第10話 プロジェクトチーム発足


 私、ルディーナ・ベルミカは今日もお仕事に勤しんでいる。今しているのは予算要求書類の一次チェック、内容に政治的な判断以前の問題があれば、殿下に上げる前に突き返す直させるのだ。


 職場には小さな変化があった。ロッシュ殿下が私達のいる大部屋で仕事をするようになったのだ。

 隣の個室から上司が出てきたという状態である。普通なら部下にとってはありがたくないだろうが、ロッシュ殿下は穏やかな方なので問題ない。時々目が合うと微笑みかけてくれるし、職場は変わらず良い雰囲気だ。


 仕事の方は翻訳以外も色々やらせて貰うようになってきたので、私個人としては楽しい。


 だが、ロッシュ殿下は色々と大変そうだ。先日の『魔石密輸疑惑』への対応は捜査院と査察部に投げているが、国内政治の方がゴタゴタし始めていた。

 何でもウルティカ統合派と呼ばれる強硬派の動きが活発化しているとか。面倒なことである。


「クロードさん、問題ありません」


 予算要求書類に大きな問題はなかったので、クロードさんに渡す。


「ありがとうございます。先程頼んだ翻訳の方はゆっくりで構いませんからね」


 クロードさんの言葉に「はい。大丈夫です」と返す。クロードさんにしてもロッシュ殿下にしても私にはやや過保護だ。別に無理はしてないのだけど。


 コンコン、というノックに続いて、扉が開く。紅茶の香りが部屋に広がった。毎日恒例のコレッタのお茶だ。前はお茶だけだったが、今は小さな焼き菓子もある。ロッシュ殿下が甘いもの好きなので、殿下が大部屋に移ってから皆お菓子付きになった。


「今日のお菓子も美味しそう。太っちゃうなぁ、困った、困った」


 アルバートさんがニコニコしながら言う。


「じゃあ明日からアルバートさんの分は砂糖抜きバター抜きで作るように頼みましょうか?」


 コレッタが悪戯っぽく言うと、アルバートさんは「いえ、コレッタさま、止めてください」と大袈裟に頭を下げる。


 私はロッシュ殿下の方に目をやる。殿下は幸せそうにお菓子を食べるので、見ていて癒されるのだ。と、殿下もこちらを見て目が合う。ほんの僅かに首を傾げて優しげに目を細める。こちらの顔も思わず綻ぶ。うん、良い職場だ。


「殿下、ルディーナ殿、あと少しで視察へ出発する時間です」


 ふわふわした気持ちで笑っていると、クロードさんが言った。

 今日は殿下が新工場を視察するのだが、何故か私も行くことになった。クロードさんの提案だ。意図はよく分からないが断る理由もないし、実際工場は見てみたい。


「ああ、お茶を飲み終わったら出る。ルディーナ嬢も大丈夫か?」


「はい。もちろんです」


 暫しお茶と焼き菓子を楽しみ、片付けと、その他諸々を済ませて出発する。


 視察には、コレッタは同行しない。殿下の護衛チームがバッチリいるのでメルナもお休みだ。


 文官数名に殿下と私というメンバーで王城を出る。馬車3台に分乗し、馬に乗った護衛が周囲を固める。殿下と私は真ん中の馬車で、車内には2人だけだ。


 馬車は出発し、坂を下っていく。新工場は郊外にあるので、少し遠い。


「服、似合っているな」


 ロッシュ殿下がそう褒めてくれる。今日着ているのは殿下に仕立てて貰った服の第一号だ。ライムグリーンのロングスカートに白いブラウス、動きやすくて涼しげで、素晴らしい。


