第18話 夜のテラスにて
『バーグフレジェス』が私のことを報道した翌日。私は殿下から休むように言われ、暇をしていた。気分は晴れない。今日発売の週刊紙『バーク・ワーグ』にも案の定、私の記事が載っていた。ゴシップ紙の『バーク・ワーグ』は『バーグフレジェス』以上に直接的な表現を使ってくるので、精神衛生上良くない。
昨日から皆がバタバタしている。あの記事への対応なのだろう。今回は完全に外されてしまっているので、任せきりで申し訳なかった。
朝食を終えると、私は王城の中庭に出た。この時間でも既に日差しは強い。ただ空気はカラッとしているので、木陰に入れば過しやすい。
葉を大きく広げたクスノキの下に設置された、小さなベンチに腰掛ける。
辺りに人はいない。私は本を取り出して開く。気晴らし用の小説だ、いわゆる推理もの。気を抜くと記事のことを考えてしまうから、務めて淡々と文字を負う。
ゆっくり読んだつもりだったが、程なく読み終わってしまう。自分の読書速度が憎らしい。小説自体はトリックにやや無理があったり、動機も突拍子もなかったり、微妙だったので余韻に浸ることもできない。
どうしても、記事のことを考えてしまう。
やっぱり私は辺境にでも行くべきではないか。ネイミスタを離れれば少なくともロッシュ殿下が何かしている可能性は消える訳で。若しくは里帰りさせてもらうか? でもそれも”悪事が新聞にバレたから帰した”と取られると困る。
ぐるぐる悩んでいると、足音が近づいてきた。メルナだ。
「お嬢様、記事の事を考えているのですよね?」
「うん。もう、どうしていいか分からなくて……」
「お嬢様は全く自分のこととなると……他人事であればこの程度サクっと対処して終わりでしょうに」
なんか、少し呆れたような顔でメルナが言う。真剣なのにひどい。
「サクっとなんて……スキャンダル対処って難しいよ? 否定しても真実であった方が面白いから、嘘の広がりは止まらないと思うし」
「ま、ご安心ください。今みんなで対策を講じていますので、お嬢様はのんびりしていれば大丈夫です」
メルナはなんだか自身満々だ。
「対策って何を?」
「とりあえず、これが第一弾ですね」
メルナが一枚の紙を取り出し見せてくる。
『 一部新聞社において、ゼラート王国ベルミカ公爵家のルディーナ殿に関わる不穏当な報道がなされている。
この件についてフレジェス王国から発表する。
ルディーナ殿が現在ネイミスタに滞在されていることは事実である。彼女がネイミスタにいる理由については外交上公表できない。しかしながらフレジェス王国は彼女を客人として遇している。彼女にはベルミカ公爵家の侍女も付いており、ベルミカ公爵も状況を把握しているところである。
フレジェス王国の新聞社が他国の貴人を貶めるような報道を行うことは許容し難く、厳正に対処していく』
なるほど。
「なんというか、無難な声明ね」
「はい。既にこの内容で発表済みです」
「でも、このぐらいじゃ収まらないと思うけど」
「もちろんこれで終わりではありません。楽しみにしていてください」
メルナはとても楽しそうに笑った。大丈夫だろうか? なんか逆に心配になってきた。
「それでお嬢様にロッシュ殿下から言伝です。少し遅い時間になってしまうけど、夕食を一緒にどうか、とのことです」
また気を使ってくれているのだろう、申し訳ない。とは言え、ロッシュ殿下からのお誘いとあらば断る訳にもいかない。
……会いたいし。
「もちろん。喜んで」
「分かりました。伝えておきます。あ、そうそう大事な話があるそうですよ」
メルナがしれっと爆弾を追加する。
大事って何だろう、悪い話でないといいけど……。
◇◇ ◆ ◇◇
その夜、私はフレジェス王城の最上階近くのテラスにいた。ロッシュ殿下と二人での夕食だ。
テラスに置かれた白い丸テーブルを挟んで座る。テーブルにも椅子にも、蔦をモチーフにした美しい模様が彫られていた。
既に夜闇は深いが、設置された幾つものキャンドルが、優しい光で場を照らしている。
天気はとても良かった。雲一つなく、視界の上半分は星の輝きで満ちている。満天の星空とはこのことだろう。
一方、眼下に広がるネイミスタの街は、殆どが闇の中に沈んでいる。光があるのはオイルランプの設置された大通りと、一部の繁華街だけだ。
何だか特別感のある素敵な場所だ。綺麗だけど、こんな時だと少し不安になる。大事な話って何だろう。スキャンダル対策で殿下の直属から外すとかだったら悲しい。
