第9話 ゼラート王国では


 ゼラート王国の王都、ラヴォル伯爵邸の寝室で若い男女がベッドに並んで腰掛けていた。ベッドの横には小さなテーブルが置かれている。


 二人は新婚の夫婦だが、その顔は真剣で甘い空気はない。


 赤い髪に一重まぶたのキリッとした印象の女性、ダリヤがテーブルの上に1枚の書類を置く。

 書類と言ってもメモの類のようで、ただ貴族の家名だけが並んでいた。


「ジラルド、これが経済状況が不自然に上向いたと思われる貴族のリスト。精度は低いわよ。あくまで夜会に新しいアクセサリーを付けてきたとか、そういうレベルに過ぎないから」


 栗色の髪の穏和そうな青年、ジラルドがリストを手に取る。


「了解……外交系と官房系王家補佐の役人を務めている家が多いな」


「うん。個々の家単位では誤解や見落としは多いと思うけど、傾向は有用な情報になると思う」


 ルディーナ・ベルミカの友人である彼女らは、ルディーナが王妃教育と称して軟禁されていることを知り、背景を調べていた。あれこれ探っているうちにルディーナはフレジェス王国に引き渡されてしまったが、調査は継続していた。

 その中で、どうも国王派の貴族の中に金銭的に上向いた者が多いことに気付き調べていたのだ。


「カルバトはなしか、だが案の定、アギスタ、ボルノアがあるな」


 カルバト侯爵家、アギスタ伯爵家、ボルノア伯爵家、どれもザルティオの取り巻きで、かつ不自然な動きをしていた貴族だ。

 ルディーナの軟禁、フレジェス王国との開戦と講和、奇行としか思えない一連の動きに深く関わっている。


「……でも、やっぱり分からないんだよね。お金の出処も意図も、さっぱり。国庫からの変な資金の流れはないんでしょ?」


 ジラルドは頷く。彼は国庫を管理する役人の一人だ。


「予算・会計・税務関係の役人にはベルミカ公爵派閥の人間が大量に送り込まれているからまずないよ。俺も念入りに洗ったし」


 ジラルドの言葉通り、彼も含めて国家予算を扱う役人はベルミカ公爵に近い貴族が多い。結果それ以外の部門でベルミカ派の比率は低くなってしまっているが、金だけはがっちり押さえている。


「となると、王家の固有資産から? 確かに王家の太鼓持ちやってる家が多く並んでいるけど……でも金を撒く理由はないよね」


 おべっかで気持ちよくなったからと言って、王家の資産から金をばら撒いたりはしないだろう。それにリストにある貴族家の中には破産寸前から持ち直した家もある。おべっかで破産を免れるなど、そんな美味しい話がある訳がない。


「だな。王家の懐事情だってそこまで良くはないだろうし。そもそも一連の奇行は何がしたかったのか、さっぱりだ」


 二人して、首を傾げて悩む。


「うーん。ルディーナの軟禁は……ザルティオが浮気しやすいとか?」


「いや、ルディーナは浮気に気付いた上で黙認してた。それはない。単なる嫌がらせの方がまだ納得できる」


「ザルティオは馬鹿で性格悪いから、嫌がらせとかしそうだけど、彼以外が積極的に動くのは不自然な気がする……案外本気でルディーナを王太子妃から外せると思っていたとか? 駄目ね、よく分からない」


 王太子のご機嫌取りにしては、危険が大きすぎる。合理的に考えれば国内最有力のベルミカ家を敵にする価値はない。

 だが、世の中には馬鹿も多いのだ。


「そして、フレジェスとの戦争に至っては国内の誰も得をしてない」


 四大列強に正面から挑むなど、下手をすれば国家滅亡だ。講和を受けてくれたから良かったものの、フレジェスの意思次第では併合さえあり得た。

 アレには国王派貴族まで青くなった。実際開戦以降、国王派貴族は次々と派閥を離脱している。


「ルディーナがいればなぁ、きっとすぐ答えを見つけたのだろうけど」


 思い浮かぶのは友人の顔、彼女ならさらりと真実を見出すだろう。


「無事だと良いが……俺達じゃフレジェスには手は伸ばせない。恩人に何もできないのは口惜しいけど、できることをやるしかない」


 ダリアとジェラルドにとってルディーナは友人であると同時に恩人だ。二人が結婚できたのはひとえにルディーナのお陰である。

 元々ダリアには前向きに検討されていた別の縁談があった、それを友人2人が両想いだと知ったルディーナが方々に手を回して立ち消えにさせたのだ。


「ええ。フレジェスとはきっとベルミカ公が交渉してくれるでしょうし……ルディーナなら自分で何とかしそうだけど」


 ダリアの縁談への対処は凄かった。公爵家の力で強引に潰すこともできただろうが、角を立てぬよう利害関係を調整して縁談の有用性自体を消してみせた。

 ダリアには途中までルディーナが何をしているのか分からなかったが、次々と状況が連鎖し、結果としてはルディーナの意図通りになった。バラバラに作られた部品が一気に組み上がり形になる、そんな感じだった。

