第7話 お仕事スタート
私は仕事をするようになっていた。
ロッシュ殿下には直属のスタッフが10人ほど居て、一つの部署を形成している。私はその部署に付いて、翻訳を中心に文官の真似事をしていた。
さらさらと、ハラルド語の文書を翻訳していく。
ロッシュ殿下は外交や通商関係を国王陛下から任されているようで、私のところに回ってくる書類も外交関係が多い。機密文書ではないとはいえ、私が外交に絡んで良いのか疑問だが、振られた仕事はやるだけだ。
……外交文書を普通に回されるの、私が信用して貰っているのは勿論そうだけど、セラード王国を気に留めてないというのもあるだろうな。
フレジェス王国の注意はオルトリ共和国、トグナ帝国、グラバルト皇国の他の列強3国に向けられている。
「クロードさん、終わりました」
翻訳を終え、クロードさんに持っていく。
「もうですか。本当に仕事がお早い……」
「普通ですよ。事実中心の文章で表現に悩む箇所も少ないですし」
今訳していたのはトグナ帝国で発行された新聞の一部だ。事実と数値がならんでいるだけ、小説の意訳よりサクサク進む。
「今日お願いしたい仕事は今ので終わりでございます。ありがとうございました」
終わってしまったらしい。とはいえもう少しと思う。
「あ、なら数値のチェックやります! ください」
手のひらを広げ、両手をクロードさんに向けて伸ばす。仕事のお
「ちょっと〜ルディーナ様、僕らの仕事残しといてよ〜」
仕事仲間の一人、文官のアルバートさんがおどけた声を上げる。
私もふざけた感じの声で返す。
「アルバートさんはもっと難しい企画の仕事があるじゃないですか。雑務ぐらいくださいよ」
クロードさんが苦笑いしつつ、机の引き出しから書類を取り出した。
「ご無理はなさらないでくださいよ。過労で体調を崩しでもしたら殿下からお叱りを受けてしまう」
「はい。全然無理してないので、大丈夫です」
クロードさんに税収実績表のチェック作業を貰う。各数値の整合性確認作業だ。基本的には作成部門で精査済みなのでチェック不要なのだが、ランダムで一部検証しているそうだ。なので最悪終わらなくても良い気楽な仕事である。終わるけど。
内容的には四則演算を繰り返すだけ、それ程疲れないし、パズルっぽくて楽しい。
ペンを手に計算を進めていく。
「皆様〜お茶淹れましたよー」
コレッタさんが部署の全員にお茶を配ってくれる。私も「ありがとう」と言って受け取り、一口。香味の強い爽やかな味わいが広がる。
部署の人は皆良い人で、素敵な職場だ。働く前の『何もしていない』という引け目もなくなったので、ストレスがない。
セラード王宮での暗鬱とした日々に比べて夢のようだ。
サラサラサラと、計算を続ける。と、小さな引っ掛かりを覚えた。
「クロードさん。この表の中の数値は整合性が取れていますけど、以前見た別資料の数値と違和感が……」
私はクロードさんに許可を得てから書類を引っ張り出す。並べてみると、やはり少し奇妙だ。
「なるほど。後で確認を指示します」
「はい。あと仕事のおかわりを――」
「在庫切れです」
残念だが、仕方ない。しょんぼりしていると、コレッタがクスクス笑いながらお茶のおかわりを入れてくれた。
◇◇ ◆ ◇◇
「しかし、よくコレに気付くな……」
深夜、ロッシュ・ヴォワールの執務室に彼と執事のクロードの2人がいた。
ロッシュの前には2枚の書類が置かれている。王家直轄領ダルゴスの税収資料と魔石算出に関する資料だ。
今日ルディーナが違和感があるとクロードに伝えた書類である。
「ええ。全くです。各数値の相関関係の揺らぎ。一般知識に加え、フレジェス王国の産業等についても理解がなければ見付けられません……外国のご令嬢の筈なのですがね」
ロッシュの言葉にクロードがそう返す。
ルディーナはフレジェス王国の文官の手伝いを始めてまだ二週間足らずだ。ゼラートで高い教育を受けていると言っても、フレジェス王国の国内状況について詳しく教えられている筈がない。あの凄まじい速度の読書で片っ端から知識を吸収しているのだろう。新聞に始まり経済分野の学術書まで読みふけっていたのは知っているが、有機的な知識として理解していたとは。
「理解だけで気付けるとは思えん。才能だろうな」