不安に思っていると、ロッシュ殿下が微笑みかけてくれた。風がそよぎ、キャンドルの火が殿下の顔の陰影を揺らす。今日も殿下のまつ毛は長い。
「ここは俺のお気に入りでね。昼も都市と湾が一望にできて美しいが、個人的には夜が一番だ。どうかな?」
殿下の優しげな声が心地よい。
「はい。素敵なところです。お招きありがとうございます」
中年の女性使用人が静かに一皿目を配膳してくれる。トマトとニンジンとハムのマリネだ。
殿下が「さぁ、いただこう」と言って料理を上品に口に運ぶ。私もいただく。酸味が程よく、美味しい。
「小さい頃、時々夜更かしをしてここからネイミスタを眺めていた。父には叱られたがな」
小さい殿下が手摺のところに掴まって外を見てる姿を想像してみる。うん、可愛い。
一皿目を食べ切ると、スープがサーブされる。二枚貝と野菜を煮込んだスープだ。これも本当に美味しい。
「ネイミスタは魚介類が美味しいですね。景色も良いし、大好きです」
ネイミスタ湾は良質な漁場でもある。やはり産地に近いと鮮度が違う。
「そう言って貰えると嬉しい……それ、付けてきてくれたんだな。とても似合っている」
殿下が目を細める。私の首元には殿下から誕生日に貰ったサファイヤのネックレスが煌めいている。褒められて嬉しい。
でも、喜んでばかりいられる状況でもない。
「殿下、本日は気を使っていただいてありがとうございます。お忙しいのに……きっと今日も大変だったのですよね、私の記事のせいで」
「君が謝ったり、気に病んだりするとこは一つもない。ま、確かに記事のせいで今日も有力貴族連中に色々言われはしたが、大したことはないさ」
ああ、やはり貴族からの突き上げに繋がってしまっているのか。辛い。
「でも、殿下の名声が……」
「民衆や下級貴族は兎も角、貴族議員クラスは俺の人となりは分かっているからな。あんな記事は欠片も信じはしない。言われるのは小言の類いだよ。いつまでも未婚でいるから"あんな記事"を書かれるんだ、ってな」
殿下は苦い顔でハッハッハと笑う。
「あの、私地方にでも引っ込むかゼラートに戻った方が良いんじゃ……内容はとうあれ貴族の突き上げがきているのですよね。物理的に距離をとれば……」
「馬鹿を言うな」
殿下はビシャリと言う。
「君が来てからな、楽しいんだ。それまでが不幸だった訳ではないが、でも日々が色を増した。どこにも行かないで欲しい」
殿下の目は真剣だ。ここまで言って貰える私は幸せ者だろう。
「……ありがとうございます。でも、その、貴族の対応とかはどうされます?」
「ああ、それはな。貴族連中には未婚でいることを突かれている訳だから……くっ……」
何やらロッシュ殿下は珍しくオロオロして、目が空を泳いでいる。やがて、大きく息を吸って私を真っ直ぐに見た。何度見ても綺麗な瞳だ。
「だから、その、ずっと一緒にいてくれないか? 俺の伴侶として」
はい? あれ? えっと、何を言われた?
伴侶って聞こえた。伴侶って、奥さんのことだよね? オルトリ語だとフィルミ、ハラルド語だとレミダ、いや翻訳はどうでもいい。
あれ、殿下にプロポーズされた?
誰が?
後ろを振り返ってみる。もちろん誰も居ない、あるのは星空だけ。
「あの、その、私ですか?」
ロッシュ殿下は「ああ、そうだ」と頷く。
理解が追いついて、息が詰まる。
「ルディーナ、君を妻にしたい。結婚してくれないか」
改めて、真剣な顔で、殿下が言う。
視界がぐにゃんと滲んだ。風がそよぐと、頬が冷たい。涙が溢れていた。
「は、はい。私、殿下のこと大好きです。喜んで。その、第二夫人でも第三でも構いません!」
私はブンと頭を下げる。
「一人目がいないのに何で二人目を娶るんだ。ライズヴァッサ帝じゃないんだぞ。正妻で頼む。ルディーナ、俺も君が大好きなんだ」
殿下が笑う。
「嬉しい、です。……でも国王陛下は大丈夫なのですか?」
ロッシュ殿下は王太子、自分の気持ちだけで結婚できる立場ではない。
「俺が根回ししてないとでも? 父から言質は取ってある。それと、ベルミカ公爵側はメルナ殿が『代理権濫用します』って言ってたぞ」
頼もしいお言葉。そうか、確かにメルナには私の処遇や身柄に関する一切が留保なしで委任されている。婚姻も結べちゃうね。
なら憂いはない。
「末永く、よろしくお願いします」
「こちらこそ。陛下との顔合わせとか諸々は近い内に機会を作る。あと、新聞の件は任せてくれ」
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