに出てるんだろうな。


「おい!」

 元彼は、ツバを飛ばした。

「俺は、こいつを人質に立て籠もっている。いいか、絶対に入ってくるなよ!絶対にだぞ」

 なんだそりゃ? 入ってこいってことか?

 口にタオルが無ければ、突っ込みをいれてただろう。

 レインコートも制服警官も、キョトンとしてる。野次馬の頭上にはたくさんのハテナが浮いてる。

「いいな!!」

 間が持たなくなったのか、そのまま室内へと戻った。


 人質のあたしがわからないんだから、外界の人達はもっとだろう。

 何を理由に、立て籠もる事があるんだ?

「ウーウーウー」

 あたしは、意思表示をした。

「わかった、わかった。口だけな」

 スマホで何かを操作しながら、口のタオルは外してくれた。

「はぁはぁ、ねぇ、なんなのこれ?」

「もうすぐしたら、分かるよ」

「今はなにしてるの?」

「やっぱり、テロリスト解放だろう」

 はぁ?

「あと、逃走用をヘリを要求しなくちゃだな」

 だな。

 ではない。テロにヘリとは穏やかじゃない。

「なんなのかよくわからないけど、こういう場合、夜の暗いウチに突入されて終わりだよ」

「大丈夫、手はうってある」

 リビングに横向きに置かれたあたしは、ジタバタしたが、意味は無かった。

  

 元彼の計画が上手く行った事は無い。

 ご飯食べに行くと大体、店は休み。

 旅行は、雨。ひどい時は台風。

 サプライズは、ダダ漏れで驚いたためし無し。

 嫌な予感しかしない。


 聞きたい事は、わからず、要求は何一つ通らなかった。

 相変わらず、自分の家のリビングで横になっていた。

「テロリストっていう名前の割に、捕まってるリストってネットに無いのな」

 スマホを傍らに置くと、テレビをつける。

 

 映し出される、ウチのマンション。テレビ中央には黒縁メガネの男性が、緊迫した現場の空気感を肩を揺らしながら伝えていた。

 右上にはLIVEの文字が、時間をおいてクルリと回っていた。日が落ちて暗くなり、赤いランプがピカピカと目立っていた。

 

「あーもう、18時すぎてる」

 土曜の夕方の見たい番組を見逃したのか、天を仰ぐ元彼。ウチのマンションも少し古くなったな。お互いが自分のニュースを見たときの感想だった

 外の世界のほうが、緊迫していた。

「ねぇ?」

 不意に問いかけられた。

「なに?」

「までっていつまで?」

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