 ゼラート王国の一連の奇行とは真逆の綺麗な策略だ。


 そこでふと、ダリアは数日前に兄の息子達と会ったときのことを思い出した。


「ねぇ、ジェラルド。この前さ、甥っ子達が兄弟で積み木遊びをしていたの。でも二人の作りたいものが違ったらしくて、途中で喧嘩を始めた。一連の動き、そんな感じしない? ルディーナの軟禁はともかく、フレジェスと戦争を始めて、でも即講和って変だよ。確かに連戦連敗で降伏するしかない状況だけど、負けるのなんて最初から分かってる」


「なるほど。別の意図を持った複数の勢力が同時に動いて、ぐちゃぐちゃになった結果がコレと。あり得るな」


「仮にその方向で考えてみるとして、フレジェスと戦争を始めて利益のある勢力って誰だろう。国内にはそんなの居ないよね」


「少なくとも貴族には居ないな。平民は長い目で見れば併合された方が良いかもしれないが」


「国外に目をやると、まず浮かぶのは当のフレジェスだけど、講和に応じているんだからそれはない」


「ゼラートとフレジェスが戦争をして喜ぶ勢力……強いて言うならグラバルト皇国か?」


 グラバルト皇国は隣接するトグナ帝国と敵対している。両国は共に四大列強とされるが、4国の中にも国力差はある。軍事力ではグラバルト皇国が明確に優位だ。

 グラバルトは他の列強の干渉を排除し、1対1でトグナ帝国を打倒することを望んでいるとされる。

 しかし当然ながら他の2国、オルトリ共和国とフレジェス王国はグラバルト皇国が巨大化し、パワーバランスが崩れることを望まない。

 フレジェス王国を引っかき回す動機は一応ある。


「グラバルトはいくらなんでも婉曲的過ぎる気もするけど。ザルティオの暴走と見る方が自然じゃない?」


 ジェラルドが「そうだな」と頷く。国王が体調を崩し、ルディーナが嫁入りしていない状況は、ザルティオが好きに動ける千載一遇のチャンスではある。

 あの馬鹿王子と取り巻き達だ。フレジェスが実効支配する係争地を奪還すれば、その功績を背景にルディーナを排して実権を握れる、そう夢想してもおかしくはない。


「逆に戦争を嫌うとすると、ゼラートの全諸侯と、フレジェス王国、オルトリ共和国……こっちは容疑者が多いな」


 フレジェスは穏当な条件で講和に応じた以上、戦争は望んでいないと考えられる。オルトリ共和国は潜在的脅威としてフレジェス王国を警戒しており、フレジェス王国がゼラートを併合して勢力を増すことは嫌う筈だ。


「開戦と講和が別勢力の意図だとすると、カルバトが開戦側でアギスタとボルノアが講和側になる訳ね」


「……カルバトは元々はザルティオに信頼されて発言力も高かったが、戦争で負けまくってからは遠ざけられている。逆にアギスタやボルノアは影響力を高めた。不自然な手際の良さが現れるのはそれ以降だ。その方向で少し探ってみるか」


「こっちも、噂を集めてみるね」


「頼んだ。くれぐれも慎重にな」


 話し合が終わり、二人揃って肩の力を抜く。


「うん。それじゃ、ここからは夫婦の時間かなー」


 ダリアが甘えたような声を出し、ジェラルドに寄りかかる。そのときコッコッと扉がノックされた。外から「夜分すみません、マルセルでございます」との声。

 ダリアが慌てて身体を離す。


「大丈夫だ、入れ」


 扉が開き、ラヴォル家執事のマルセルが入室してくる。

 何か動きがあったのだろう。新婚夫婦の寝室に夜やってくるのは常識外れだが、情報は即座に上げるよう指示してある。


「このような時間に申し訳ございません。重要な情報が入りましたので、お伝えに上がりました。ベルミカ公爵から、密書が届きました。兵力の引き上げに関する内容とのことです」


 マルセルが書状を差し出す。ジェラルドは受け取ると、開いてさっと目を通す。内容は概ね予想通りだ。


「……こちらも急がないといけないな」



◇◇ ◆ ◇◇ 



 ゼラート王国の現国王、ラッザロ・ゼラートは何を言われているのか理解できなかった。


「ルディーナ殿を、フレジェスに渡したと聞こえたぞ?」


「はい。その通りでごさいます」


 病に伏せっていたラッザロだが体調が徐々に回復し、久しぶりに起き上がることができた。そこで文官を呼び近況について報告を求めたところ、耳を疑う内容が返ってきた。


「べ、ベルミカ公爵は同意したのか?」


「いえ、ベルミカには特に何も伝えておりません」


 病気のせいで悪い夢でも見ているのだろうか、ラッザロは本気でそれを疑った。自分の顔をパチパチと触る。感覚ははっきりしており、夢には思えない。


「何故、フレジェスと講和してそんな条件が付く? あり得ないだろう」


 ラッザロは国王としての能力は低いが、最低限の常識はある。当然の疑問だ。


「……私は詳細を把握しておりませんが、ザルティオ殿下のご提案とだけ聞いております」


 ラッザロは足元の床が崩れて奈落に落ちていくような錯覚を覚えた。

 病床とはいえ、流石にフレジェス王国と戦争になったことは報告されていた。そのときラッザロは『併合以外ならどんな条件でも良いから和平を結べ』と指示している。だが、それはフレジェスに譲歩することを認めたのであって、意味不明な条件を好きに付けろということではない。


