第70話 美女と野獣(上)
ワーウルフのジョナスは悩んでいた。
それはもう、傍からみても一目瞭然というほどに悩んでいた。
ジョナスは俺――つまりは世界樹の――根本をいったりきたり。落ち着かないようすだ。
「ああああ世界樹様ぁ……! どうか俺に力を……! 俺に勇気をお与えください……!」
いったい何事かと、思うが、俺には心当たりがあるぞ……!
これは、恋煩いだな……。
しかも、叶わない片思いのやつだ。相手はかなりの高嶺の花だな。
なぜそんなことが俺にわかるのか――それは、まるで大学時代の俺を見ているようだったからだ。
大学時代、俺は同じ大学の黒髪の乙女――楓霞に恋をした。あれは一目ぼれだった。はじめの大学での自己紹介のあと、俺はすっかり彼女に惚れてしまった。楓霞――そう、俺が死ぬ原因となったあの事件。俺がコンビニ強盗から守って死んだ女性である。
まあ、のちの女神の発言から、俺があそこでなにかをしなくても、彼女の生死にかかわりがなかったことを知るのだが……。
そんな俺と楓霞との接点は、同じ学部であるという以外ほぼ皆無。大学の4年間、俺は彼女に話しかけることすらできずに、ただ遠目に追いかけるだけしかできなかった。
しかし、俺の中では日々紋々と、変なナルシシズムと病気的な妄想がエスカレートしていたのである。
ジョナスの今のようすは、まさにあの、男汁を額から流していた鬱屈とした日々を彷彿させるものである。
俺にはジョナスの感情が、手に取るようにわかった。
そうだよなぁ……なにもできなくて、そしてなにもできない自分に嫌気がさして、だけど、話しかけるなんてとんでもない。怖くてなにもできないんだよなぁ。俺はなんども、妄想の中で彼女に話しかけた。
しかし、成功するビジョンは一向に浮かばない。
俺は手も足もでなかった。
だが、ジョナスには俺と同じ轍を踏んでほしくない。男なら、当たってくだけろだ。
世界樹の身体を手に入れて、俺は気まで大きくなったのか――木だけに――今の俺なら、楓さんに話しかけることができたような気がする。
俺はジョナスに、助言をくれてやることにした。
通訳のエルフに頼んで、俺はジョナスに話しかける。
『どうしたんだジョナス。いや、俺にはわかるぞ。みなまでいうな。お前、恋をしているのだろう?ちがうか?』
「セカイ様……! ど、どうしれそれを……!? そうです、たしかに私は、お恥ずかしながら恋をしているのです……」
『恥ずべきことなど、なにもないさ。それは自然な感情だ。なにも悩むことはない。思い切って、意中の女性に話しかければいいだろう』
俺は、自分自身が話しかけることすらできなかったことなんて棚に上げて、まるで神様にでもなったかのように、偉そうに助言する。俺なんか目すら合わせることもできなかったのにな。
だけど、今の俺は世界樹だ。ジョナスは世界樹を絶対的に信仰している。そんな俺からの言葉なら、きっとジョナスの勇気となるだろう。
ジョナスには、俺と同じような目――つまり、なにも行動できずに、憐れに勝手に失恋する――にはあってほしくない。だから、俺は自分のことなんかいくらでも棚に上げて、言う。
『ジョナスよ、その女性に告白するのだ!』
「で、ですが……そう簡単にはいかないのです……」
ジョナスはうつむいて、深刻な顔を見せる。
もしかしてこれは、なにかわけありなのか……?
相手はただの高嶺の花だというわけでもなさそうだ。
既婚者、あるいは相手が男だという可能性もありえるな……?
『なんでもいい、話してみろ』
「それが……相手は、ワーウルフではないのです」
『となると……ゴブリン……?』
いや、相手がゴブリンであれば、なにも思い悩む必要はない。今ではワーウルフとゴブリンでの結婚は普通にあることだ。たしかに多少のハードルはあるものの、不可能ではない。
だとしたら、相手は最近やってきた獣人の女の子とかかな?
ジョナスが思い悩むようになったのは、ここ最近のことだ。
そうだ、きっとそうに違いない。
『獣人の女の子か……?だとしたら、問題はないだろう』
獣人は、どちらかといえば、人間に近いが、ワーウルフともかなりの近隣種だ。
獣人とワーウルフの混血もきいたことがないわけじゃない。
「それが……もっと遠い種です……」
『スライム……?』
いや、スライムは無性生殖だ。そもそも恋愛とかするのか?
