第6話 合格らしい
「こんばんは。変わりはないか?」
「お陰様で、楽しく暮らさせていただいております」
部屋を尋ねて来てくれたロッシュ殿下に、深く礼をしてから答える。
社交辞令とかではなく、フレジェスでの生活は本当に楽しい。殿下が発行してくれた許可証のお陰で図書館のあらゆる書物、資料にアクセスし放題なのだ。本を借りる冊数も無制限。ネイミスタ中央図書館はその名に恥じぬ充実っぷりで、夢のようだ。
「図書館に毎日行っていると聞いてはいたが、凄い量だな」
机に積まれた本の山を見て、殿下は驚いた声で言う。
「つい沢山借りてしまって……でも1日で返しているので、他の人が読めなくて困ることはそこまでない筈です」
「1日? この量じゃ読み切れないだろう、気にせず何日か借りておけばいいと思うが」
「殿下、それがルディーナ様はこれ1日で読んでしまうんですよ。ページを捲るペースが余りに早いので私、最初は乱丁落丁のチェックしているのかと思いました」
「1日でこれを……ルディーナ嬢、何か無理してないか?」
「いえ、大丈夫です。昔から本を読むのは早くって」
「文字を何文字も組み合わせて1字に認識して高速で文章を読み込む、そんな技術を聞いたことがあるが、それかな。先王の時代に図書館を増築しておいて良かったな。読み尽くされるところだった」
ロッシュ殿下が笑って言う。
うん。この方の笑顔は本当に素晴らしい。ずっと見ていたいぐらい綺麗で、それでいてホッとする。芸術品として美術館に飾るべきだと思う。
「流石はフレジェス王国です。セラードの王立図書館の規模なんて、ネイミスタ中央図書館の10分の1ですよ。古い本ばかりですし」
まぁ、ベルミカ公爵領の図書館なら10分の2ぐらいはあるのだが、いずれにしても圧倒的だ。
「喜んでくれて何よりだ。それで、試しに翻訳してくれた文章だが」
「はい。合ってましたか?」
「ああ、完璧だった」
よし合格、ならば仕事ができそうだ。良くして貰っている恩を少しでも返したい。
「ありがとうございます」
「あと一緒に見せて貰った小説の翻訳だが――」
えっ! あれ殿下も読んだの?
クロードさんから見たいと言われて渡したが……遊びで書いたし、内容は若い女性向けの恋愛小説だ。
歯の浮くようなセリフや大仰な愛情表現が満載で、殿下に見せるようなものではない。
「あ、あれは人に見せるつもりで書いていないので、はい」
「いや、素晴らしかった。平易な言葉を連ねて、リズム良く、見事に情景を表していた」
「あ、ありがとうございます」
ガッツリ読まれてた。恥ずかしい。たぶん今、私の顔は赤くなっている。
「ま、何にせよ無理はしないでくれよ。生活環境の急激な変化はそれ自体がストレスらしいからな。それで、どんな本を読んでいたんだ?」
「色々ですけど、さっきはこの手記を……」
「ああ、それか。一部大袈裟な表現はあるにせよ、実話なのが凄い」
殿下も知っている本だったようで、その話題で盛り上がる。そこを発端に話題はあちこちに転がり、尽きない。
殿下は穏やかで知的で、心地よかった。
本当に誰かとは違いすぎる。
◇◇ ◆ ◇◇
ゼラート王宮の大広間では夜会が開かれていた。きらびやかな衣装に身を包んだ貴族たちが、酒やダンスを楽しんでいる。ただ、会場の広さに比べるとやや参加人数は少なく、若い貴族の比率が多い。
会場に主催者である王太子ザルティオ・ゼラートがゆっくりと歩み入る。彼の傍らには紫色のドレスに身を包んだ小柄な少女が一人いた。
「ザルティオ様、こうして夜会でご一緒できるの、夢のようですわ」
少女はそう言って、緩くウェーブのかかった金髪を揺らし、ザルティオにしなだれかかる。体型に不釣り合いな大きな胸がザルティオの背中に押し付けられた。
「ふっ。エミリー、お前は可愛いな。どこぞのアホとは比べることもできん」
ザルティオは少女、子爵令嬢エミリー・ブランダの腰に手を回す。
「ふふっ。お邪魔虫を遠くへやってくれて、ありがとうございます。殿下」
エミリーとはずっと恋仲だったが、ルディーナとの婚約のせいで公然と寄り添う訳にはいかなかった。だがもう気にする必要はない。
会場の中心に置かれた大理石の台に上がり、ザルティオが声を張り上げる。
「本日集まってくれた皆、王太子ザルティオ・ゼラートである。今日は正式な婚約はまだだが、いずれ王太子妃となるであろう人物を紹介させてもらう。エミリーだ」
エミリーがスカートの裾を摘まみ一礼すると、参加者から一斉に拍手が上がる。
「さ、今日はお前が主役だ。存分に楽しめ」
ザルティオの言葉にエミリーは「嬉しい」と甘い声色の囁きを返す。
そこに一人の青年が歩み寄り、頭を下げた。
「ザルティオ殿下、本当にお似合いでございます。ルディーナ殿との婚約破棄、喜ばしいことです」
「うむ。ボルノア卿、貴殿の貢献に感謝するぞ」
「ありがとうございます。されど私は雑務をお手伝いしたのみ。殿下なら私が何もしなくとも、あのような王妃に相応しくない人間は排除されていたことでしょう」
「かもしれんが、今日この時にエミリーと共に居られるのは貴殿のお陰だ」
青年は「もったいないお言葉です」と深く頭を下げ、去っていく。
入れ代りに別の男性がザルティオの前に来て、礼をする。
「本日のお披露目おめでとうございます。殿下にかかればフレジェス王国も駒に過ぎませんな。外国を利用して国内を整理する、見事なご手腕に惚れ惚れ致します」
「あまり言うなパルモン、一応秘密だぞ?」
「はは、失礼いたしました。改めて、おめでとうございます」
そんな調子で次々と夜会の参加者がザルティオの前を訪れ、挨拶をしていく。
しかし程なく、人は途切れる。参加者がそう多くないので当然だった。今回の夜会に参加しているのは国王派の貴族だけ。しかも多くは爵位を継ぐ前の次世代の人間だ。
「ふむ。告知期間が短かったから仕方ないが、少し人が少ないな。折角の機会にすまんなエミリー」
「とんでもございません。私、わがままは言いませんわ」
エミリーの言葉にザルティオは満足気に頷く。
身勝手なことばかり言うルディーナとは大違いだとザルティオは思った。僅かに潤んだ目で見上げてくるのも可愛い。
「おい、一番良い酒を。エミリーにもだ」
ザルティオは使用人に命じ、ワインを持ってこさせる。受け取ったグラスをぐっと傾け、飲む。
「エミリー、お前も飲むといい。高級な酒だ」
「はい。ああ、でも弱いので、ワインをいただくと帰りの馬車が辛いですわ」
体をくねらせ、エミリーが言う。
「帰らなければいいだけだ。そうだろう?」
「はい。殿下」
エミリーは杯を傾け、ザルティオがいやらしく笑った。
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