「今すぐザルティオと主だった家臣を集めよ。今後について方針を立てねば!」


「すぐ、というのは難しいかと」


 文官が事もなげに言う。呑気さに腹が立った。状況が分かっているのだろうか。


「ザルティオと、他は集められる者だけ集めろ。数時間あれば可能だろう」


「ザルティオ殿下は外に出ておりますので厳しいかと……」


「外っ! 何をしに」


「えー確か、エミリー・ブランダ子爵令嬢を連れて狩りに」


「……連れ戻せ。命令だ。ザルティオが戻り、会議の準備ができたら呼べ」


「承知いたしました」


「急ぐのだそ。私は少し横になる」


 ラッザロの体調はようやく起き上がれる程度、今のやりとりでかなり疲弊している。水を飲んでベットに横たわった。




 結局、会議を始めることができたのは、翌日の午後だった。

 今のところベルミカ公爵家に動きはないが、ラッザロにはそれが逆に不安だ。凡庸な王であってもベルミカ公爵が激怒していることぐらいは分かる。


 大きな長テーブルを囲むのは国王ラッザロ、王太子ザルティオ、王家補佐の役人達。


「これより、会議を始める」


 そう宣言するラッザロの顔色は悪い。その後ろには医師が控えている。


「まずザルティオ、何故あんなことをした」


「あんなこと? 父上が仰るのはルディーナの件ですかね」


 ザルティオは小首を傾げてから答える。軽薄な態度に腹が立つが、堪えて再度問う。


「そうだ、何を考えている」


「大したことではありません。アレは王妃には相応しくありませんでしたので、放逐したまで」


「大したことではない……だと。ベルミカ公爵家を敵に回す行為だぞ! 理解しているのか!」


 ベルミカ公爵家は国内最有力の貴族、その影響力は極めて強い。ラッザロ自身も今は亡き先代の国王から『ベルミカ公爵だけは敵にするな』と口酸っぱく言われていた。


「ベルミカは領地はデカいが、臣下の一貴族に過ぎませんよ。アレは王妃教育も全く駄目でして。むしろベルミカ公爵が謝罪に来るべきでしょう」


「もう一度聞くぞ? 何を考えている? ベルミカ公爵家の領地は税収において王家直轄領の合計を大きく上回るのだ。 それにベルミカが一貴族? かのベルミカ公爵家だぞ」


 ベルミカは初代国王の実弟にして、建国の立役者ナゼールの血統だ。

 旧王朝の崩壊で生じた戦乱の時代、並み居る敵勢力を打倒し、再統一への道筋を付けたのはナゼールである。彼が王にならなかったのは兄を立てただけだと言われる。

 貴族の中でもベルミカ家は別格、臣下の一貴族などでは決してない。


「税収もまぁ大切ではあるのでしょうがね。父上もご病気で気が小さくなっているようだ。父上は王、私は王太子です。王国軍を有するゼラート家が何を恐れるのです?」


 殴られた。


 ラッザロはそう錯覚した。自分の息子は何を言っているのか。


「王国軍? 王国軍が使えると思っているのか?」


「父上、本当に何を言っているので?」


 ザルティオの表情は冗談を言っているようには思えない。ラッザロはようやく理解した。本当にザルティオは何も知らないのだ。


「ヤダイルっ!! 貴様は何をしていたっ!!」


 ラッザロは立ち上がり、家臣の一人に掴みかかる。ザルティオの教育関係について任せていた男だ。


「王国軍の大半はベルミカ派閥に属しているのに、ベルミカ公への抑えになる訳がなかろう! 何故こんな基本的なことも知らんのだ!」


「いえ、一応教育は……教師を付けたはずでして……」


 周辺諸国と異なり、ゼラート王国は中央集権化されていない。王家にそれを通す程の力がなかったのだ。


 他国が中央集権化に成功し強力な国軍を生み出す中、一応ゼラートも王国軍と呼ばれる組織を作った。しかしそれは諸侯の軍を合同訓練しているだけで、王家の軍ではない。


 外国との戦争においては条件付きの指揮権が国王に委任されているが、内戦となれば役には立たない。

 ベルミカ公爵家とその派閥が号令をかければ王国軍の過半は敵に回るのだ。


「何が付けたはずだ!」


 家臣の胸ぐらを掴んだラッザロは、しかし呻き声を零して座り込んでしまう。体調の悪い中で興奮して動けば無理もない。


「国王陛下っ!」


 後ろで控えていた医師が慌てて駆け寄り、体を支える。


「国王陛下をお連れしろ。これ以上は命に関わる」


 国王派の重鎮の一人、ボルノア伯がそう命じる。ラッザロは「話はまだ途中だ」と抵抗するが、思うように身体は動かない。そのまま医師に抱えられ、運び出されてしまう。


 結局、何の成果もないまま会議は終了した。


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