─32─死神と勇者

「孤児……と、あの御仁は確かに言ったのかな?」


 黒玻璃の瞳を向けられたヘラは、短いとび色の髪を揺らしながらうなずく。


「はい。師団長殿にそう告げられたとか。それともう一つ、妙なことを」


「妙なこと?」


「ルウツに親を殺された、と……」


 そうか、とつぶやきながらロンドベルトは目を閉じる。

 脳裏に浮かぶのは他でもなく、一面血に染まる家族団欒の間。

 床に倒れ伏す男女と突き立てられた短剣。

 そして、剣を向けられ、微動だにできずに立ち尽くす少年の姿だった。

 今も消えることがない鮮明な画像。

 それを記憶の底に押しとどめ、ロンドベルトは問うた。


「それで、あの御仁の様態は?」


「かなり回復し、司祭館の書庫で一日の大半を過ごしているとのことですが」


 なるほど、と言ってロンドベルトはおもむろに立ち上がる。

 どちらへ、と尋ねる副官に向かい彼はわずかに笑って見せた。


「平癒のお祝いでもと。お迎えしたにも関わらず挨拶の一つもなくては、無礼この上ない」


「ですが、師団長殿からの許可はまだ……」


「お顔を拝見しに行くだけだ。尋問しようという訳ではない。問題は無いだろう」


 不安げなヘラにもう一度笑って見せてから、ロンドベルトは漆黒のマントを翻し司祭館へと向かった。


     ※


 司祭館に足を一歩踏み入れるなりすれ違った若い神官にお客人はどこかと尋ねると、屋上へ上っていくのを見かけたとの返事が返ってきた。

 軽く片手を上げて謝意を示すと、ロンドベルトは階段へと向かい、昇ることしばし。

 視界が開けた先には、丘一面を埋め尽くす墓碑の群れをみつめる敵国の神官の姿があった。

 真っ白な墓碑の群れは、初めて見る者には奇妙な威圧感を与えていることだろう。

 この地に赴いた当初抱いた感情を思い出しながら、ロンドベルトはセピアの髪を風に揺らす敵国の神官に向けて語りかけた。


「戦で家族を失った者が、せめて死後は聖地へとの願いを込めてこの地に墓を建てるのです。驚かれましたか? 『無紋の勇者』殿」


 その声に応じるかのようにシエル、否、シーリアスはゆっくりと振り返った。

 顔は無表情を保っているが、藍色の瞳には言い難い光が宿っている。

 その様子を確認し、ロンドベルトは自らの読みが当たっていたことを理解して、わずかに笑みを浮かべる。


「……俺が何者か、それをご存知の上で?」


 固い声で問われ、ロンドベルトは首を左右に振る。

 戸惑ったようなシーリアスに向かい、ロンドベルトは続けた。


「いいえ。それは二の次です。私はあることを確かめたかった。それだけです」


「……確かめる?」


 首をかしげるシーリアス。

 大股に一歩足を踏み出すと、ロンドベルトは思わず身構えるシーリアスと肩を並べた。


「私は光を持ちません。が、幸か不幸か神官になり得る『力』に恵まれ、あらゆる物を見ることができます。かつては国境をも越えて、それこそ何もかもつぶさに」


 一度言葉を切って、ロンドベルトは視点をシーリアスに転じた。

 無言でこちらを見つめてくる視線を感じながら、ロンドベルトは言葉を継ぐ。


「幼い頃、私はルウツに根ざした『草』の動向を軍の命令で『見て』いました。そして草刈りの現場に遭遇しました。そこには……」


 再びロンドベルトは言葉を切る。

 果たしてシーリアスの顔は、紙のように白くなっていた。

 反応を確認してから、ロンドベルトはさらに続ける。


「そこには、セピアの髪をした、私と同い年くらいの少年がいたのです。それはまるで……」


「……お察しの通り、俺は間者の子だ。けれど、俺はエドナを知らないし、なんとも思っていない」


 低いつぶやきに、ロンドベルトは口をつぐんだ。

 と、おもむろにシーリアスは長衣に手をかける。

 むき出しになった上半身には、無数の古傷が刻まれている。

 これは一体、とロンドベルトが目を細めると、周囲の様子は一変した。

 薄暗い部屋の中、重い枷をはめられ天井から釣り下ろされる少年。

 薄ら笑いを浮かべながらそれを取り囲む男達は、手にしている棍棒で、鞭で、焼けた鉄棒でその身体を打ち据える。

 やがて少年が悲鳴すら上げられなくなった頃、下卑た笑い声が室内に響く。

 その凄惨な光景に、ロンドベルトは思わず顔をしかめた。


「あなたになら見えるだろう? ていのいい玩具だ。父と母はルウツに殺され、遺された俺に手を差し伸べたのは、ルウツでもエドナでもなかった」


 その手には、護符がしっかりと握られていた。

 しばしロンドベルトはその様子を見つめていたが、突然身にまとっていた漆黒のマントをシーリアスの肩にかけた。


「ここは北の端。最果ての地です。そのような格好では、お風邪を召しますよ」


 くれぐれもご自愛くださいと言い残し、ロンドベルトは踵を返した。

 あわててシーリアスは顔を上げ、叫ぶ。


「将軍閣下! どうしてあの場俺をで殺さなかった? あなたは一体……」


 足を止め、ロンドベルトは肩越しに振り返る。


「私は、自分の瞳が真実を写していたのか確かめたかっただけです。あと、欲を言うと……」


 戸惑いの表情を浮かべるシーリアスに、ロンドベルトは笑った。


「欲を言うと、あなたに黒衣に袖を通していただきたい。そう思ったからでしょうか」


 では、と言い残してロンドベルトは屋内に消えた。

 残されたシーリアスは、いつまでも丘陵を埋める墓碑を見つめていた。



 大陸歴一四八年の冬は、深まりつつあった。


     夜想曲 完

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