─28─客人
アルバート・サルコウは困惑していた。
そして何やら嫌な予感がした。
常日頃あまり良好な関係とは言えぬロンドベルトからの急な召還命令である。
何か裏があるのは明らかだ。
彼自身はエドナの軍人ではないのだから、ロンドベルトの命令に従わねばならぬ義務も責任もない。
だが、必要とされているとなると首を横に振る訳にはいかない。
そんな自分の馬鹿正直さに頭痛を感じながらも、アルバートは帰路を急いだ。
無数の墓碑に埋め尽くされた稜線に日が沈みかけたころ、ようやくアレンタの司祭館にたどり着いた彼の視界に入ってきたのは、館の入口で押し問答をしている黒衣の男達と神官見習い達の姿だった。
「一体どうしたんだ?」
声をかけるアルバート。
と、その声に気付いた神官見習い達は、一斉にアルバートに向かい駆け寄ってくる。
「師団長殿、助けて下さい!」
「大変なことになっているんです!」
何が何だかわからないアルバート。
果たして近づいてみると、そこには思いもかけないモノが文字通り転がっている。
担架に乗せられ横たえられていたそれは、一人の男だった。
乱れたセピアの髪は顔に貼りつき、無数の古傷が残るむき出しの上半身。
肩口には薄汚れた包帯が乱暴に巻かれ、茶色く変色した血がにじんでいた。
「……一体、この方は……」
言葉を失うアルバートに、神官見習い達は一気にまくし立てた。
「ですから、助けて下さい!」
「いくらロンドベルト閣下のお願いだと言われても、司祭館に素性の知れない人を入れるわけには行かないと、何度言っても……」
けれど、その言葉はアルバートには届いていなかった。
顔を上げるやいなや、彼は叫んでいた。
「すぐに薬師を! それと父上にも来ていただくよう連絡を! このままでは命に関わる」
目をぱちくりする神官見習い達。
アルバートは取り囲む黒衣の男達をかき分けるようにして横たわる男に近寄ると、ひざまずきその額に手をかざし、低い声で祈りの言葉を紡ぐ。
その詠唱が終わるやいなや、呆然として立ち尽くしている神官見習い達に向かい再び叫んだ。
「何をぼさっとしている? 早く!」
言いながらアルバートは微動だにしないその男をためらうことなく抱きかかえ立ち上がった。
ただならぬものを感じたのだろう。
神官見習い達は扉を開け放したまま司祭館に飛び込むと、廊下を走る。
「二階の空き部屋にお連れする。一刻も早く……!」
アルバートの叫びにわかりましたと答えると、神官見習い達は各々の役目を果たすため八方に散っていく。
その後ろ姿を見送ってから、アルバートは階段を駆け上り、空き部屋の寝台へ抱えていた男を横たえた。
次いで汚れた包帯を取り去り、濡らした布で丁寧に拭き清める。
と、その時、今まで微動だにしなかった男がぴくりと動いた。
ゆっくりと目蓋があがり、深い藍色の瞳がこちらに向けられた。
「気付かれましたか? 今、薬師が来ます」
「……どうして、助ける……?」
かすれた声で問いかけられて、アルバートは返答に窮した。
なぜ、という明確な理由を咄嗟に思い付かなかったからだ。
体を拭うことを止めず、アルバートは答えを探した。
「……俺は、あなたとは縁もゆかりもない。なのに、なぜ……? あの方……猊下も、一体……」
「その方も自分も、見えざるものに仕える神官だからでしょう。我々は見えざるものに仕え、他者を助けることを生業にする者です。助けるのに理由など、ありません」
ゆっくりと男の視線が動いた。
アルバートの穏やかな顔から、白銀に輝く神聖騎士団の甲冑へと。
次の瞬間、男の手はアルバートの手首を掴んだ。
「理由が無いなら、殺してくれ……。これ以上罪を重ねて生き長らえるほどの価値は、俺にはない」
再びアルバートは言葉を失った。
一体この人は、何を背負っているのだろうか。
だが、今はそれを詮索している時間はない。
アルバートは男の手を強引に振りほどいた。
「そうはいきません。あなたを見殺しにしたら、自分は必ず後悔するでしょう。……命に重い軽いの違いは、無いんですよ」
言いながらアルバートは微笑んだ。
そうか、とつぶやくと、男は目を閉じる。
あらかたその身体を拭き終えると、アルバートは再び笑いかけ、諭すように言った。
「出会って早々に悲しいことを言わないでください。こうして会ったこと自体、何かの見えざるご縁なんですから」
言い終えると同時に扉が開いた。
熱い湯を満たした木桶や薬などを抱えた神官見習い達だった。
「お待たせいたしました。もうすぐ薬師が参ります」
「わかった。後を頼む」
返答を聞くのももどかしく、アルバートはその場を後にした。
今度は一体何を押し付けられたのか、ロンドベルトに問うために。
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