「いえ……」
『どういうことなんだ?言ってみろ』
「それが……相手は人間の女性なのです」
『まじか……』
たしかに、ワーウルフと人間というのはあまりきいたことがないな……。
人間の女性で、ワーウルフと付き合いたいって人はいるのか……?
亜人種同士での混血は、近隣種であれば珍しいことではない。
だけど、人間と獣人との交配は、獣姦とされるほど、禁忌とされていた。
人間種族は特別な種族という意識がなんとなくあり、この世界の人々にとって、人間と多種族との交配は、あまり一般的ではないことだった。
『でも……好きな気持ちはあるんだろう?』
「もちろんです。あれは……一目ぼれでした……。あんな美しい女性はみたことがありません」
『うん、その気持ち、わかるなぁ……』
ジョナスの意中の相手はジュリアという名前らしかった。
ジュリアはグリエンダ帝国に住んでいる20代の女性で、医療関係の仕事をしているそうだ。
ジョナスが街にいったさいに、たまたま見かけて、惚れてしまったのだという。
俺は情報を頼りに、ジュリアのことを観察しに行った。
どうやらジュリアは未婚らしく、決まった相手もいないらしい。
俺の目から見ても、たしかに美人の女性だった。
物事に偏見などなさそうで、聡明な印象を受ける。
医療関係者ということもあって、慈悲深く思いやりがあって優しそうだ。
『どうやらジュリアは恋人がいないようだぞ。しかも、絶賛募集中みたいだ』
「ほんとうですか……! それはどうやって……?」
『ちょっと酒場でききこみをしてきた』
「あ、ありがとうございます!さすがはセカイ様です」
『デズモンド帝国の女性だったら、ともかく、相手はグリエンダ帝国の女性だ。きっとワーウルフのお前でも受け入れてくれるさ』
「そうだといいのですが……」
デズモンド帝国の人間の場合は、まだまだ亜人に対する差別が酷い。しかし、グリエンダ帝国の女性なら、そういった差別や偏見もないだろう。
だが、それにしても、人間とワーウルフという組み合わせはきいたことがないのも事実だ。
これは、いちかばちかの賭けになる。
『さあ、ジョナス。お前ならできる!ジュリアを食事に誘うんだ!』
「はい!俺、頑張っていってきます!」
『その意気だ!』
俺は当日、枝を伸ばして、ジョナスの後ろからついていくことにした。ジュリアへのデート打診のようすをうかがうのだ。もし成功したら、デートの当日も見にいってやろう。
ジュリアの家までやってきたジョナスは、花束を持って、恐る恐る扉をノックした。
「はい、どなた……? あら、ワーウルフの……」
「お、おれ! ジョナスっていいます。ユグドラシル王国に住んでいます」
「ユグドラシル王国のジョナスさんですね。どうも」
「これ、受け取ってください!」
「あら、綺麗なお花。私のために?ありがとうございます」
これはどうやら好感触だぞ。ジュリアは笑顔でジョナスを迎えた。
ジュリアの反応からしても、ワーウルフに対する嫌悪はなさそうだ。
「お、俺と一度食事にいってくれませんか?俺がおごるので!」
「お食事のお誘いですか……。ありがとうございます。もちろん、私でよろしければ」
「ほ、ほんとうですか! ありがとうございます!」
やった!デートのOKをもらえたようだぞ。
これは幸先いいスタートじゃないのか?
戻ってきたジョナスは、なんども俺の根本で頭を下げてお礼を言った。
「ありがとうございます、ありがとうございます。さすがはセカイ様です。ほんと、全部もうセカイ様のおかげです!俺が今こうして生きていられるのも、セカイ様が生き返らせてくれたおかげですし……。セカイ様のおかげで、ジュリアをデートにさそうことができました!」
『それはよかったなぁ……。俺もうれしいよ』
正直、俺はちょっとだけ、ジョナスを羨ましいと思っていた。嫉妬心がないと言えば、嘘になる。
大学時代、俺は楓さんに一言たりと話しかけることができずに、俺の恋は終わりを迎えた。
しかし、ジョナスはこうして勇気を出して、女性をデートにさそうことに成功したのだ。
行動したものと、行動しなかったもの。俺は、行動できなかった。
ジョナスの勇気には称賛を送るし、うれしくも思う。だけど、それと同時に、俺は過去の自分を呪い、嫌悪する気持ちもあった。俺も、あのときジョナスみたいに行動できていれば、なにかが違っただろうか。
勇気をもって行動したジョナスを、俺は男前だと思った。
俺にはできなかったことだ。
チクショウ、幸せものめ!
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