第26話 箱入り娘

「さて、一体何の話やら……」


 トグナ帝国大使、デニス・サウティンは白髪の混じった赤髪を整えつつ、呟いた。


 ネイミスタのトグナ大使館にフレジェス王国からの使者が来訪したのは昨日夕方のこと。高レベルの秘密交渉をしたいとの要請だった。突然のことに訝しんだが、デニスとしては拒絶する訳にもいかず、了承した。

 その交渉相手は間もなくここに尋ねてくる予定になっている。物資の搬入に偽装して大使館に入るとのことだ、余程秘密にしたいのだろう。


「分かりません。ただ魔石密輸の一件で関係が冷えていたにも関わらずの、急な会談です。重要なことは間違いないでしょう。一昨日の夜会では色々と動きがあったようですし」


 横にいた秘書官がデニスの呟きを拾って言葉を返す。


「ああ、事実上の婚約までは『おめでとう』と言えば済む話だったが、その後がな」


 デニスはルディーナ・ベルミカの乗る馬車が襲撃されたという情報は掴んでいた。とはいえ、詳細は不明だ。どうせグラバルト皇国の連中が犯人だろうとは思うが、それだけだ。


 コッコッとドアがノックされる。デニスは「入れ」と返す。ドアが開き、部下が入ってくる。


「手筈通り、物資の搬入に偽装して代理人がいらっしゃいました。その……運び込んでよろしいでしょうか?」


 デニスは訝しんだ。運び込む? なんだか表現がおかしい。


「運ぶとはどう言うことだ?」


「あの、代理人殿は木箱に入っていまして……物資の搬入に偽装という言葉の認識に若干の齟齬があったようです」


 数秒考えて、理解する。物資を搬入する作業員に偽装して代理人が来ると思っていたが、代理人は木箱に入り物資に偽装していた、ということか。フレジェス国王は頭でも打ったのだろうか? まぁ、しかし仕方ない。


「分かった。お通ししろ」


 デニスが返すと、作業員らしき恰好の男性が木箱の乗った台車を押して部屋に入ってくる。デニスの部下も手伝って、木箱を台車から下ろし、蓋を開ける。


 すっ、と箱の中から人が立ち上がる。瞳が蒼玉と輝き、金色の髪が揺れて光を散らした。

 デニスは驚きで固まる。今やネイミスタの誰もが顔を知る渦中の人物、ルディーナ・ベルミカに間違いなかった。服装は白いブラウスにライム色のスカート、噂に違わぬ美貌だ。


 箱の横の板も一枚外され、ルディーナが完全に箱の外に出る。所作美しく、優美に一礼した。


「本日は急な申し出にも関わらずお時間をいただきありがとうございます。ルディーナ・ベルミカと申します」


「お初にお目にかかる。トグナ帝国駐フレジェス大使、デニス・サウティンです」


 挨拶を返し、呼吸を一つ。デニスは頭を切り替える。奇抜な登場に気を取られている場合ではない。


「こちらはアルバート、王太子ロッシュ・ヴォワール直属の部下の一人です。今日は私の秘書をしてくれています」


 ルディーナが作業員姿の男性を手のひらで指す。アルバートと紹介された男性は深く一礼した。


「こちらにお掛けください」


 4人でテーブルを囲んで座る。木箱の運搬を手伝ったデニスの部下は部屋を去り、扉が閉まった。


「改めて、よろしくお願いします。まずはこちらを」


 ルディーナが一枚の紙を差し出してくる。彼女、ルディーナ・ベルミカを交渉の代理人として選任する旨がフレジェス国王テオドラ・ヴォワールの名で記され、御璽も押されていた。


「確かに。確認させていただいた」


「加えて、もう一つ。私はゼラート王国ベルミカ公爵家のルディーナでもあります。私の侍女、メルナ・トミニコはベルミカ公爵オリンド・ベルミカから代理権を与えられており、私はメルナから復代理として権限を受けております。侍女からなんて変な話ですけどね。こちらが書類です」


 話が見えない。なぜベルミカ公爵家が出てくるのか。とは言え、書面を確認し頷く。


「で、本日はどのような用件で? 重要な秘密交渉とは聞いているが」


「はい。本日は一つお願いがあって参りました。まず一昨日の夜、夜会の帰り道に私の乗る馬車が何者かに襲撃されたことはご存じですか?」


 一瞬悩み、デニスは素直に頷いた。


「噂程度には聞いています」


「少し状況を説明させていただきます。襲撃者は合計10名、こちらの護衛が交戦し、5名を殺害、5名を生け捕りにしています。武装は、トグナ帝国製の銃でした」


 デニスは『襲撃者は撃退され生け捕りにされた者もいる』というところまでは掴んでいた。具体的な人数と武装は初耳だ。トグナ製の武器が使われたのはあまり良いことではない。


