第27話 静かな夜

 時刻は深夜、私はロッシュ殿下の居室にいた。部屋にいるのは私と殿下とコレッタの三人だけだ。


「ルディーナ様、コーヒーです。ご指示の通り思いっきり濃く、苦く淹れてあります」


「ありがとう。でも、コレッタは寝ていても良いのよ?」


「いえいえ。私は大丈夫です。ロッシュ殿下もどうぞ」


「ああ、いただく」


 コレッタが私とロッシュ殿下の前にコーヒーを置いてくれる。静かな部屋にカチャっと陶器の音が響く。シンプルな白いカップを手に取り、中の真っ黒な液体を口に含んだ。強い苦みが口に広がる。


「うん。目が覚めるわ」


 呟き、息を吐く。強烈な香りが鼻腔に抜けていく。

 窓の外に目をやる。ネイミスタの街はすっかり眠っている。明かりがあるのは大通りの街灯だけで、繁華街すらもう暗い。


「順調かしら……」


 小さく呟く。今夜、メルナ達によるグラバルト工作員の殲滅が行われている。ここからは何も見えないが、ネイミスタの街のあちこちで襲撃が実行されている筈である。

 眠る気にはなれないし、不測の事態にも備えなくてはならない。今日は徹夜だ。


「心配か?」


 殿下の問いに「ほんの少しだけ」と返す。

 失敗する可能性は低い。メルナ達は精鋭だし、フレジェスの治安機関が秘密裏に支援してくれている。だが世の中に絶対はない。メルナ以外のメンバーもベルミカ家の仲間、皆知った顔だ。


「すまんな。心労をかける」


「いえ、でも殿下こそお休みになった方がよろしいのでは?」


 殿下はただでさえ忙しい身だ。


「そうもいかんさ。『バーグフレジェス』の方だってある」


 そう言って殿下もコーヒーを飲む。僅かに眉間に皺を寄せて辛そうなのが、少し可愛い。


 新聞社『バーグフレジェス』の摘発も今夜行われている。

 検閲で差し止めたが、私の馬車が襲撃された事件についてオルトリ共和国の関与を疑う記事を書こうとしたのだ。許容範囲を完全に超えている。


 と、そこでドアがノックされた。外から「クロードです」との声。


「入ってくれ」


 現れたクロードさんは背筋はいつも通りピンとしているが、表情には疲れが見える。

 

「殿下、ルディーナ様、『バーグフレジェス』の摘発は無事に終わりました」


「全て計画通りか?」


「はい。対象者23名、全員を『故意による虚偽報道』『不敬』『対外侮辱』の容疑で拘束しています」


「よし。クロードはもう休んで良いぞ」


「いえ、そうもいきません」


 クロードさんは首を横に振る。まぁロッシュ殿下が徹夜しているときに眠り難いのは確かだろう。


「分かったよ。せめて座れ。コレッタもな」


 殿下の言葉にクロードさんとコレッタは椅子に座る。


 静かに時間は過ぎていく。ただ待つだけの時がもどかしい。


 やがて、空が白んできた頃、ドアが小さくノックされた。


「メルナ、帰還いたしました」


 声を聞き、私は弾かれるように立ち上がり、扉を開ける。

 パッと目に怪我はなさそうだ。


「メルナ、大丈夫?」


「はい。怪我はひとつもありません」


 メルナが優しげに微笑む。


「御報告させていただきます。全12箇所への襲撃を実行、その場にいたグラバルト皇国の工作員、協力者と思しき人物合計32名を殺害しました。1人も逃してはおりません」


 これから処刑する実行犯も含めれば42名の人間を私の馬車襲撃に関連して殺す訳だ。重いが、仕方ない。冥福を祈ることすら白々しいだけだろう。


「被害は出た?」


「こちらの損害は負傷1名のみです」


「治る怪我?」


「はい。ニコラが軽い切り傷を負っただけです2週間もあれば完治かと」


 良かった。私は大きく息を吐く。ほぼ完璧な結果だ。


「メルナ殿、ありがとう。一番大変で危険な部分を担わせてしまった」

 

「いえ。お嬢様に銃を向けた連中です。我らが担うのが当然の仕事と思っております」


 メルナが頭を下げる。


「メルナ殿も座ってくれ」


「……お言葉に甘えさせていただきます」


 メルナも腰掛け、5人でテーブルを囲む。


「これで、ひとまずは方が付くか」


 殿下が呟く。


「新聞絡みは片付くでしょうな」


 『バーグフレジェス』と『バーク・ワーグ』は休刊になる見込みだ。信頼を落とした上に幹部をごっそり拘束されては、身動きが取れない。

 そして、逮捕した関係者のうち、自分達の裏にいたのがグラバルト皇国だと知っている人間はいずれ獄中死することになる。


「そうですね。後はグラバルト工作員の拠点を処理すれば、落ち着くはず……」


 グラバルト工作員の拠点はフレジェス王国の捜査機関が捜索し書類から何から根こそぎ押収する予定だ。そこで何も新しいものが出なければ、平常に戻れるだろう。


 そもそもは建国記念の夜会が終われば落ち着く筈が、とんだ延長戦だった。


「ハーブティーいれます」


 コレッタが、カモミールティーを淹れてくれる。


 皆でゆっくり飲む。ホッとしたのか、全員揃って欠伸が出た。


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