「ありがとうございます」


 実は自分でも似合うと思っている。職人さんのセンスが良いのだろう。まだ何着か来るらしいので、楽しみだ。


「殿下は……少しお疲れですか?」


 ロッシュ殿下の顔は近くで見ると少し目の下に隈があるように見えた。


「ああ、馬鹿な連中が騒がしくてな。今日もどこぞで集会があるそうだ」


「ウルティカ統合派でしたっけ」


「そう。それだ。全く、緩衝国を併合なんてする訳がないだろうに」


 殿下は溜息を一つ零す。


 フレジェス王国の西にはウルティカ公国という国がある。ウルティカはオルトリ共和国とフレジェス王国に挟まれており、この国のお陰で両国は国境を接さずにいられている。いわゆる緩衝国だ。


 ただ、このウルティカ公国は400年程前まではフレジェス王国の一部だったのだ。ウルティカは農業に適した豊かな土地で、資源もそこそこある。さらに悪いことにフレジェス王国で一定の勢力を持つ精霊信仰の聖地がウルティカにあったりする。そのせいで国内には統合を求める声がずっと燻っていたらしい。


 そして、その燻っていただけの声が最近噴き出しているのだ。


「ご自愛くださいね、殿下」


 そうとしか言えないのが、少し悲しい。


「ああ。ありがとう」


 馬車は順調にネイミスタ市街を走り抜けていった。



◇◇ ◆ ◇◇ 



「さて、少し時間をいただきたい」


 ロッシュとルディーナが不在となった大部屋でクロードが言う。


 部屋の中にはロッシュ直属のスタッフの他にコレッタとメルナが居た。


「あのお二方の件ですか?」


 アルバートが確認すると、クロードは深く頷く。アルバートはニヤリと笑った。


「いやー、何というか凄いですよねぇ。殿下のあのとろけた笑顔。ルディーナ様も花が綻ぶように笑顔を返すし」


「付き合い始めのカップルにしか見えないですよね。微笑ましくて、毎日楽しいです」


 コレッタがニコニコしながら言う。

 隣にいたメルナが遠くを見るような目で、口を開いた。


「私メルナ・トミニコ、幼少のみぎりよりルディーナお嬢様にお仕えしておりますが、あんな顔を見たのは初めてです」


「このクロード、殿下がお生まれになった時からお側におりましたが、あんな殿下は初めですな」


 噛みしめるように、クロードは言う。


「それで、クロード様、畏まってどうされましたか?」


「実は先日、殿下の様子を国王陛下にご報告申し上げた」


 そこで、クロードは一旦言葉を切る。一同が息を呑んだ。


 ロッシュはフレジェス王国の王太子、ルディーナはゼラート王国の公爵令嬢だ。好き合っていればそれでOKという立場ではない。

 場合によっては傷が浅いうちに引き離す工作も必要になる。


「陛下は……"それは良かった"と仰っていた」


 部屋の中に安堵が広がる。引き離し工作は必要なさそうだ。クロードが更に言葉を続ける。


「今までロッシュ殿下には星の数ほど縁談の申し出があったが、どれもしっくり来ないと断っていらした。陛下も本人の意思を尊重するとは言いつつも、最近は少し心配なさっていた様子。率直に喜んでいらっしゃった。本人達が望むならフレジェス王家は婚姻も含め問題はありません。ベルミカ側はどうでしょうか?」


 クロードはメルナに視線を送る。


「旦那様はこれ以上お嬢様に苦労をかける気はないと思います。ルディーナ様の良いようにと仰るでしょう。幸い、私には制限なしで代理権が与えられています。書状の文面的には私がベルミカ公爵の代理として婚姻に同意しても有効です」


「ならば、我々は本人たちの意思を尊重しつつ、さりげなく応援ということですかね。そして今日の視察に二人で行かせたのは応援第一弾と」


 アルバートの言葉にクロードが頷く。


「お二人とも色恋に関しては鈍そうですから、しっかりサポートしないとですね」


 コレッタが嬉しそうに笑う。


「ということで、我々は今日から二人の恋を応援するプロジェクトチームです。協力して進めましょうぞ」


 クロードが拳を握り、上に上げる。皆がそれに倣う。


 執務室にエイエイオーと掛け声が響いた。

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