「我が国の武器が、ですか。それは心苦しい」


 一旦、無意味で無難な言葉を返す。そして”銃”という言い方も気になる。マスケットかライフルかで状況はかなり変わってくるが、ぼかした表現だ。


「お心遣いありがとうございます。馬車はフレジェス王家のもの、乗っていたのはベルミカ家の人間です。この襲撃に関しては両家が当事者の立場だと考えております。そのため邪道かもしれませんが私が両家の代理権を持ってお話に上がった次第です。とはいえ主たる立場はフレジェス王家の代理人、ベルミカはオマケ程度にお考えください。まず、貴国は関与していないという認識でよろしいですよね?」


「はい。もちろん。もし武器の流通経路を洗うのであれば協力もさせていただきます」


 トグナ帝国は一切関与していない。痛くない腹を探られるとすれば面倒だが、仕方ない。トグナ帝国は他の列強に比べ武器の管理が甘い。金を積まれれば売ってしまうので、少数ならあちこちに流れている。その程度は自業自得だろう。


「ありがとうございます。フレジェス王家としてもトグナ帝国が関与した可能性は低いと考えております。実は尋問と捜査においてオルトリ共和国の関与を疑わせる情報が幾つか出てきております」


 それを聞いてデニスは焦った。フレジェスとオルトリの対立は不味い。トグナにとって悪夢だ。


「それは、かの国が突然そのような蛮行に及ぶとは思えませんが……」


 オルトリとトグナも仲が良いわけでは全くないが、擁護するしかない。


「はい。私もそう思います。そして、最近グラバルト皇国はフレジェス王国に対して敵対的です」


 そこでルディーナは一旦言葉を切り、デニスの目を真っ直ぐに見てきた。青く美しい瞳に僅かに気圧される。ここからが重要、という事だろう。


「フレジェス王家は今回の襲撃に他国の関与があるのか、あるとすればどの国なのか、それらについて結論をことを決定いたしました。使用武器はトグナ帝国、状況証拠はオルトリ、不穏な動きがあるのはグラバルト。これでは事実の断定は難しい。証拠が出てきたとしても偽装かもしれない。なので、本件は単なる強盗団の犯行として処理します」


 意外な言葉だ。犯人探しのために今日会談をしたのではないのだろうか。そしてトグナ帝国としてはグラバルトとフレジェスに是非とも敵対をして欲しい。


「それは今後更なる証拠が出たとしてもですか?」


「はい。その新たな証拠も”偽造”かも知れませんので」


「そうですか……しかし、状況的にはグラバルト皇国が関与している可能性が高いと思いますが」


 未練がましく、そう述べる。ルディーナが小さく笑った。


「はい。実はベルミカ公爵家としてはグラバルト皇国の犯行であると確信しております」


 また話が見えなくなった。フレジェス王家とベルミカ公爵家の立場が違う、ということか。


「ええ、あの国はそういう国です」


 デニスは本音を一つ零し、説明の続きを待つ。


「ベルミカ公爵家としてはネイミスタに潜むグラバルト皇国の工作員に対して報復攻撃を行う意思を持っております」


 過激な言葉に、デニスは唾を飲み込む。ルディーナは言葉を続ける。


「フレジェス王家としても、別件においてグラバルトの工作員が違法な敵対行動を取っていることを確認しております。よって、ベルミカ公爵家の報復攻撃を容認し、支援することになりました。秘密作戦として、グラバルトの工作員を狩ります。さて、前置きが長くなりました。トグナ帝国に対してお願いしたいのです。私達が有しているグラバルト工作員に関する情報は十分ではありません。貴国なら敵対するグラバルト工作員の情報を有しているのではないでしょうか? もしあればそれをいただきたい」


 想定外の要求だった。


 なるほど、グラバルト工作員を狩り出してくれるなら、トグナ帝国に取って悪い話ではない。しかし、簡単に情報を渡す訳にもいかない。間接的に手の内を晒すことにもなる。


 何より、トグナ帝国にとっての最良は『グラバルトがフレジェス王家の馬車を襲撃した』という決定的事実により、グラバルトとフレジェスが敵対することだ。フレジェス王国と共闘できれば、強大な陸軍力を持つグラバルト皇国とて打ち倒せる。

 元々食料生産能力が不十分な上に、先日の大噴火によって穀倉地帯に打撃を受けたグラバルト皇国は、フレジェス海軍が海上封鎖を行えば食料輸入が途絶えて飢える。海軍力だけで言えばフレジェス王国の方がグラバルトより遥かに強い。陸上でもトグナ帝国とフレジェス王国の連合軍なら優位に立てる。

