─28─開戦
日が昇った。
両軍から鏑矢が放たれ、甲高い音が響く。
突撃を告げる角笛が吹き鳴らされる。
どちらからともなく、弓兵隊が矢を射掛け始める。
じりじりと両軍は、互いの距離を詰める。
漆黒の部隊は、獲物に群がる蟻の様に蒼の隊を取り囲もうとする。
予想されていたにも関わらず、何もなす術が無い。
立ち尽くすミレダは、唇を固く結んだまま戦況を見つめている。
その表情は、まるで涙をこらえているようでもあった。
同じくユノーも、何かこちらに有利な事はないかと、刻々と変わる戦況を見つめていたが、その視界の端にある物をとらえた。
他でもない、ミレダから皇都に戻るよう言い渡された朱の隊だった。
ミレダの命に反してこの地に留まっていた彼らは、戦場を迂回すると右手側面からイング隊に突っ込んで行った。
「殿下、朱の隊が……」
驚いたユノーが声を上げる。
圧倒的に不利な中に突如として現れた援軍に、蒼の隊は勢いを盛り返したかに見える。
けれど、ミレダの表情は変わらない。
「殿下……?」
「馬鹿なことを……自殺行為だというのがわからないのか……」
絞り出すようにミレダはつぶやく。
そう、彼女同様、皇都の守備を生業とする朱の隊には実戦の経験が無い。
いわば初陣部隊と言っても良い。
予想外の急襲を受けて、瞬間敵の統率を乱すことはできるかもしれない。
けれど、一度『殺意の暴走』が生じ混乱に陥れば、戦況を好転させるどころか悪化させかねない。
「伝令、蒼の隊……シグマに伝えよ。分隊を気にせず、頃合いを見て退けと」
思わずユノーはミレダの顔を見つめる。
果たしてそこには苦渋の表情が浮かんでいた。
無理もない。
自らの直属部隊を見殺しにしろと命じたに等しいのだから。
「本当によろしいのですか? 朱の隊は……」
「命令に違反した部隊に構ってる余裕は無い。私の責務は蒼の隊を率い、一人でも多く皇都に返すことだ」
非情な決断だった。
けれど、ミレダの選択は人道的には非難されこそすれ、人の上に立つ者としては最良のものだったのかもしれない。
その内心の葛藤をおもんばかって、伝令は深々と一礼すると命令を伝えるべく走り去る。
悔しそうに両の拳を握りしめるミレダに、ユノーはかけるべき言葉を持たなかった。
もし自分が同じ立場に置かれたら、この決断ができるだろうか、とユノーは自問する。
が、その時だった。
周囲の空気が変わった気がする。
紛れもなくそれは、戦場に流れる殺気をはらんだものだ。
反射的にユノーは剣を抜き構えつつ、注意深く辺りの様子をうかがう。
「どうした、ロンダード卿、一体……」
ミレダが言い終えるよりも早く、ユノーは剣を一閃させる。
と、黒い矢羽の矢が数本、地面に落ちた。
それを見たミレダの顔がわずかにこわばる。
「小官から離れないでください! 殿下は命に替えてもお守りします」
その叫びは、常のユノーからは思いもよらない鋭い語調だった。
そのまま剣を構え、ユノーはミレダの前に立つ。
だが、その身体は恐怖からか小刻みに震えているようでもある。
必死な様相の新米騎士を嘲笑うかのように、どこからともなく漆黒の甲冑をまとった兵士たちが姿を現す。
いずれもユノーなど足元にも及ばぬほど死地をくぐり抜けてきた歴戦の猛者であることは間違いない。
控えていたミレダの侍従達も剣を抜き応戦の構えを見せるが、明らかに腰が引けている。
自分一人ででも、守り抜かなければ。
そんなユノーの内心をよそに、黒衣の集団は間合いをつめ包囲網をせばめてくる。
辺りの空気は、痛いほど張り詰める。
それを破ったのは、相手の方だった。
勢い良く突っ込んできた敵に、ユノーは剣を叩き込む。
ぐしゃり、という嫌な感触と共に、生暖かい返り血が彼の頬を濡らす。
初めて人を手にかけた瞬間、こみ上げてきた嘔吐感を飲み込む。
大地に剣を突き立てへたり込みたくなるのを、無理矢理に奮いたたせる。
痛いほどの殺意を跳ね返すべく、ユノーは次の敵に剣を向ける。
が、背後からも殺意を感じ振り返る。
「……殿下っ!」
すでに敵は、両者を取り囲んでいた。
総大将であるミレダにも、敵が群がっている。
「私に構うなっ!」
叫ぶと同時に、ミレダは剣を薙いだ。
だが、女性の力では分厚い甲冑に包まれた人の身体に致命傷を与えるのは、不可能だった。
「殿下っ!」
再びユノーは叫ぶ。
が、いつの間にか両者の間には距離ができていた。
ミレダの背後で敵が剣を振り下ろそうとした、まさにその時だった。
ユノーのすぐ脇を、何かがすり抜けた。
「ぐはぁ!」
嫌な声を上げて、ミレダを仕留めようとしていた敵は崩れ落ちる。
その首には、鈍く光る短剣が突き刺さっていた。
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