第28話 表情筋に力を込めて

 ベルミカ公爵、オリンド・ベルミカが執務室で書類仕事を片づけていると、小走りの足音が近付いてきた。

 邸内を走っているとなれば緊急事態だろう。ベルミカ公は手を止める。


「公爵! 使者の方がいらっしゃいました」


 家令が執務室に駆けこんで来て言った。


「使者?」


「はい。フレジェス国王からの使者です。先方は市内に宿を取り公爵の都合の付くときに再度屋敷を訪ねると仰っていますが、ひとまず貴賓室にお通しし、お待ちいただいております」


「すぐに会おう。支度を」


 大国の使者だから優先するというのもあるが、すべからく情報の入手は早い方がいい。それに、国内政治に奔走せざるを得ず、メルナに任せて放置していたが、公爵としてもフレジェス王国とルディーナのことはずっと気掛かりだった。


 使用人達が急いで公爵の服装を整える。そのまま貴賓室へ向かう。

 「お待たせした。失礼する」と言って室内へ入る。使者とその補助者2人と思しき3人が座っていた。使者は服装からして、相当に高位の貴族だ。

 3名がすっと立ち上がり、頭を下げる。


「突然の来訪になってしまい申し訳ございません。フレジェス国王テオドラ・ヴォワールからの使者として参りました。ジェローム・エクリュと申します」


「ベルミカ公爵オリンド・ベルミカでございます。お座りくださいませ」


 ベルミカ公は深く頭を下げる。ジェローム・エクリュの名は知識の中にある。エクリュ公爵家の三男で、現在は高位の文官として王家に仕えている筈だ。本来ならゼラート中堅国の公爵家へ使者として出すような人物ではない。相当に重要な案件だろう。更に一段階気を引き締める。


「国王からの親書の他にメルナ様、ルディーナ様からの手紙も預かっております。まずはこちらをお読みいただくのが話が早いかと存じます」


 2通の封筒が差し出される。ベルミカ公は手に取り、確認する。封筒に書かれた『旦那様へ』と『お父様へ』の文字は間違いなくメルナとルディーナの筆跡だ。


「では、読ませていただく」


 封を開け、中身を読み始める。


 ……は?


 唖然とした顔をしそうになるのを、表情筋に力を込めて抑えた。


 メルナの手紙には要約すると『ルディーナ様がフレジェスの王太子と相思相愛なので代理として婚約を結んでおきました。王太子はとっても良い人なので安心してください』と書いてあった。


 確かに何の留保も付けず、全面的な代理権を渡した。メルナを送り出すときはルディーナの身柄の返還と引き換えに鉱山の一つも差し出してくるだろうと覚悟はしていた。


 だが、だが、婚約をとは何なのだ。


 そして、列強国フレジェスの王太子、およそ考え得る限り最高位の男性だ。ゼラート貴族ではトップのベルミカ家にとっても雲の上の存在と言っていい。その妃の座を巡っては熾烈な戦いが繰り広げられていた筈だ。


 相思相愛だから結婚って、うちの娘は一体何を?


 ルディーナの手紙も読む。近況に始まり、王太子ロッシュが素晴らしい人である旨が語彙の限り書き連ねられ、最後にメルナを叱らないでね、と添えられている。


 娘が王太子にベタ惚れなことだけはよく分かった。


 深呼吸したいところだが、使者の前だ。


「なるほど、内容は把握できました」


 何にしても内容は理解できた。王太子の婚約、大事だ。そりゃ使者のランクも上がる。


「驚かれるのは無理もございません。私にも娘がいますが、突然婚約済みと言われたら叫ぶと思います」


「お気遣い、痛み入る」


 ジェロームの言葉にベルミカ公は少し冷静さを取り戻す。

 メルナのことだ、ルディーナの幸せを最優先に考えるのは間違いない。そこを全面的に信頼したからこそ、代理権を与えて送り出したのだ。想定外ではあるがベルミカ公としてもこれ以上娘に負担を強いるつもりはない。ルディーナが幸せならそれで良い。

 フレジェス王国王太子ロッシュ・ヴォワールには良い噂しか聞かない。素直に言祝ぐべきことだろう。


「驚きはいたしましたが、大変喜ばしい話です」


 それにザルティオが戦争を仕掛けてしまった大国とこれ以上ない形で関係改善が図れるのだ。ゼラート王国としても、ベルミカ公爵家としても良い話だろう。


「そう言っていただけるとありがたい。安心いたしました。こちら国王からの親書になります」


 受領し、中を読む。要約すれば『これからは縁者として良い関係を築きたい』との内容だ。

 嫁入りとなれば、使者殿に返事を託して終わりという訳にも行かない。とにかく、こちらからも人を出す必要があろう。


「本当は私がフレジェスに赴きたいが、お恥ずかしい話まだ国内が落ち着いておりませんで、代わりの者にお返事の文書を託したいと思います」


 自分で行きたいが、まだ旧国王派の処理が終わっていない。悪質な家は潰し、そうでない家は穏便に取り込む。面倒な作業が続いていた。


「承知いたしました」


「お部屋を準備させていただきますので、宜しければ当屋敷にご滞在ください」


 さて、息子も忙しいし、誰を行かせようか。ベルミカ公は悩み始めた。


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