 既に否定されてはいるが食い下がる。


「我々が協力すれば、馬車の襲撃事件についても決定的な証拠が得られるかもしれません」


「いえ、決定的と思える証拠が出ても、それは高度な偽造かもしれません。申し訳ございませんが、馬車襲撃の犯人を特定しないことはフレジェス国王テオドラ・ヴォワールの明確な意思です」


 やはり厳しい。デニスの手札にこれを覆せるような鬼札はない。


「そうですか……我々が情報提供を拒んだ場合は、どうされるのですか?」


「ケンティキアン貿易をはじめ幾つかの標的は設定済みです。いずれにせよ攻撃は行います」


 ケンティキアン貿易がグラバルト工作員の隠れ蓑なのはデニス達も把握している。防諜に関しては甘いと思っていたフレジェスだが、一定の活動はしていたということだ。

 先に手の内を一部晒したのはフレジェス側の誠意であろう。外交には騙し合いの場面もあるが、誠実な取り引きを求められる場面もある。今回は後者だとデニスは判断する。ならば後は条件だ。


「率直に話させていただく。我が国は魔石の確保に苦労している。相談にのっては貰えないだろうか」


 魔石密輸ルートを摘発されたデニス達としては、魔石確保が喫緊の課題だ。譲歩が得られれば、かなり助かる。


「現状でフレジェス王国から貴国に魔石を輸出することは立場上難しいかと。ですが――」


 ルディーナの隣で静かに座っていたアルバートが鞄から書類を出す。ルディーナを経由してデニスに提示される。

 内容を読む。フレジェス王国からゼラート王国ベルミカ公爵家に魔石を輸出する許可証だ。認められた年間輸出上限はゼラート王国での年間消費とほぼ同等、かなりの量だ。不自然極まりない許可証である。ゼラート王国には魔石の鉱山が複数あり、輸出する側の国だ。そして、ゼラートの主要な魔石鉱山は全てベルミカ公爵家の所有だった筈だ。


「ベルミカ公爵家としてはトグナ帝国とは元より良いお付き合いをさせていただいている関係です。この上、情報提供までいただけるのであれば、配慮は当然かと」


 つまり、フレジェス王国から輸出した魔石で浮いた分をトグナ帝国に回すということだ。良い取り引きだ。余計な手間の分で多少コストは嵩むが密輸よりは遥かに安く、魔石が購入できるだろう。

 最良ではないが、大きな果実だ。逃す手はない。


「承知した。ご協力させていただこう」


 ルディーナが右手を差し出してくる。デニスはがっちりと握手を交わした。



◇◇ ◆ ◇◇



 台車から木箱が降ろされ、蓋が開く。私は立ち上がり、ぴょんと飛んで箱から出た。


「お嬢様、おかえりなさいませ」

「ルディーナ、おかえり」


 トグナ帝国大使との交渉を終え、行きと同じく木箱に入って帰ってきた私をメルナとロッシュ殿下が迎えてくれた。


「ただいま、メルナ。戻りました、殿下」


「それで、お嬢様渾身の”箱入り娘”のギャグは受けましたか?」


 メルナがシド目で言う。


「普通に奇異の目で見られたよ。でも別にギャグじゃないから」


 秘密の移動と言っても私はなかなか目立つのだ。『バーグフレジェス』のせいで顔が知れ渡っているし、長い金髪だし。でも木箱に入れば万事解決、その上少し楽しい。


「ルディーナはオーラが違うからな、変装ぐらいじゃバレる。しかし、大使の唖然とした顔は見てみたかったな。残念だ」


 ロッシュ殿下も笑う。やはり、箱からの登場は絵的にヤバかっただろうか。まぁ、済んだことは仕方がない。


「何はともあれ、交渉は成功。情報は貰って来たよ」


 秘密書類の束をメルナに渡す。メルナは凄い速さで目を通していく。


「素晴らしい。トグナ帝国の諜報機関は優秀ですね。これなら当面グラバルトは身動きが取れなくなるでしょう」


 他国の敵対する工作員とは言え、あまり殺したくはない。しかしこれ以上暴走されてフレジェス王国が戦争に巻き込まれるのは防がなくてはならない。私には既にその責任があるだろう。


「じゃあ、メルナ。攻撃を実行して」


 今回の攻撃はベルミカ家の人員がメインになって行う。そうすれば万が一露見したときにベルミカ公爵家の暴走として、フレジェス王国の外交と切り離すことができる。お父様には悪いが活用させて貰う。なのでフレジェス王国側の人員はサポートだけだ。ベルミカの人間はメルナを入れても11人だが、元々フレジェス城に突入する覚悟で送り込まれた精鋭である。グラバルトの工作員を奇襲して闇討ちにするぐらい難しくない。


「はい。お任せを」


 メルナがすっと目を細めた。

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