─30─父子

 暖かな光が優しく自分を包み込んでいる。

 死後の世界という物が存在するとしたら、このような所なのだろうか。

 そんなことをぼんやりと考えながら、シエルは目を開いた。

 そこは、暖炉のある小さな部屋だった。

 一体何が起きたのか理解できず、彼は自分が置かれた状況をまじまじと見つめた。

 肩口の矢傷には真っ白な包帯がきっちりと巻かれ、わずかに薬草の香りがする。

 身にまとっていたのは真新しい夜着で、横たわっているのは柔らかな寝台。

 無論身体は清められている。

 窓には緋色の垂れ絹カーテンが引かれ、燭台のロウソクが室内を明るく照らしている。

 慌てて半身を起こそうとした時だった。

 聞き慣れぬ老人の声が、前触れもなく耳に飛び込んでくる。


「気が付いたかの? まだ動かれんほうが良い。傷口が開くからの」


 視線を転じると、横たえられている寝台の脇に一人の老神官が座っていた。

 醸し出す雰囲気から察するに、位の高い神官なのだろう。

 のぞき込んでくる慈悲深い眼差しに、シエルはおとなしく起きあがるのを止めた。


「お前様も、神官とな? ここがどこだかわかるかの?」


 ゆっくりとシエルはかぶりを振る。

 やれやれと言うように老神官は続ける。


「ここはアレンタ。エドナ最果ての地だ。死神が治める死者の街と言えばわかるかの?」


「アレンタ……? では、聖地は?」


「すぐそこじゃ。お前様は、巡礼者かの?」


 答えようとした時、扉を叩く音が室内に響く。

 ややあって扉が開き、現れたのは他でもなく、命の価値に重い軽いは無いと言ったあの神官騎士だった。


「気付かれたのですか、アルトール殿? 本当に良かった」


 心底安心したようなアルバート。

 が、シエルはさらに首をひねった。


「失礼ながら何故俺の名を……? 一体これは……」


「申し遅れました。自分は神官騎士団アレンタ方面駐留師団長、アルバート・サルコウと申します。こちらは父……アレンタの主任司祭です」


 通行証とお荷物を失礼ながら拝見しました、そう言いながらアルバートは背負っていた鞄を机の上に置く。

 一方シエルは藍色の瞳で父子をみつめた。

 黒髪の主任司祭に、薄茶色の髪のアルバート、両者はどう見ても似ているとは言い難い。

 何か言おうとする主任司祭に目配せしてから、アルバートは穏やかな面差しそのままの口調で続ける。


「とにかく今はゆっくりお休み下さい。貴方にはそれが一番必要です。何かご入り用な物があれば、可能な限り用意しますが」


 向けられる水色の瞳は、どこまでも澄んでいる。

 それを真正面から受け止めかねて、シエルは思わず視線をそらした。

 その様子に、アルバートは不安げに眉根を寄せる。


「いかがしましたか? お加減でも優れませんか?」


「いいえ……。では、一つだけお願いが。邪気よけの香を……」


「香、ですか? お安いご用です。すぐにお持ちしますので、ゆっくりお休み下さい」


 そう言うと、アルバートは柔らかく微笑む。

 そして、後を父に託して部屋を出ていく。

 その姿が見えなくなってから、シエルは白い天井を見つめた。

 最後にこんな柔らかい寝台に入ったのは、一体いつだったろうか。

 そんな疑問がシエルの脳裏をよぎる。

 だが、その答が出る前に意識はまどろみの中へと落ちていった。


     ※


 それからどれくらいの時間眠っただろうか。

 かすかに邪気よけの香の香りがする。

 再び目が覚めると、室内は弱々しい冬の光に包まれている。

 隣の椅子にはアルバートが座し、窓の外を眺めていた。

 こちらを見つめる視線に気付いたのだろうか、アルバートは件の柔らかな笑みを浮かべる。


「お加減はいかがです? 何か食べられそうですか?」


 そんな問いかけに、シエルはわずかにうなずいた。

 スープでもお持ちします、と室外へ消えるアルバートを見送ってから、シエルは窓の外へと視線を転じた。

 窓の外、彼方に広がる丘陵は、びっしりと白い墓碑で埋め尽くされている。

 矢傷の痛みに顔を歪めながらシエルが半身を起こした時、湯気の立つ深皿をのせた盆を手にしたアルバート入って来た。


「荒涼としてるでしょう? 驚かれましたか?」


 言いながらアルバートは、盆をシエルの膝に置き、熱いですからお気をつけて、と笑った。

 皿を満たすスープは豆と野菜の質素な物だったが、作る人の心がこもっていることは理解できる。

 小さく祈りの言葉をつぶやいてから、黙々と匙を口に運ぶシエル。

 それを見つめながら、アルバートはぽつりと言った。


「自分は、戦災孤児なんです」


 一瞬、シエルの手が止まる。

 それを意に介すことなく、アルバートは続ける。


「親と死に別れて、戦場をさまよっていたところを、当時従軍神官だった父に拾われたんです。以後、修練を積んだものの、あまり才には恵まれず……」


 そして、照れ臭そうに肩をすくめる。


「父は自分にあとを継がせたいようですが、一体いつになることやら」


 そうですか、とつぶやくシエル。

 けれどどうして急にそんなことを、と言うような藍色の瞳に、アルバートは苦笑を浮かべる。


「昨日、何か気にされていたようでしたので。お気に障りましたか?」


 初対面なのに変なことを言って申し訳ない。

 そう言うアルバートに、シエルは首を左右に降った。


「いいえ。俺も同じ……母上はいますが、本当の家族はもういないので……」


「……そうでしたか。やっぱり戦争で?」


 首をかしげるアルバート。

 シエルは窓の外に視線をさまよわせながら低い声で言う。


「間接的には。遊び疲れて家に帰ったら、家が血の海になっていて……ルウツの朱の隊が……」


 何と返事してよいかわからず、アルバートは口をつぐむ。

 重い沈黙の中、食器のぶつかり合う音だけが響く。

 気が付けば、いつしか皿の中は空になっていた。


「……ありがとうございました」


 不器用だが、正直な言葉だった。

 盆ごと皿を受け取ると、アルバートは立ち上がり片目をつぶってみせる。


「その様子だともう大丈夫のようですね。あとで着替えをお持ちします」


 うなずくシエルを後にして、アルバートは部屋を出た。

 けれど、彼にはシエルが背負っているものは未だ見いだせずにいた。

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