彼氏がデビューするまでのまでっていつまで?
新堂路務
第1話
「30歳の誕生日までに売れなかったら、ミュージシャンの夢を諦めて。それか、別れよ」
同い年のあたし達。
彼氏が29歳になる前日、そんな約束をした。彼氏の事は好きだったけど、これ以上ダラダラする気は無かった。その時点で付き合って2年経っていた。
「売れて結婚しよう」
一番望んで無い返事だった。
「売れるって何?」
彼の質問に、2人で出した結論は、
「テレビで歌う事」
だった。
「スポットライトを浴びて」
は、彼が勝手につけた条件だった。
そんな約束から、1年経ち、リミットを迎えようとしていた。
昨晩、別れた彼氏が、あたしの部屋に戻ってきた。
正確には、昨晩別れて元彼になった男が、あたしのマンションの部屋に荷物を取りに来た。
明日で30歳になる人だ。
「その辺にまとめといたよ」
事務的に伝えた。
付き合ってる時には見たことの無いカバンを持ち、ウチの合鍵をつけたキャラクターのキーホルダーをクルクルとまわしながら、うなずきがてら入ってきた。
昨日の夜、別れを告げると
「まだ、日にちはある」
目に力が入っていた。
確かに誕生日、前々日の話だった。
部屋の隅にまとめられた元彼の荷物は、今日の昼過ぎに起きたあたしの唯一の仕事だった。
休日の昼過ぎがなんか苦手なあたし。少しでもやることあると、暇つぶしにはなった。
同棲してたわけじゃないから、荷物はそれ程なく、部屋が2階とはいえ、苦にはならないだろう。
中で、大物はギター。
バイト生活で、ミュージシャン志望の元彼が、最も大事にしているギター。曲作りは、大抵ウチでしていた。元彼の住んでる所は、壁が薄くてギターどこじゃない。
「いいやつなの?」
「まぁな」
イチオーギブソン
という、メーカーのものらしい。
昨晩の話し合いの後、荷物は明日取りに来させて欲しいと言われた。
来なければ、このギターから売り飛ばしてやろうと思ってた。
デビューどころか、きっかけさえ見えないミュージシャンへの夢。
「イデオロギーを変えたいわけよ」
世の中への不満を歌っていた。
「世に出てる、大半はラブソングだよ」
何度となくそう言ったが、頑としてそういうものは作らなかった。
あなたのイデオロギーは変わらないようね。
売れなきゃ別れるというより、ミュージシャンを辞めて欲しかった。
元彼が、荷物を整理してる横で、あたしはコーヒーを飲みながらテレビを見ていた。
いや、釘付けになっていた。
『加護市の○○商事で横領』
どうやって、やったのだろう?
最初の疑問は、それだった。
超有名なスマホメーカーは、部品1つ1つを別の工場で作っている。それが何の部品かも告げられていない。
それらを秘密裏に組み立てられて、1つの製品となる。
そうすることで、最新機種の目玉機能を、徹底的に漏れないようにしているのだ。
それでもリークはあるけど。
○○商事に勤めて、八年目になる。会社は大きく、様々な事業がある。
あたしは、経理の部署にいるが、
今だもって何をしているのかわからない。
スマホの部品工場のように、やってきた書類の数字を足して、あわせて次の人へ。
科目の欄にある記述は、ちんぷんかんぷんだ。少し数字をいじっても、わからないんじゃないかなと思った事もある。
なんなら、少しいじっても大した問題にはならなかった。
横領の話題は、週末の夕方ということもあり、同じ会社の知らないおじさんが、横領した。それを昨日引き出して、逃走してるらしい。ショーアップされることも無く、事実を伝えて終わった。
そんな事出来るんだなぁ。
経理だからと言って、道筋が全く見えなかった。
元彼を見ると、帰宅にも道筋が見えてないようだった。少ないとはいえ、段ボールに詰めて運ばないと、1人で簡単に終わるのは考えられなかった。
「ちょっと」
というと、スマホ片手に外へ出て行った。
あたしの死角に入り際に、耳元にスマホをあてる動作が見えた。そして、外へ行くドアの音が聞こえた。
電話かな?
あまり、電話を外でかける人では無かったが。業者に頼む程ではないので、友達にでも頼んでるのかな。
誕生日を過ぎると、別れは切り出しにくくなりそうだった。
誕生日前日は、残酷かなと思った。
だから、前々日にした。
気を使わないと、傷つけるかなと気を使ったが、気を使いすぎて、余計に傷つけたようだ。
あたし自身もいくらか傷ついたのか、昨晩は寝付けなかった。
ただでさえ、1人だと寝付けないのに。
「1人じゃ寝れないって言われて、誘ってるのかと思ったよ」
元彼は初め、そう言ってた。確かに、意味ありげに聞こえる。あたしは、現象として伝えたかった。
今まで付き合ってる人がいて、一緒に寝たり、部屋にいるときはよく寝れた。
別れを決断したとき、また睡眠で苦労するなとうんざりした。
だが、好きな深夜ラジオをオンタイムで聴く日々が帰ってくるな、とも思った。
ベッドに入って、ラジオを聴く。
うるさい頭の中を鎮める、数少ない方法だった。
今日は土曜日。ミッドナイトジャパンは芸人のユニクラ。明日も休みだし、楽しみだ。
外は暗くなり始め、遠くでパトカーの音が鳴っていた。
電話を終え、戻ってきた元彼は少し作業をすると、
ガバッ
あたしに覆いかぶさってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます