第8話 侍女到着
ベルミカ公爵家の家臣、メルナ・トミニコはネイミスタに向かう船の一室にいた。
与えられた任務はルディーナの安否を確認し、必要な対応を取ること。
万が一に虐待等の被害を受けていた場合は救出しろという意味だ。
フレジェス王国が非道な扱いをする可能性は低いが、それでもゼラートは事実上の敗戦国だ。安心はできない。
部屋の中にはメルナの他にも10人の男女がいた。ベルミカ公爵家で影働きを担う人員で、全員が諜報と戦闘の訓練を受けている。
一同を前にメルナは口を開く。
「数時間後にはネイミスタに到着です。まずルディーナ様の居場所と状況を掴まなくてはなりません。到着後は商会の従業員としての外見を保った上で情報の収集に当たります」
もし実力で救出となった場合、ベルミカ公爵家が実行犯だという証拠は残したくない。
そのためメルナ以外のメンバーはマルバト商会という商会の従業員に偽装する。実在する商会で、商品の香水も本物を積んでいた。
「暫く活動しても情報が得られない場合は、私が公爵家の使者としてフレジェス王国にルディーナ様との面会を申し入れます。ただ公式に接触してしまうと強硬手段が取り難くなる。できれば避けたい」
ルディーナが真っ当に処遇されているならば、公式に動いて何の問題もない。しかしメルナ達は"最悪の場合"の為に動いているのだ。
「日中は偽装身分通り、マルバト商会の従業員として商品の売り込みをして。もちろん売れなくて構わない。営業活動の中で知人を作って。加えて市内を回って土地勘を付けて頂戴」
「メルナさん、試供品として称して
「もちろん構いません。ただ余り不自然にならないようにして」
「了解です」
「夜は酒場巡り。噂に聞き耳を立てつつ、友人を作って。王城に近い位置の店を重点的に」
ルディーナの情報は王城に勤務する人間から聞き出すのが、一番現実的だ。王城関係者とのコネを作る必要がある。
メルナは一旦言葉を切り、部屋のメンバーの中の若い女性二人に顔を向ける。
「カリーナ、マリア。酒場では隙が大きそうな雰囲気を出して。もし情報源になりそうな相手に
二人は「わかりました」と頷く。
「ラック、貴方は顔がいいから、逆に
「了解です。ルディーナ様のためなら刺される覚悟は出来てます」
「ムツィオとニコラは娼館も巡って。口の軽い娼婦がいたら情報源になるかもしれない。王城で働く下っ端が通いそうな店を狙って」
男性二人は「承知」と短く返す。
「私はひとまず新聞を確認してみるわ。ルディーナ様はゼラートとの講和の中で引渡された。何かしらの情報は報道されているかもしれない。あとは臨機応変、以上」
ミーティングを終える。
船は問題なくネイミスタの港に入り、停泊した。
商品の荷下ろしをする他のメンバーとは離れ、メルナは一人歩き出す。長い黒髪を海風が揺らした。
最初はホテルの確保だ。ネイミスタで活動していた商人に聞いて、目星は付けている。目指すのは『ネイミスタ西ホテル』、街の中心に近く、
事前に入手していたネイミスタの地図で場所を再確認し、まず乗り合い馬車で街の中心へ。そこから早足に街を歩き、ホテルに辿り着く。
部屋は空いており、無事にチェックインできた。部屋に入ると、小さな木製のテーブル、ベッドがあるのみ。何の変哲もない部屋だった。殺風景だが、必要十分だ。
一部の荷物を部屋に置いて、ホテルを発つ。
向かうのは図書館だ。そこで過去の新聞を確認する。図書館はホテルから無理なく歩ける距離にあった。
ネイミスタでは一般紙の新聞が日刊紙が3つ、週間紙が5つ発行されている。全て確認するのは大変だが、2、3日通えば終わるだろう。
図書館は巨大だった。貸出しには条件があるが、その場で閲覧するなら誰でも可能だ。一般に開放されているのは蔵書の一部のみとはいえ、大国フレジェスの国力と文化レベルを突き付けられる。
四大列強国に喧嘩を売った
中に入り、新聞のバックナンバーを探す。幸いすぐに見つかった。まずは最大の発行部数を誇る日刊紙『ネイミスタ・アルバ』の束を手に取り、空いている机に向かう。
見出しに目を走らせ、どんどん捲っていく。徐々に目が疲れ、瞬きが多くなってくる。
ゼラートとの戦争についての記事は少なく、あっさりしていた。民衆が戦争を気に留めていないことが紙面から透けて見える。格下で脅威にならないゼラートとの戦いだ。やる気のないゼラート軍の部隊がすぐに降伏するため死者も少なく、羽虫を払った程度の気分なのだろう。
ゼラート側が真っ青だったのとは対照的だ。開戦の報に公爵以下一同で頭を抱えたのをよく覚えている。
『グラバルト皇国、噴火の被害長期化』
『ウルティカ回復を求める声、高まる』
大きな紙面を
捲る。捲る。捲る。
和平協定についての記載は見つけたが、係争地をフレジェス王国領と確定させたこと、賠償金を受け取ることが書かれているのみだ。当然と言えば当然だった。フレジェス王国で報道されれば半月後にはゼラートにも伝わる。『ゼラート王家が屈辱を飲んだ
それでも何か手掛かりがないか、確認を続ける。
「メルナ?」
見出しを斜め読み、紙を捲る。
「メルナ!」
恐らく何の情報もないだろう。徒労感がある。しかし、そもそも情報のあては余りないのだ。やれることはやるしかない。
紙を捲る。
「メルナ! ねぇメルナ!」
「お嬢様! 今は集中してますので後に!……ってお嬢様っ!!」
顔を上げると、ルディーナ本人が目の前にいた。輝くような金髪に、柔らかく深い青い瞳、間違いない。
「メルナ、図書館で大きな声だしちゃ駄目だよ」
「はい。すみません……ご、ご無事ですか?」
「うん。無事だし元気。たぶん心配して来てくれたんだよね。ありがと」
ルディーナの笑顔に影はなく、顔色も良い。安心して良さそうだ。
悲壮な覚悟で始めた情報収集は、約3時間で終わりを告げた。
◇◇ ◆ ◇◇
図書館でメルナを見つけた翌日、私は王城の応接室にいた。部屋の中には私とメルナとクロードさん。
メルナは
「メルナ、こちらはクロード様。ロッシュ・ヴォワール王太子殿下の執事をされているわ」
メルナは恭しく頭を下げる。
「ベルミカ公爵家に仕えるメルナ・トミニコと申します。場を設けていただきましたこと、御礼申し上げます」
「クロードでございます。さ、座りましょう」
「改めて。安心してね、メルナ。フレジェス王家に客人として遇して貰えて、楽しく暮らしているから。郵便が回復したら手紙も出そうと思っていたのだけど。心配かけてごめんね」
「はい。クロード様、我が国の愚行にも関わらずご配慮いただき、感謝の言葉もごさいません」
「いえいえ、歴史あるベルミカ公爵家の御令嬢、当然の扱いでございます」
「その、ルディーナ様の生活にかかる資金についてはベルミカ公爵家で負担させていただければと存じますので」
メルナの言葉にクロードさんはゆっくりと首を横に振る。
「申し出はありがたく。ただルディーナ様は翻訳などの仕事もしていただいておりますし、ヴォワール家が客人とした以上はコチラで負担させていただきます」
「……承知いたしました。御恩は何かしらの形で」
「それで、メルナ殿は今後はどうされますか? ルディーナ殿の侍女として滞在を希望されるなら、そのように取り計らいますが」
「ありがたいお話ですが、良いのですか?」
「はい。元々使用人を連れて来られると思っておりましたし。加えて、実はルディーナ殿に護衛を付けようかと検討していたところでして。失礼ながらメルナ殿は護衛を兼ねていた方では?」
護衛? そんな話があったのか。何でだろう。
……そうか、ロッシュ殿下のスタッフとしてある程度『情報』を持つ立場になったからか。ネイミスタの治安が良いとはいえ、コレッタと二人でふらふらしているのは良くないかもしれない。
そして、メルナは確かに私の侍女兼護衛である。
メルナは少し驚いた顔をして、頷く。
「はい。ご存知でしたか」
「いえ。ただ歩くとき体幹にブレがありませんし、部屋に入ったときの視線の動かし方も訓練された方のソレですので」
「なるほど、流石はヴォワール家に仕える方でいらっしゃる」
「腕が確かで信頼できる女性の護衛となると、余り候補がおりませんで。メルナ殿が務めていただけるなら好都合です」
「私としては願ってもないことです。ルディーナ様もそれでよろしいですか」
「うん。もちろん。コレッタと2人体制になるのかな?」
コレッタさんが外されることはないだろう。彼女は私の監視も兼ねている筈だ。
ロッシュ殿下やクロードさんは私を信頼してくれているだろうが、対外的な面もある。『外国人を王城で好きにさせて良いのか』とか言われたときに『ちゃんと監視してます』と返せるのは大切だ。
「ええ。コレッタも引き続き侍女として付けさせていただきます。メルナ殿の武器の所持について、許可の稟議を上げておきます」
「重ね重ねありがとうございます。それと私の他に10名、フレジェス入りしております。彼らは帰りの船が確保でき次第帰国させますので……平にご容赦願います」
最悪の場合に実力で私を救出するための戦闘要員が10人。下手をすれば外交問題だが、昨日もう私からロッシュ殿下に謝っておいた。
「聞いております。所属と所在が分かっていれば問題ありません。急がずとも観光でもされて行かれれば良いかと」
メルナが「恐れ入ります」と再び深く頭を下げる。
「それでメルナ、ゼラート王国の方はどうなってるの?」
「はい。一連の顛末に旦那様は激怒しております。兵力の一斉引上げをかけた上で廃嫡の要求をするとのことです」
やはり、そうなるか。内戦が避けられると良いのだが……
私は東に顔を向ける。もちろん応接室の壁しか見えないが、その遥か先にゼラートがある筈だ。
お父様やお兄様はどうせ大丈夫だろうが、友人のことは少し心配だった。王都で役人をしているジラルドやその妻のダリアあたりは不安だ。
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