─26─前哨戦
闇の中に紛れるように、漆黒の一団の行軍が行われている。
他でもなく、目前の敵……蒼の隊に夜襲を仕掛けるためである。
これは、ロンドベルト直々の命令ではなく、イング隊参謀の独断である。
出兵前、良かれと思ってとった行動がロンドベルトの逆鱗に触れてしまった。
そう理解していた参謀は、名誉挽回の機会を狙っていた。
どうにかして、信頼を得たい。
そのためには、何か勲功をあげなければ。
できれば、本隊が到着する前に勝敗を決しておきたい。
そんな焦りにも似た感情から、参謀はロンドベルトの指示を仰ぐことなく作戦を決行した。
圧倒的に有利な戦況が、参謀の思考を惑わせていたのかもしれない。
息を殺して進軍すること、しばし。
遂に前方に、敵本陣に焚かれるかがり火が見えた。
参謀は右手を高々と上げると、敵陣に向けて振り下ろす。
それを合図に、闇の中を無数の火矢が飛ぶ。
大地に突き刺さった火矢から燃え移り、前方の草むらに火の手が上がる。
それを見計らって、騎馬隊が攻撃を仕掛けるべく敵陣目指して駆け込んで行く。
数の上でも、そして恐らく士気においてもこちらが上だ。
赤子の手をひねるように勝利は転がり込んで来るだろう。
そう確信し、参謀は自らも抜剣し敵陣へと向かう。
だが、そんな彼の目に写ったものは、戸惑い右往左往する自軍の姿だった。
そう、敵本陣には人っ子一人いなかったのである。
「参謀、これは一体……」
「よもや、我らに恐れをなして、戦わずして逃げたのか?」
「何が常勝軍団だ。とんだ腰抜けじゃないか」
軽口が叩かれ、どっと笑い声が上がる。
張り詰めていた緊張感が、緩んでいく。
そんな時だった。
突如として、鬨の声が上がった。
「何……?」
慌てて剣を構え直すが、既に遅かった。
左右から無数の矢が射掛けられると同時に、軍勢がなだれ込んでくる。
参謀は急いで陣形を立て直そうとするが、食らいついてくる敵軍は確実にこちらの隊列を崩し、分断していく。
形勢は完全に逆転した。
既に戦意を失った奇襲隊は、散り散りとなる。
背後で勝鬨の声が上がる。
参謀は浅はかな自らを恥じたが、遅きに逸した。
ともかく、これ以上戦力を減らすわけにはいかない。
何とか隊列を再編すると、奇襲隊はほうほうの体で逃げ帰って行った。
※
昼間たたずんでいたかつての城壁の上で、ミレダとユノーは戦況を見つめていた。
もっとも闇の中で行われている戦闘なので、どちらがどうなっているのかは判然とはしない。
当初、二人は自らも戦闘に加わると主張したが、シグマを始めとする蒼の隊の古参がそれを固辞した。
前哨戦の前にわざわざこちらの本丸を陣頭に立てるまでもない、そう言われて両者は渋々退避していたのである。
無論それは、万一を考えての申し出なのは明らかだ。
ユノーは自らの至らなさを痛感したが、同じくミレダも憤りを感じているのだろう。
固く唇を結び、戦況を見やるミレダになんと声をかけようかとユノーが思案していた時だった。
不意に至近から、人の気配を感じた。
現れたのは、一人の斥候だった。
「戦況は?」
ミレダが簡潔に問う。
戻ってきた答えは、果たして予想以上のものだった。
「敵軍の撃退に成功しました。追撃はいかがしますか?」
けれど、ユノーは首を左右に振った。
「下手をすれば、返り討ちにあうでしょう。深追いを避け、早めに撤収させてください」
承知、と言い残し、斥候は闇の中へと姿を消す。
大きく息をつき、額の汗を拭うユノーの背を、ミレダは二、三度叩いた。
「やるじゃないか。なぜ敵が討って出るとわかったんだ?」
「たまたまです。初陣の時司令官殿が、夜襲は相手も警戒している、と。なので、もしかしたら向こうが、と思ったんです」
「……なるほど、あいつの考えそうなことだな」
言いながらミレダは微笑を浮かべる。
だが、すぐそれをおさめると、改めてユノーに向き直る。
「とりあえず第一関門は突破だな。しかし……」
その言葉に、ユノーは神妙な面持ちでうなずく。
「はい。これで死神を怒らせたのは間違いないでしょう。恐らく本隊は全力で攻めてくるかと」
今度はこのような小細工は通用しない。
圧倒的に優位な戦力をもって、正面からこちらを叩き潰しに来るだろう。
ミレダは、長い髪をかき上げながらつぶやいた。
「一難去ってまた一難か。しかも次は避けようがない」
「申し訳ありません。小官に少しでも用兵の知識があれば……」
「貴官の責任じゃない。もとはと言えば、断りもなく出ていっていつまでも戻ってこないあいつが悪い」
冗談とも本気とも取れるミレダの言葉に毒気を抜かれたのか、ユノーは数度瞬いた。
そんなユノーの様子に、ミレダは再び微笑を浮かべる。
「そろそろ戻るとしよう。次の作戦を考えるなり、体を休めるなりしないとな」
言いながら歩き出すミレダを、ユノーはあわてて追う。
空が白み始めるまで、まだ幾ばくかの時間が残っていた。
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