2つの書類を並べて「何か変な箇所があります、どこでしょう」と聞かれれば気付けるだろうが、数日前に見た書類との違和感に気付くのは至難の業だ。
「ええ。語学堪能などというレベルの人材ではありませんな」
そのとき、ドアがノックされた。外から「アルバートです」との声。ロッシュは短く「入れ」と返す。
ドアが開き、直属の部下の一人が入ってくる。
「確認しました。やはり外貨の動きは
ロッシュはニヤリと笑う。
「ついに尻尾を掴んだな。諜報分野では後手に回っている我が国だが、やっと一撃返せる」
「はい。それで、帰っていいですか?」
しょぼしょぼした目でアルバートが言う。
「ああ、許す。今のうちに寝ておけ」
アルバートが「うへぇ」と言って力なく部屋から去っていく。
「朝になったらルディーナ嬢にも話を聞いてみよう。どこまで見えているかな?」
「案外、全部理解しているかもしれませんね」
クロードが笑って言った。
◇◇ ◆ ◇◇
朝起きると、私はロッシュ殿下の執務室に呼ばれた。
殿下の執務室はいつも仕事をしている部屋の隣の部屋だ。
内装は豪華だが、作りは普通で、殿下用の大きな机と、簡単な打ち合わせのできるテーブルが置いてある。
クロードさんに促され、テーブルの方に腰掛ける。正面にロッシュ殿下、その隣にクロードさんが座った。
何だろうと小首を傾げていると、昨日違和感があると伝えた『税収実績表』が差し出される。ああ、これの事か。
「ルディーナ嬢、まずはよく気付いてくれた。ありがとう。幾つか確認したい。君が違和感を感じた理由から聞かせてくれ」
そう言えば昨日は違和感があるとしか言わなかった。クロードさんならすぐ理解するだろうけれど、はっきり伝えないのは良くない。反省。
「はい。このダルゴス地域の主要産業は魔石の採掘で、他にめぼしい産業はありません。この表自体は整合性が取れていますが、別資料を見ると昨年の魔石採掘量は余り良くない。にも関わらず、税収の減少が限定的です」
ダルゴスは魔石の収益が鉱山運営の幹部から鉱夫まで、広く関係者に流れ、そのお金が更に商人などに流れていく経済構造だ。しかし同地域で活動する商人や輸送業者の収益が下がっていない。結果税収も概ね維持されていた。
魔石の産出量が減ればもっと経済が冷え込む筈である。
「流石だな。
「単なる予想ですが……トグナ帝国への魔石密輸出かなと」
私の答えに、ロッシュ殿下がポカンとした顔をしている。何か変なことを言ってしまっただろうか。
……ロッシュ殿下のポカンとした顔、少し可愛いな。
「……予想した理由を聞いてもいいか?」
殿下の様子は気になるが、素直に答えるしかない。
「経済状況が変わっていないという事はダルゴス地域へのお金の流入が減っていないという事です。魔石に代わる産業の発展もない以上、実は魔石産出は減っておらず、非合法に売られたと考えるのが素直かなと」
「買い主がトグナだと思うのは?」
「戦略物資である魔石の密輸出は重罪です。リスクに見合う利益がなければやらないでしょう。輸送費用まで含めれば相当に高コストになります。そこまでして魔石を手に入れたいのはトグナ帝国ぐらいです。あそこは石炭式蒸気機関の技術で遅れている上に、グラバルト皇国との対立が深刻ですから」
ロッシュ殿下が「フフッ」と笑った。
「えっと、変なこと言っちゃいましたか?」
「いや、昨夜我々が2時間検討した上での結論と同じなことに驚いているだけだ」
「そうだ、外貨の両替の数値も確認した方が良いと思います。確か違和感のない数字だったと思うんですよね。改竄されてるかもしれません」
フレジェス王国とトグナ帝国の貿易は極めて少ない。まとまった密輸があれば、影響が出るはずだ。他の通貨を迂回されていれば少し面倒だが……
「ああ。実は外貨についてはアルバートが深夜までかけてチェックした。改竄されている可能性が高い。フレジェスの行政に入り込んだスパイの尻尾も掴めそうだ」
既に終わっていた、流石はロッシュ殿下である。そしてアルバートさんお疲れ様です。
「改めてありがとう。この件は捜査院と査察部に投げる。確証が得られ次第
「はい。もちろんです」
役に立てたようで、よかった、よかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます